葉月夕凪・夢日暮
幼い記憶にある、小さな女の子。
黒い髪、黒い瞳、白い肌、赤い唇、細い体、細い手足、小さな鞠、綺麗な着物、鈴の音がする下駄。
断片的ではあったがとても印象深い思い出が今も頭の片隅に残っていた。
京都の親戚の家に遊びに行くと必ず一緒に遊んだ、近所に住んでいるという小さな女の子。
思えばあれが初恋だった。
最後に会ってから、もう五年の月日が流れた今でも忘れられないでいる。
一つ年下だったから、もう十五歳になっているはずだ。
彼女は今も元気にしているのだろうか。
ふと気になった謙也は、夏休みを利用して久しぶりにその子の住む街へと向かった。
親戚の家には連絡したものの、電話は通じず不在のようだった。
盆時期だから家族旅行にでも行ってるのだろう。
母屋には入れないが離れならば家主がいなくても入れる術を知っている。
それに最後にあの家へ行った時、いつでも好きな時に来なさい、と言ってもらっていた。
だから謙也は行き当たりばったりではあったが京都への小旅行を決めた。
町の外れにある大きなお屋敷が親戚の家だ。
油照りとも言われる京都の暑さに若干辟易しつつ、入り組んだ小さな路地を歩いていく。
見慣れた高い塀が見え、年代物の大きな木の門に似合わない機械的な呼鈴を押すが、やはりというべきか誰も出なかった。
仕方なしに謙也は勝手口から入ろうと裏へと回る。
どこの家からか解らないが、何かの焼けるきな臭い煙が鼻に届くようになる。
昼時だから魚でも焼いているのだろうかと思いながら高い塀に沿って歩いていった。
だがそこには何故か先客がいた。
「……誰?この家に何の用?」
この照りつける太陽すら勝てないのか、白い肌をした黒髪の少年。
どこか生気が薄く、陽炎の見せる幻影かと思わされたが、その視線はしっかりと謙也へと向けられている。
「アンタこそ誰やねん。泥棒か?」
「アホか、ここん家の親戚や」
そう言った瞬間、その少年は酷く驚いた顔をした後、何か思い出したと謙也に向けて指差す。
「もしかして…謙也くん?」
「え?」
「やっぱし謙也くんや。うわっめっちゃ久し振りっスねー」
酷く親しげに話しかけられるが、謙也にはまるで見覚えのない相手だ。
訝りながら、相手に失礼だと考える暇もなく謙也は少年の顔をじっと見つめる。
だがやはり覚えはなかった。
「何、もしかして覚えてへんのですか?」
「え…あ……ご、ごめん…」
少年はそれまでの明るい表情を不機嫌に、というより拗ねたように唇を尖らせる。
その顔に謙也の中で漸くその人物が過去に出会ったある人と合致した。
「え……もしかして…光、ちゃん…?」
「気付くん遅いわ」
「えっ、えっ、えええっ?!」
目が落ちそうな程に見開き驚く顔を見て、少年はけらけらと楽しそうに笑い始める。
「えっ、ほんまに?嘘やろ?せやかて、…光は…」
俺の初恋の女の子だった、という言葉は出なかった。
まだ信じられないという顔の謙也に、それまでの笑いに崩れた表情ではなく、柔らかく微笑む。
その表情は幼い頃見た少女と酷似していて彼の言う言葉が真実だと思えた。
「光…?」
「はい」
「ほんまに?俺の事からかってるんとちゃうやんな?」
「からかうっていうたら…昔のがからかっとったわ」
おかしそうに笑いを堪えながら語られる内容に、謙也は腰が抜けそうになった。
「だってアンタ、俺ん事好きやったやろ」
「なっ…んで、それっっ…」
「せやからいたいけな少年の夢壊したったら可哀想やなーと思てずっと黙っといたってん」
「いいいいいい意味解らんわ!だいだい何で…」
「あー…とりあえずうち来ません?暑いし」
大きな塀に太陽が遮られ、影の中に入っていたが確かに暑い。
謙也は断る理由もないので光の案内についていった。
屋敷から五分程歩いた場所にある民家に光が入っていく。
昼下がりで室内は明るいものの、中に人の気配はない。
古い建物ではあるが、掃除が行き届いていて非常に居心地の良い空間が広がっている。
謙也は光に案内された座敷の座布団の上に腰を下した。
「今家族皆旅行行っとって誰もおらんから遠慮せんと寛いで下さいね」
「あ…あぁ、ありがとう」
一旦部屋を去った後、光は手にお茶を乗せた盆を持って謙也の元へと戻ってくる。
「あの頃ね、うちのオカンが着付け習た言うて着物にハマっとったんっスわ。けど着せる相手おらん言うて俺が無理やり着せられとってん。
兄貴もおったけど流石に二十歳越えた男に女モン着せれるかー言うて」
「……そうやったんや…」
綺麗なグラスに入った麦茶を一息で飲んだ後、光の語る五年前の真実に謙也は気の抜けた返事をした。
「最初は嫌やってんけど、アンタ勘違いしてんのおもろかったからいつ気ぃつくかなーって思ってずっと女モンの着物きとったんっスわ」
「………全く気ぃつかんかったわ…」
うなだれ落ち込む様子を見せる謙也を見て暫くはケラケラと笑っていたが、あまりに落ち込んだ姿を見た光に呵責が生まれる。
「あー………そない落ち込まれると俺も立つ瀬ないんやけど」
「あっっスマン!!いや、ちゃうねん!!!光にまた会えたんは嬉しいし、全然嫌とかちゃうねん!
