セト1


死の砂漠にある命のオアシス
不毛の地に咲く白い花
鋼鉄の棘を持つ砂漠の薔薇

美しい賛称の言葉を受けるその人は、オアシスを中心に繁栄した国の次代女王。
日いずる国であるそこは太陽を神と崇め、代々女系で国を治めていた。
その国の現女王である姉君が急逝してしまい、急遽王位へと祀り上げられたその人。
国はかつてない程の飢饉に見舞われ、混乱の極みに陥っていた。
だがその人は持ち前の聡明さで見事に危機を乗り越え国民の支持と賞賛を浴びた。
しかし女王は人々の前に姿を現す事は皆無。
何故なら、次代は親王、つまり女王の弟が跡目を継いだ為だ。
この国の長い歴史の上で男が王位に就いた事はない。
国の母なる太陽とあるべき存在が男である事は許されない。
だが跡目を継げる年頃の女子が一族におらず、夫君の病を理由に一度は王座を退き、
娘にその重責を譲った先々代女王である女大公は女王の弟、つまり自分の息子である親王を女王にするように推した。
王宮の者は皆戸惑い、反対した。
だが未だ強大な影響力のある女大公の進言ということもあり、
直系の流れを途切れさせない為にも王室は苦渋の決断を下した。
男であるが、歴史に残るであろう文献などには女王として記載し、
国の行事や、列強諸国や隣国の公式行事にも女王として参加する事を決定したのだ。
初めの頃は色々と批判はあったものの、幾度となく国の危機を救った頭脳と眉目秀麗な姿に王室も国民も一目を置き、
今では誰もが慕う国の母であるべき若き女王として君臨していた。


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その日、近衛兵達は俄かに色めき立っていた。
滅多に離宮から離れようとしない女王が王宮に戻ると聞いていたからだ。
王宮の近衛隊に入ったばかりの切原赤也もまだ見ぬ女王に思いを馳せていた。
赤也はその姿をまだ見た事はなかった。
ただの王宮付き衛兵小隊の一兵卒にすぎなかった赤也にとって、女王は未だ雲の上の人物。
生来の身体能力の高さと多岐に渡り武術に長けた赤也が近衛連隊長の目に止まり、
異例の抜擢を受けたのはほんの五日前の話だった。
赤也が王宮付きの衛兵になったのは僅かふた月前。
それまでは城下町で商店を営む両親を手伝う普通の生活をしていた。
だが同じ事の繰り返しの毎日に飽き飽きし、家を飛び出した後王宮の衛兵を志願した。
軍の頂点に立ち、絶対的権力を誇る若き将軍の噂を耳にしたからだ。
この国の近衛連隊を代々取り仕切る幸村家の嫡男である精市は、
その若さでありながら女王から大将の位を与えられ近衛連隊長に就任している。
女王の昔馴染みでもある幸村と、准将である真田の去就は女王が位に就いて真っ先に申し出た事。
国を束ねる大臣や要人たちは、馴れ合いの御飯事になりはしないかと危惧した。
だがそんなものは何処吹く風、圧倒的実力を誇る二人の手により
この国の軍はかつてない程の規模と力を手に入れる事が出来たのだった。
幸村は近衛兵だけでなく、その下層に位置する対外用の衛兵達の小隊をも取り仕切っていて、
家柄、身分などは一切排除し徹底した実力主義を敷いた制度で隊に革命を起こした。
そのおかげで一生お庭警護で終わるかと思っていた卑しい出自の赤也ですら女王直属というエリート集団に入る事が叶ったのだ。
その人の眼鏡に適えばあるいは、と一握の夢を抱いて赤也は王宮の門を叩いた。
厳しい訓練にも耐え抜き、そして勝ち取ったものは赤也の思っていた以上のものだった。
女王陛下の為に結成された禁裏付騎士団の騎士。
それが新たに与えられた赤也の使命であった。
平民出身者がナイト爵を賜る事は王宮始まって以来であり、様々な憶測や嫉妬、賛辞が飛び交った。
だがそんなものも、幸村は嘲笑で一蹴した。
下賤の戯言になど聞く耳持たぬ、と。
そして以後、誰も赤也の去就に関して表立って嫌がらせをする者はいなくなったのだった。

さてその将軍である幸村は実力は然る事ながら、大変な美丈夫であり女王と並ぶ姿の圧巻さといえば隣国にも轟くほど。
しかし浮かべる微笑みは威圧的で他の介入を許さない、所謂変人であった。
それが故、彼の集めた女王の身辺警護にあたれる誇り高き騎士団もなかなかの曲者揃いとなっていた。
噂には聞いていたが、と赤也はこっそりと溜息を吐く。
現在女王の部屋への出入を許されている絶対忠誠を誓った騎士は計五名。
大将である幸村精市と准将の真田弦一郎、そして近衛兵を代々輩出している軍人一族の仁王雅治、
王宮の絶対的信頼を得る大臣の息子であるジャッカル桑原、そして先々代王配の遠縁にあたる丸井ブン太の五名だ。
その誰もがどこかとてもズレている、と赤也はこの数日で学んだ。
お家柄に守られてきた所為で実力がないくせにプライドばかりが高い飾り人形のような近衛兵たちとは一線を画している。
幸村と真田以外の三名とも高名な家の出で、初めから近衛として働いていたが、一兵卒であった赤也を蔑むような事はしない。
それに実力は確かで、流石は幸村将軍の抜擢した禁裏付騎士団だと赤也は感心した。
しかしそれも最初だけだった。
本当に変わり者ばかりで、堅物の真田や真面目な桑原を除く三人はどうにも下さない行動が多すぎる。
仁王は出所不明な機械をいじって遊んでばかり、丸井はいつでもどこでも食べてばかり。
この人達は本当に仕事をする気があるのか、と思い呆然と眺めていると幸村がにっこりと笑顔で言い放った。
我々は身辺警護という名目の女王の暇つぶし係だから、と。