ただちょっと……淡い思い出が消えたんがショックでやな…」
しょんぼり、と音がしそうな程に頭を重く下げる姿に光はかける言葉が見つからず、
ただ黙って金色に光る髪がさわさわと窓から入る風に揺れるのを眺めていた。
しばらくは蝉の鳴く声だけが大きく部屋に響いていたが、おもむろに謙也は顔を上げぽつりと呟いた。
「………ごめん、嘘」
「何が?」
「…ショックやったんは…自分が男や解った後でも……全然気持ち変わらんかった事やわ」
「え?気持ち…?」
何の事だ、と表情を歪めるのを見て謙也は慌てて首を振った。
「すっ、すまん!何でもない!…そっ、それより暑いな!もう一杯もらえるか?」
「はぁ、それは構いませんけど…」
盆の上の空になった謙也のグラスを手にすると、光は不思議そうな顔を隠さないままに部屋を出ていった。
隣に続く襖が閉まり、謙也ははぁ、っと安堵の息を漏らす。
一体何を言おうとしたのか、と己の奇行を振り返りもう一度うなだれる。
そう、確かに感じたのだ。
光が男だと知った瞬間、思い出を汚されたという思いよりも先に、あの初恋の少女が成長した延長線上にいたのが目の前にいる人でよかった、嬉しいと感じた。
この暑さで異常な思考が湧いてきているのだ、きっとそうだと謙也は何とか自分の気持ちを押さえつけた。
だが上手く蓋をしきれないままに光が戻ってきてしまった。
手には麦茶の入ったグラスとアイスが2本ある。
「食べます?」
「お…おお、もらうわ。ありがとうな」
透明の袋に入った白いアイスバーを謙也に渡すと、光は向かいに置かれた座布団には座らず謙也のすぐ隣に座った。
先程よりも距離が縮まり、思わずどきりとさせられる。
「な……なに…?」
「ううん。別に。それより、もうちょい気温下がったら散歩しませんか?あんたもこっち久々でしょ?懐かしい場所見たいんちゃいますか?」
「…ああ、せやな。そないしょーか」
アイスの袋をびりびりと破りながら、光を見ると、幼い頃とまるで変わらない真っ黒な瞳が謙也を射抜いている。
その強い視線に折角治まっていた鼓動が再び激しくなってしまう。
「あの…光?」
「俺はめっちゃ変わってしもたけど……謙也くんは相変わらずっスね」
「何やねん、成長ないて言いたいんか?」
失礼な、と笑い飛ばそうとしたが、光は酷く傷ついた表情で謙也を見ている。
一体どうしたのだろうかと心配していると、謙也が手に持っていた溶けかけのアイスにかじり付いてきた。
「ちょっ…お前っっ!」
「アーホ!ぼーっとしてるからや!」
元々大した大きさでなかったアイスは半分が光の口に収まってしまった。
特にこのアイスに執着していたわけではないが、何故か悔しくなり、半分程食べられていた光のアイスへとかじり付こうとした。
だがそれを一瞬早くかわし、光は体を後ろに大きく反らせる。
「ずっこいで光!」
「ええやん!アイスぐらいでぐだぐだ言うなー」
そう言うや否や、光は残りのアイスを口に入れてしまった。
溶けかけていたものの、熱い口の中に一気に入れるには冷たいのか光は顔を顰めている。
「ったぁー……めっちゃキーンってする」
こめかみを押さえ、光は痛みを霧散させる為に何度かぽんぽんと叩く。
「焦って食うからやん…がめついなぁ」
「あんたが焦らせたんやろー…人のん食おうとするから」
「お前なぁ…自分のやった事は棚に上げんかい」
呆れながら謙也はこれ以上食べられてなるかと光が齧った後に残ったアイスを口に含んだ。
ぶぅっと頬を膨らませる姿が妙に可愛く見える。
謙也はよしよしと頭を撫で、アイスの棒を部屋の隅に見えるくず入れに向けて放り投げた。
それは綺麗な放物線を描き、くず入れに吸い込まれる。
「おぉ、ほんまに入った」
「失敗して他所ん家汚したら、とかって考えはないんですね」
「あ、そういやそうやな」
すまんすまん、と軽い調子で謝る謙也に呆れたような視線を送った後、光はおもむろに立ち上がろうとする。
だが謙也はその腕を掴んでそれを阻んだ。
「え?何」
驚いた様子の光はそのまま腰を下し、不思議そうに謙也の顔を眺める。
ああ、吸い込まれそうな真っ黒な瞳は昔とちっとも変わらない。