あの言葉は一体どういう意味だったのだろう。
女王の到着を待つ間、赤也は緊張のあまり耳元で自分の心臓の音が聞こえるという稀な経験をしていた。
近衛兵たちがまるで人形のように一糸乱れぬ様子で立ち並ぶ後方遥か、真田が馬に乗り何かを指示している。
間もなく到着するのだ。
近衛兵たちの先頭列で整列する幸村たちの隣りに立ち、その瞬間を待ちわびた。
暫くの後、遠くに騎馬隊の鳴らすラッパの音が響いた。
陛下のお戻りだ、と赤也の耳元で丸井が囁く。
それを聞き、赤也は姿勢を正した。
兵達は左胸に付けられた階級章を右手の薬指と小指で握るようにし、その他の指を立てるこの国独特な敬礼で出迎える。
質素な黒い馬車が兵達の間を駆け抜け、宮殿正面に止まった。
禁裏付騎士団たちも皆敬礼をして女王が馬車から降りるのを待つ。
ガタリ、と音を立てまず降りてきたのは女王の側近、首席補佐官の柳生比呂士だった。
勤勉で実直、真面目を絵に描いたような人物で人前にあまり出ない女王に代わって
頻繁に王宮にも戻っていた為赤也も何度か見た事があった。尤も、直接会話を交わした事はなかったが。
その柳生が手を差し出すと、それを頼りにするよう白い手が伸びてくる。
そして音も無く現れる黒衣の人。
頭を覆う真っ黒なベールの所為で顔を見る事は叶わなかった。
茹だるほどの暑さにも関わらず涼しげな印象の目元だけが見えている。
砂漠の厳しい日差しから全身を守る為の黒い衣服で体のラインは見えないが、余裕のある風に見える為細身だと感じた。
だが思っていたより背が高く紛れもない男の、女王。
それが赤也にとっての第一印象だった。
「おかえりなさいませ陛下」
姿勢を正し、幸村がまず降り立った女王を迎えた。
女王は小さく頷くのみで声を出すことはしない。
そして一瞬赤也に目をやった後、騎士団の前に立つ。
「陛下につきましては本日もご機嫌麗しゅう」
恭しく頭を下げる幸村に倣い、赤也たちも頭を下げた。
そして真田の雷鳴の如き声が王宮前の広場に響いた。
「我が剣に誓い、陛下に変わらぬ忠誠を!!」
「変わらぬ忠誠を!!!」
その声に触発されるよう近衛兵達は皆腰に差した剣を鳴らし、復唱する。
声の洪水に見送られながら、女王は宮殿の中へと静かに姿を消した。
続いて騎士団の六人が入り、最後に柳生が宮殿に入ると大きく口を開いていた木の扉は重々しい音を立てて閉められた。
石造りの宮殿は砂漠にありながらひんやりと冷たく適温に保たれている。
その長い廊下を抜け、更にガゼボのある庭園を抜けた先に女王の私室はある。
宮殿の端に離れの如くひっそりと建てられた石造りの建物の前には衛兵が二人立っていて、
先頭を歩く幸村を目に入れた瞬間緊張した面持ちで敬礼をした。
「ご苦労」
幸村が敬礼を返すと衛兵達は入口にある鎧戸を両開きにした。
幸村、仁王が入り、中に誰もいない事を確認する。
続いて女王、柳生、そして丸井、桑原と赤也が続き、最後に真田が入り鎧戸は閉められた。
その暗闇の先は何もない狭い空間があり、天井にある通風用の窓から辛うじて光が差すのみで薄暗い。
赤也は目を凝らし、これから何が起きるのだろうと興味津々の瞳で動向を見守った。
カラクリのようになった扉を前に幸村が規則性に従い突起した石を押し、
最後に鍵を差すと重い音を立てながら扉が開いた。
先程鎧戸をくぐった時と同じように室内に誰もいない事を確認すると、全員が中に入り真田が扉を閉める。
これが女王の私室、と赤也は息を飲んだ。
広さは充分だが華美な装飾などは一切なく、部屋の中央に置かれた長椅子が二組とそれと対になった硝子の平机、
その奥に木造のクロゼットが一つと、その隣にベッドがあるのみ。
女王の私室にしては非常に質素な作りだ。
あまりじろじろと見ては失礼かと思いつつも赤也は好奇心は抑えられなかった。
この部屋に入れるのは選ばれし者のみに与えられた特権。
その甘美な響きは赤也の胸を熱くする。
だがその直後、そんな思いを打ち砕くような、信じられない光景を目の当たりにしてしまった。
「まったく、あの仰々しい出迎えはどうにかならんのか」
女王は部屋に入るなり、忌々しそうに溜息を吐きながら日差し避けの黒衣を放り出した。
その後に続くように歩く丸井がからかうように肩を叩く。
「笑えるよなー百数十人が揃いも揃って剣鳴らしてさぁ」
「そう言うな…号令をかける俺が一番恥ずかしいんだ」
真面目で融通のきかない真田がよもやそんな風に思っていたなど想定外だった。
更に幸村は鬼の一言を笑顔で放つ。
「ほーんとあの役目が将軍じゃなくてよかったよ。フフッ」
「あー疲れたのー…ジャッカル、お茶」
「自分で淹れろよ。俺はお前のお茶汲み係じゃねえ」
騎士らと女王は揃いも揃って部屋の中央にある柔らかい長椅子にどっかりと腰を下ろし、各々だらしなく手足を伸ばしている。
柳生だけが部屋の隅にあるクロゼットから衣服を探す作業をしていた。
何なんだこれは、と赤也が唖然と眺めているとそんな様子に気付いた幸村が笑った。
「ああ、ごめんごめん赤也。こっちおいで」
「…ういっス」
幸村に手招きされ、部屋の中央へと進み女王の前に立つ。
それまで顔を覆っていたベールが外され、光の下に表情が出た。
砂漠に生きる民でありながら透けるような白の上に、物足りなさすら感じる無駄を除いた端整な目鼻立ち。
これが我が国の女王か、と赤也の胸がいっぱいになる。
数日前までは顔を見る事も叶わなかった雲の上の人物が今目の前にいるのだ。
そんな人を前に突っ立ったままでいるのは失礼だ。
そう思いついた赤也は慌てて片膝を立て跪いた。
「いいんだよ、気を使わなくて。この部屋に入ったら俺達は対等だからね」
「へ?」
「外であれだけ仰々しく祀り上げられて、こんなところでまでこいつ疲れさせるんじゃないよ」
こいつ。