何故すぐに彼があの少女だと気付かなかったのだろうと謙也は自分自身の鈍さに呆れた。
「謙也…く…んっ」
何かにとり憑かれた、と言い得て然りな動きだった。
謙也は目の前に見える色の薄い唇に、自分のそれを重ね合せた。
この酷暑の中だというのにひんやりと冷たいのは、麦茶かアイスのせいだろう。
衝動的な行為であったが謙也の頭は妙な冷静さが残っていた。
「何これ……復讐っスか?」
「そんなんちゃうわアホ」
驚いた様子もなく、淡々と言う光に面食らいながらもその言葉は否定する。
「ほな何で?あんた男でもいけんの?」
「アホか、お前やから…お前にしたなってん……」
視線を落とし、ぽつりと漏らした言葉へと返された言葉に謙也は耳を疑った。
「ほな、もっとやってみますか?」
「え?…わっ、ちょぉっ…!」
畳の上へと勢いよく押し倒されて驚くが、光の悲しげな表情に動きを止めた。
同情や気まぐれで言ったわけではなさそうだ。
今にも泣き出しそうな表情が徐々に近付き、そして今度は光の方から口付けてきた。
「んっ…はっ、ひかる…?」
「もっと…してええ?」
「へ?!」
耳鳴りのような蝉の大合唱が、急に耳に届くようになり謙也を現実へと引き戻す。
暑さのあまり、耳までおかしくなったかと思ったが、光の表情は真剣だった。
「もっとしたい」
「もっとって…んんっ?!」
耳鳴りに混じって届いたキンッ、という音は光が手放したアイスの棒が置きっぱなしだったグラスに当たった音だろうか。
それを確かめようと謙也が視線を音のした方へと逸らそうとするが、光の両手が頬を包み、自分以外は見るなと言っているようだ。
「なぁ謙也さん…もっと…」
「もっとって……これ以上やったら俺…」
猫のような仕草でペロペロと唇を舐められ、謙也の理性などもうとうの昔に崩れていた。
だがやはりそれ以上踏み込んではならないと誰かが耳元で警鐘を鳴らしている。
「何で?俺と…したない?」
「めっちゃしたいです!」
思わず本音が大声で出てしまった。
だが光は馬鹿にした様子もなく、クスリと艶のある笑みを浮かべる。
そして謙也の上に馬乗りになると、徐々に形を変え始めていたお互いの性器を布越しに合せた。
「ひっ…光……ちょっ、それヤバいってマジで!」
「これだけでイってまいそうなんや…」
悪戯好きの子供のような、好奇心旺盛な瞳を向けられ謙也は思わず体が固まった。
体格差は十分すぎるほどあるのだから、振り払い体勢を変える事など容易なはずなのに、何故かそれができない。
ああきっと自分も光と同じく好奇心に駆られているのだ。
光が何をして、どんな姿を見せてくれるのかが気になって仕方ないのだと謙也は納得した。
しかし緩慢な動きで下半身を刺激されるだけではもどかしく、もっと決定的な刺激を欲している。
「んっ……おれ、も…ヤバい…かも…謙也くんの顔見とったら…めっちゃ興奮する…」
「ひか……る…?」
「なぁ…もっとやってええ?」
興奮に掠れた声が、耳鳴りの向こうからする。
気温だけでない、光から伝わる体温でどんどんと体の熱が上がっていくのが解る。
ゆるゆると手で股間を撫で付けられ、ヒッと思わず息を飲んだ。
はあはあと荒い息を整える事だけに必死の謙也に言葉を返す事は出来ず、光は答えを聞くより先に謙也のズボンの前を寛げてしまった。
謙也が止めるより先に光は完全に勃起した謙也の性器に指を絡め、躊躇いなく口に含んだ。
「ちょっ…うわっっ!」
濡れた音が蝉の声よりもリアルに耳に届き、どんどんと気持ちが昂ぶっていく。
始めは何とか光の行動を制しようと思っていた謙也だったが、欲望に負けてしまいその行為を甘受してしまう。
「んっ…あっあ…はぁっ」
大人しく、と言っては語弊があるが、僅かに声と濡れた音だけを発していた光の口から明らかな嬌声が上がり、
驚いて謙也が視線をずらせば光は自分自身も反対の手で扱いていた。
「えっ…光!?なっ、何してっっ…」
「んっ……けん、やくんの…めっちゃ熱くって…口、きもちい…」
卑猥な声色に触発され、限界まで膨れていた謙也の欲望は光の口内で勢いよく弾けた。
「んっっ!」
「―――くっ!!」
謙也の出した欲望全てを口で受け止めた光はそれをゆっくりと嚥下し、
いつの間に達したのか自分自身も吐き出した白濁で汚れた左手を謙也に見せ付けるように舌に絡めた。
「……そんなん…よぉ舐めれんな…」
「別に美味いもんでもないけど結構興奮しますよ」
そう言って差し出される指を、謙也は躊躇いなく口に含み、丁寧に舐め取っていく。
ぴちゃっと音を立てながら指の間を舌で這う度に小さく漏らされる声にまた熱が上がりそうになる。
だが光は先に熱が冷め現実に戻ってしまった。
「あっつー……風呂入ってこよ」
「えぇっ?!」
光は汗を手で拭い、乱れた服を何事もなかったかのように整え、体を起こすと部屋を出て行こうとする。
「な…何か…冷めてへん?」
「…謙也くん、いつまでこっちおるん?」
「へ?」
謙也の泣きそうな声に光は足を止め、襖を開けながら唐突にそんな事を尋ねてくる。
「え…えーっと、はっきりとは決めてへんけど…一応三日ぐらい…盆休み終わるまではおろっかなって思とるけど?」
「そう、ほな続きは晩でええやん」
「…えっ?!」
「今最後までやったら…散歩行けへんやん」
「え、あ、え?!」
戸惑う謙也を残し、光は廊下へと消えていってしまった。
あまりの展開の早さに若干ついていけず、謙也は暫くぼんやりと力なく座ったままだった。
だが下半身を日の下に晒したままの間抜けな姿に我に返り、誰も見ていないが慌てて服を整えた。
窓は開けっぱなしだったが通りからは高い塀で阻まれていて誰も見ていないだろう。
だが昼日中から何て背徳的なのだろうと妙な興奮を覚えてしまう。
しかも相手は幼馴染で、実に五年振りに再会したばかりの初恋の人。
再び頭をもたげようとする欲望を何とか押さえつけ、謙也は畳の上に大の字になった。
「あつ……」
夕方近くになって日は落ちてきているというのに一向に気温が下がる様子はない。
そういえば光と最後に会ったのも確か今日のように流れる風すら熱く、息苦しいほどの暑いの日だった。
酷く悲しげな声が耳にこびりついているのだが、何故かその時の様子がまるで思い出せない。
靄がかかっているように、思い出がその先でくすぶっているのだ。
「そういやあん時…光泣いとったな……」
光ちゃん泣かないで、と手を伸ばそうとしたところで記憶が途切れ、再び景色が現実味を帯びる。
「何やってんっスか」
ぼんやりと眺めていた天井を遮るように光の顔が現れ、驚いて飛び起きる。
そしてそこにいた光の姿がタオル一枚を腰に巻いただけのもので二度驚かされた。
「謙也くんも水浴びしてき。冷たぁて気持ちええよ」
「あ…あぁ、うん。そうさしてもらうわ」
なるべく光に視線を合わせないようにして立ち上がり、風呂場へと向かう。
古い年式の風呂で追い焚きなどできないのだろう。
タイル張りの浴槽には生温い水が張られているだけだ。
しかしそれが熱を持った体に心地よい。
謙也は着ていた汗まみれの服を脱ぎ捨てて頭から勢いよく水をかぶった。
暑さと先程の興奮で汗びっしょりだった体が流され、少し思考も整理されていく。
そういえば初めて来たはずなのに、何故自分はこの家の風呂の位置を知っていたのだろう。
案内されたわけではない。なのにまっすぐ迷う事なくここへとたどり着けた。
忘れていただけで、この家にも昔来た事があるのだろうか。
そう思いながら謙也は用意されていたタオルで体を洗い、髪を流し、脱衣所へと戻る。
だが着ていたはずの自分の服がない。
しばらくはウロウロと探していたが諦めて体を拭くと先刻光がしていたように腰にタオルを巻いて座敷に戻った。
そこには真っ白な浴衣に着替えた光が縁台に足を投げ出し座っていた。
それが記憶の中の少女と重なり、思わずどきりとさせられる。
「どないしたん?」
「あ…の、俺の服……」
「ああ、汗すごかったしもう一回着れんやろ思て洗濯した。明日には乾きますよ」
「…ほーか」
なら替わりの服を何か貸してくれ、と言おうとしてふと目に入ったのは、鴨居にかけられた濃紺の浴衣だった。
風呂に行く前にはなかったから、光が用意したものには間違いないだろう。
「それ、兄貴のやねんけどもう着ぇへんし、謙也くん着たってや」