赤也は耳を疑った。
今幸村は確かに女王に対してそう言った。
立つ様に促され、腑に落ちない思いを抱えつつも赤也はそれに従う。
「蓮二、こいつが新しく入れた赤也。切原赤也だ」
「そうか。お前が赤也か」
それまで無表情だった顔容が一瞬柔らかくなる。
そして手を差し出されるが、どうすればいいか解らない。
赤也はおろおろと目を女王と幸村の間を泳がせる。
「握手」
「あ…ああ!」
赤也にとってのあまりの非現実にそんな当たり前の事が解らなくなってしまっていた。
幸村に肩を叩かれようやくその意味を理解する。
「切原赤也っス!!」
「俺は柳蓮二だ。よろしくな、赤也」
握り返す柳の指は白く、爬虫類の腹を思い出させるようなしっとり吸い付くような感触と冷たさを赤也に伝える。
不快ではない。
だが何かが引っかかる。
表情は柔らかいものの、探るような瞳が睫毛の奥に光っている。
あまり好意的な視線ではなかった。
何か粗相をしたのではないかと赤也の心に不安が過ぎる。
だがその表情に気付いた幸村が盛大に笑い飛ばした。
「蓮二はね、初めての相手を見るとどうにも観察したがる癖があるからあまり気にしなくていいよ」
「へ?あ…そうっスか…」
「精市から面白い奴を入れたと聞いていたからな…俺はお前に興味津々なんだ」
「は…はあ……」
赤也が今まで想像していた慈悲深い国の母たる女王像が音を立てて崩れていった。
それよりも騎士団の態度は問題ではないのだろうか、と赤也は部屋を見渡す。
相変わらず遠慮というものを知らぬ様子で各々にくつろいでいる。
まるで自分の部屋にいるかのように、
仁王と丸井などとうに重苦しい鎧を脱ぎ捨て下着一枚で冷たい床に伸びている。
その様子は本当にここは女王の私室なのかと問いたくなるほどだった。
「こいつらは俺が即位する前からの友人でな…だから他の兵とは一線を画しているだろう?」
確かにその通りだと赤也は頷く。
いくら部屋への出入りを許されているからとはいえ、この態度はあまりに常識から逸脱している。
「代々女王は騎士団を結成して永遠の忠誠を誓わせるからな。逆にそれを利用させてもらったんだ」
「ごく自然にいつも一緒にいれて、今までと変わらない友情の為に、だね」
幸村の言葉に女王が笑って頷いた。
「他の者の目もあるからな…外では普通に女王と騎士として振舞っているが、
ここに入れば昔と同じ友人としての付き合いがある。ここだけが俺の心の安らぎなんだよ」
自由奔放にしていられた親王時代と違い、沢山の制約を受ける女王となった今、
この部屋だけが女王にとって唯一の安息の場となっていた。
だから一歩この部屋に入ればこの態度でも許されるのだ。
では何故自分はこの団に入れたのだろうという新たな疑問が赤也の心に浮かび上がってきた。
幼い頃から一緒にいた仲の良い者だけで結成されていたのでは、間違いなく異質なものが混じってしまった事になる。
そう幸村に問えば、至極あっさりとした答えが返ってきた。
「そんなの、お前が面白いからに決まってるじゃないか」
「面白い?!」
「衛兵小隊に入ってすぐ俺や真田に剣の勝負挑んで打ちのめされて、それでも何度も挑戦してくるし…
普通一兵卒が近衛隊長や副隊長にそんな事できないだろう?」
あの頃は確かに自分を認めさせる事に躍起になっていた。
赤也は自分の起こした数々の非礼を思い出し赤くなる。
だが幸村はあまり細かい事を気にしない性質なのか、大した事に思っていないようだった。
「言っただろう?騎士団なんてただの名目。本当はこいつの暇潰し係だって」
「実力で選ばれたわけじゃなかったんっスね…」
要するに目新しいペットのような扱いなのだろう。
赤也は皆の納得いかないこの人事のからくりの裏を知り、自尊心を傷付けられ酷く落ち込んだ。
実力を認められての事だと自負していたからだ。
「何言ってんだ?実力なんてあって当然だろう。王宮の近衛兵はアホの集まりで所詮お飾りだが衛兵は違う。
場合によっては戦地に赴き実戦を要求されるんだからな」
「え…?」
「衛兵志願した奴らの中でもお前の実力は他に無く群を抜いていた。だから俺の目にも止まったんだ。
だがただ強いだけの奴やカタブツのつまんない奴を入れる訳にはいかないからな…
お前、小隊長の目を盗んでしょっちゅうサボってたり要領よく振舞ったりしてたから」
「げっ!!何でそんな事まで知ってんっスか!!」
「王宮で内緒事は無駄じゃよ。プリッ」
軽く肩を叩かれ、勢いよく振り返るといつの間にか仁王がすぐ背後にやってきていた。
この人が密告したのか、と赤也は冷たい汗が背中を伝うのが解った。
背後に回られたが全く気配を感じなかったのだ。
「仁王は隠密行動が得意だからな」
幸村は笑っているが、何て心臓に悪い人物なのだ。
ドクドクと音を立てる心臓を握るように手を当て、赤也は息を整えた。
「一応皆それぞれに特技があるからな…暇潰し係って言ってもちゃんと選考してるからそんな落ち込むな」
「はあ…」
本当なのか否か、察しのつかない笑顔で幸村に言い放たれ、赤也は強制的に納得を余儀なくされてしまった。
「赤也も、今日からは俺の一番側にいる存在になるんだ。そんなに畏まらなくてもいい」
誰かがまだ緊張の糸の解れない赤也の手を握る。
何だ、と今度は仁王と逆の方向に勢いよく振り返ると女王の手が赤也に伸びていた。
「呼び名も女王陛下ではなく名で呼んでくれて構わない。この部屋の中ではな」
「…解りました…えっと……柳さん」
もう先程の握手の時のような違和感はなかった。
はっきりと見せられた初めての笑顔に、この部屋に入って以来凍りついたままだった心が溶かされる思いだった。


【続】

 

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