「いや、俺着付けとか出来んし」
「俺がやりますよ」
言うや否や、光は嬉しそうに立ち上がると浴衣や着付けに使う小物を手に謙也の前にやってくる。
そしておもむろに腰に巻いていたタオルに手をかけた。
「ちょっ…おおっ俺パンツはいてへんし!」
「心配せんかて俺もはいてへんわ」
「はぁ?!」
謙也の抵抗の僅かな隙に光はタオルを剥ぎ取ってしまった。
金色の西日が差し込む部屋の中で全裸にされ、謙也は羞恥に手で前を隠そうとするが、
母親が子を叱るように万歳して、と怒るので仕方なく両手を水平に上げた。
手際よく着付けていく光を見下ろしていると、帯を締めていたはずの手がするりと襟を割り、肌に直に触れてくる。
「ちょっ…光っ」
「何かこうやってると…違う事したなりますね」
「ち…違う事て……な、何…」
「解ってて聞いてんっスか?」
腹をゆるく撫でる冷たい手を止めようと慌てて振りほどく。
気分を害してしまったか、と一瞬焦ったが、光は悪戯っこの瞳のまま、続きはまた晩に、と言って笑った。
それから二人で家を出ると、二人で遊んだ路地や空き地、お店などを回りながらのんびりと散歩した。
夕方になってもなかなか気温は下がらず、汗の噴き出している謙也に反して、光は何でもないと涼しい表情のままだ。
だが時折白い首筋を汗が伝う。それが妙に艶めかしい。
白地の浴衣に赤くなり始めた空の色が映えて、湧き上がりそうになる劣情をごまかすように、
謙也は何とか違う事に意識を持っていこうとした。
「なっ、なぁ、池の方行かへん?昔よぉ遊んだやん。魚釣ったりザリガニ獲ったり」
「え…?」
顔色が一瞬にして悪くなり、それまで気温に高揚していたはずの光の赤い頬が徐々に白く色を失っていく。
何か悪い事でも言ってしまったのだろうかとオロオロしていると、光は震える唇で言った。
「もう………埋め立てられましたよ…あの池…せやから、行ってもしゃーないし」
「そうなん?残念やなぁ…懐かしい場所いっこ減ってもうたんか」
「そんな事より、何かおばんざい買うて帰りましょ。晩飯…腹減ったし」
これ以上その話題に触れたくないのか光は突然そんな事を言い始める。
どこか様子はおかしいものの、特に断る理由もないので謙也はそれに同意した。
小さな商店街の一角にある店で光が好きだという総菜を買い、のんびりと歩いて家に帰る頃にはすでに夕日も傾き空は紺と橙の二色となっていた。
「ただいまー…って他所ん家で変か」
玄関の引き戸を開けるなりそう言う謙也に光が少し寂しそうに笑うが、すぐに早よ入れ、と背中を叩く。
光はすぐに台所へと行き、袋に入ったたくさんの総菜を皿に移し替えて謙也に待っていろと指示した昼と同じ座敷に運んでいく。
日は落ちたものの、昼の熱気をまだはらんでいる。
蒸し暑い空気を振り払うように開けっ放しにした窓際に座っている謙也に近付き盆を畳に置いた。
「飯、どうぞ」
「おっ、ありがとうなー」
行儀は悪いが誰も咎める者はいない。
謙也は畳に置かれた皿を順に食べていく。
だが光はそれを眺めているだけで、一向に食べる様子がない。
「何や、腹減ってたんちゃうん?光も食いや」
「先食ってええよ。俺風呂の用意してくるんで」
首を傾げる謙也を置き、光は座敷から出て行ってしまった。
夕方散歩に出た頃から少し様子はおかしかったが、どこか具合でも悪いのではと心配になる。
だがしばらくして風呂より戻ってきた光は不機嫌な様子もなく、体調も悪いようには見えない。
思い過ごしだろうかと謙也はほぼ食べ残しと言える皿の中身を光に明け渡した。
「すまん…お前の分置いとこ思たんやけどほとんど食べてしもた」
「ああ、ええよ別に。腹減ったら家のもん適当に食うんで」
少しずつ涼しい風が室内を満たし、庭から聞こえる虫の声だけが響く。
結局光は謙也の残した僅かな総菜を食べただけだった。
腹が減った、と言っていたはずなのにと思いながらも、昔から気まぐれな気質であった為にそう気にも止めなかった。
食後は特に会話もなく、風呂の用意が出来たから入ってこいと、言われるままに謙也は入浴した。
温かい湯船に浸かりながら、これから起きるであろう事に否が応でも意識がそちらへと向かってしまう。
しかし長湯は性に合わないと謙也は意を決すると勢いよく湯船から出た。
だが木枠に擦りガラスの戸を開けるとそこには光が立っていた。
「えっ」
慌てて持っていたタオルで前を隠すが、昼間もっと恥ずかしい姿を見られていたのだから今更だ。
それは光も同じなのか平然とした顔で言い放った。
「何、もう出るん?一緒に入ろ思たのに」
「ええっっ」
「相変わらずカラスの行水っスね。ちゃんと洗てんの?」
「ちょっ…お前…何っ」
「自分で着れんねやろ。大人しく立っとれ」
先程まで着ていた浴衣を取り上げられ、完全に素っ裸にされ萎縮していると性的な意味合いなどまるでないままに綺麗に着付けられていく。
だがきっちりと着付けられた衣服に反し、光は熱の篭った瞳で謙也を射抜くと部屋で待っているように言い脱衣所から追い出した。
扉一つ隔て、布擦れの音と戸の軋む音がした後、ばしゃばしゃと水の音がする。
興奮が抑えきれず、しばらくは聞き耳を立てていたが徐々に虚しくなり、大人しく座敷へと戻った。
座敷に光が使っていたのか縁台にうちわが置かれたままになっている。
謙也はうちわを拾い上げると縁台に寝転び緩い風を自分に送り始めた。
あまりの静寂と冷えてきた夜風の心地よさにうとうとしかかった頃、漸く光が風呂から上がってきた。
先刻まで着ていた浴衣ではなく、寝間着代わりの薄い生地の浴衣をまとっていてそれが湯上がりの肌に艶めかしい。
「遅かったなぁ」
「ん。これ切ってた」
盆に乗せられた船型に切られた大きなすいかを差し出され、謙也は顔を輝かせる。
「おっ、すいかや」
「昔っから好きでしたよね」
「お前はすぐ腹壊しとったよな」
「心配せんでももう治りましたよ」
むっと拗ねたような表情を見せる光の頭を撫でつけ、謙也は早速すいかに齧り付く。
よく冷えていて程よい甘さが喉を通る。
「んまいっ」
あっという間に一切れを食べ終え、子供のように嬉しそうに笑う謙也を見て光も破顔するが、すぐに生意気な表情を浮かべた。
「隣で寝小便垂れんといて下さいよ」
「するかアホっっ!ガキちゃうんやど」
「……まぁ確かにやる事はガキのする事ちゃいますけどね」
先程風呂で見せたような挑発的な瞳で見つめられ、謙也は思わず動きを止めた。
猫の様に四つん這いになり、そろそろと近付くと膝の上に乗り上げ、食べ終えたすいかの皮を取り上げる。
そしてすいかの汁に濡れた唇や指をぺろりと舐め始めた。
「なんっっ」
「昼の続き」
「え…あの…」
「なぁ、しよ?」
襟から入れられた光の手は湯上りと思えない程に冷えている。
己の肌の温度との差に思わず体が震えた。
その僅かな変化も過敏に感じ取った光は首筋に唇を寄せわざと音を立てながら口付ける。
「…謙也くん?」
甘えたような声を聞かされ、謙也は無意識に目の前の体を掻き抱いた。
昼のような蝉の声はないが、今は静寂に耳鳴りがする。
その先で僅かに感じる光の浅い吐息が耳元で鳴り響き、腕の中にある光の白い首筋に噛み付いた。
「んっ…!」
小さく漏らされる声にますます謙也の息が上がる。
首筋に吸い付き、襟を割り浴衣の中へと手を差し入れようとするが、光にやんわりとそれを遮られた。
「…光?」
「部屋まで連れて行ってください」
「えぇ?!」
「ほら、早ぅ」
ぎゅっと首に噛り付かれ、身動きが取れなくなってしまい謙也は仕方なくそのまま光を抱き上げた。
「うわっ軽っ…お前ちゃんと飯食えよ」
「夏はいっつもこんなもんです。謙也くんが太ったんちゃうん」
「ふっ…太ってへんわ!力強なった言えや…相変わらず失礼なやっちゃなぁ」
抗議の意味も込めて目の前にある白い頬に噛み付くと、仕返しとばかりに鼻を噛まれる。
そんな他愛無いじゃれ合いを絡めながら座敷を出て廊下の奥にある光の部屋へと向かう。
やはりこの家の間取りを自分は知っているのだ。
謙也は電気も付かない中で足を止め、ふとそんな事を思った。
「謙也くん?腰でもいわしたん?」
「え?ああ、ちゃうよ」
突然狭い廊下にぼんやりと立ち尽くす謙也に光が不思議そうに尋ねるが、すぐに我に返り謙也は足で行儀悪く襖を開け、
薄暗い部屋の中央に敷かれた布団の上に光を下ろした。
一緒になって体を埋めた布団はお日様の香りがして、この布団が昼間外に出ていた事が解る。
全て偶然が重なり今この状況があるはずなのに、全てが用意周到にされている。
そんな奇妙さを感じながらも謙也は目の前にある光の体にすぐに意識が奪われてしまった。
先程は止められた手悪戯も、今は止められる事がない。
謙也は右手で帯を解こうとするが上手くいかず、苛々と襟から手を入れ肩を露わにしてそこに唇を寄せた。
「焦りすぎっスわー…」
「うん…自分でもそう思う……」
「んっ…何やねんそれ…あっさり認めんかぃ」
小馬鹿にしたように笑う光の唇に唇を重ね、顎を掴んで強制的に口を開かせると舌を差し入れる。
静かな部屋が二人の漏らす声や水音に支配されると徐々に熱を孕み始める。
「光…ごめん……めっちゃ余裕ない、かも…」
「ん…ええよ……好きにして…痛いのも苦しいのも気持ちええのも、全部受け止めるから」
はだけた胸元を執拗に舌や歯で攻める謙也の頭を抱え込むように抱き締め、光は一際高い声を上げた。
それに調子を良くした謙也は先程は諦めた帯にもう一度手をかけ、今度こそ体から引き抜いた。
はらりとはだける襟や裾の下にある素肌が晒され、迷う事なく謙也の手は光の下半身に伸びていく。
「んんっ……ぁ…あ…」
昼間は光が自分で高めていたので初めて触ったが、掌の中で自分のものより遥かに小振りな性器が
びくびくと揺れる様に眩暈を起こしそうな程に興奮を覚える。
これが光の、と跳ね上がる息を抑えながら謙也は昼間自分がされた事を思い出し、それを口に含んだ。
「ひっっ…ひぃっ!あっああっあっ!んんっ…んっ!」
息を飲む声と堪え切れなかった声、その後にそれを抑えるくぐもった声が頭上からする。
こんな声ではない、もっと色のある我を忘れるような声を聞かせてほしい。
そう思い謙也は何度も執拗に口内で吸い上げ、舌を這わせ、手は柔らかい内腿や徐々に硬さを増していく袋に悪戯する。
「うぁっ!いっ…っんあっ!そこ…ぉ」
「もっとしてほしいん?」
一度顔を上げ、どろどろに濡れた性器を指先でいじりながら意地悪く尋ねるが、光はもう焦点の合っていないとろんとした瞳を謙也に向け、視線でねだるだけだ。
「光」
「んっ…もっと、して…っっも……っ、後ろも…っ…!」
催促するように名前を呼ぶと、光は謙也の悪戯する手を掴み、後ろの窪みへと導く。
「えっち」
「はぁっ…んっ、何とでも…言うとけっ……そんな俺にっ…手ぇ出してる、んっ…くせにっ」
快楽に緩みきった瞳をしながらも挑発するようなその言葉に、謙也はそうやなと平坦に返し濡れた指を後ろに突き入れた。
「ああっあっあ!!ふぁあっ…んっ」
入れた瞬間だけは驚いたようにびくびくと体を震わせたが、すぐに光の中は謙也の指を緩くきつく締めるように動き始める。
もっと痛がるかと思っていたが、光は気持ちよさそうな瞳のまま謙也に微笑みかけた。
「光……痛ないん…?」
「んっあ…あっあっ!きもち…い…よ、謙也…くっ」
「けどめっちゃ緩んでるな…光もしかして自分でいじってた?」
そんな訳がない、と顔を真っ赤にして怒られる事を覚悟して言った言葉は頷きに肯定されてしまい、逆に謙也の方が顔を赤くした。
「さ…っき……っ、風呂で…っっ…け…ん、やく…んにっ…早よ…入れて欲しかったからっ」
「…ほなもう入れんで。ほんま余裕なくなったわ」
光が喋る度、息をする度にきゅっと締まる中に入れればどれほどに気持ちがいいのだろう。
きっと自分でするより、どの想像より気持ちがいいはずだ。
いや、そうに違いない。
謙也の言葉に微かに頷いてみせる光を見るや否や、自分の帯を解き、浴衣を脱ぎ去る。
そして裸の体に覆いかぶさると、大きく足を両側に開き片足を肩に担ぐと散々にいじり倒した光の後ろに、
限界まで硬くなり天井向けて勢いよく勃ち上がる性器をあて、少しずつ中に押し込めていく。
「ああっ!はぁっ…んあっくっ」
指を中に入れたときはただ気持ちよさそうだった声に僅かな苦しみがにじみ出ている。
だがこんな所で止められるわけもなく、謙也は半分程ゆっくりと腰を進めた後一気に突き入れた。
「ああぁあっっっ!!あっふあぁん!あっ…あ!」
これまでに一番高い声を上げ、謙也の肩にすがりつく。
それにより腹に力が入り、埋め込まれた謙也の性器がぎゅっと締めつけられた。
「んっ!」
「けん……やく…んっ!はぁっ気持ちい…よ…」
「俺も…っ、光ん中…ほんま最高や…」
ゆっくりと体を起こし、光の腰を掴むと謙也はいきなり最高の速さで腰を揺らし始めた。
「あっ…あぁあっあっ!んはあぁっ!けんやくんっ…けんや…ああっあっあ!はあんっっ」
何の前触れもなく、突如甲高い声を上げると光は果ててしまった。
その衝撃に謙也も堪え切れず光の中へと欲望の塊を放った。
「んあっ…あつ…いよぉ……」
「ん…中出してしもた…」
ごめん、と謝るより先に光は力のない腕を伸ばし、謙也の首に巻きついた。
「ええから…もっとして…もっといっぱい謙也くんの…出して?」
「ちょっ…」
この状況でそんな事を言われて黙ってはいられない。
それだけで一度萎えかけた謙也の性器は勢いを取り戻した。
むしろ最初より勢いが増しているかもしれない。
いっぱいに広げられた光の後ろがびくびくと震えている。
「俺…なぁっ…ずっとこうしたかったから…謙也くんの事…んっ…騙してたんかもしれん…っ」
「え…なん…」
「好き…謙也くん……ずっと好きやったんです…せやから…ぅっ…あんたと…っあ…あっ!
こんな事したいっ、て…っ…女やったらっ…てっ、思っっ…ああっ!」
勝手に揺れ動く光の体は謙也の意思などないまますでに再び限界が近付いているようだ。
「光…」
何度もうわごとのように謙也くんごめんなさいと謝罪を繰り返す光の体を抱きしめ、耳元で囁いた。
「謝らんでええよ…光の気持ちはよぉ解った。俺光が男とか女とか関係なく好きやで」
「う…うそや…あんだけっ…はぁ…っ…ショック受けとった…っくせ、にっ!」
「アホか嘘ちゃうっちゅーねん。あれはその…光が男やって解っても気持ち変わらんかったから…何やちょっと混乱しとっただけで…」
「ほ…んま、ですか?」
不安そうに揺れる瞳が暗闇に光っている。
謙也は安心させるように何度も口付け、腰の動きを再開した。
「ふっ…ああっあ!あっ!あっ!もぉ…ひぃっ」
「…っ…光としかこんな事できひんわ」
「んっんっ…俺もっ…!謙也くんとしか…やりたないっっ」
首に腕を回し、すがりつく光の体を抱きしめると少し体温が上がったように感じる。
熱い、火傷しそうなほどに熱い結合部分はぐずぐずに解れ、卑猥な水音が流れ続けていた。
謙也はそれまで一定リズムでえぐっていた均整を崩し、光が甘い声を上げる箇所だけを攻め始めた。
「ひっ!ああっそこぉっ!あっ…ふあっあんっ!」
途端に体を跳ねさせ、中が痙攣を起こしたように動き始める。
限界が近い、などと余裕を感じる暇もなく、謙也はただ快楽を貪り、そして光にそれを与え続けた。
「ひか…るっ!」
「イくっ…あっあっ…あんっっ!ああああぁっ!!」
短く声を張り上げると、光は大量の精液を漏らし始めた。
長い余韻にびくびくと中が震え、その動きに合わせ謙也も光の中に果てた。
「はぁっ…は…光…?」
精も魂も尽き果てた光はそのまま気を失ってしまったようで、謙也の腕の中でぐったりとしている。
謙也は何度も口付けながら性器を引き抜く。
その衝撃に小さくうめきを上げたが光は起きる様子がない。
闇を手探りで布団の周りを探ってみれば、やはり用意周到というべきかティッシュの箱とタオルが数枚置いてある。
自分に抱かれたいのだと、抱かれる覚悟を胸に秘めながらこれを用意していたのであればあまりに可愛すぎる。
綺麗に体を拭き、後処理を済ませると光の隣に寝転んだ。
最初していたお日様の香りはすっかりと布団からなくなってしまい、代わりに部屋は熱気と汗の香りに包まれている。
謙也はもう一度体を起こすと腕を伸ばせばギリギリ届く窓を開けた。
途端に夜風が部屋に入り、それまで淀んでいた空気が一掃される。
夜半になり少し気温が下がってきたかもしれないと、謙也は先程まで何の役にも立っていなかった肌布団を肩まで引き上げ、
光を抱きしめるとそのまま眠りに就いた。
【続】