誓約結婚 1
「雅治、貴方身を固めなさい」
残り数十年の人生をたった一言で決められるなんて、あまりにも軽すぎる。
そもそも、普段あまり接点を持とうとしない祖母から部屋に呼び出しを食らった時点で疑問を持っていたのだ。
どうせ碌な話ではないと思っていたが、まさかこのような話題になるとは思っていなかった。
それだけに臓腑にかかる負担はただならぬものだった。
目の前に座る祖母の顔が般若のように見えると仁王はぼんやりと考えた。
「…つっても、相手がおらんぜよ」
「当家に相応しい家柄の方をこちらで選んでおきました。この中から選んでお見合いなさい」
そう言って祖母が目配せすると、隣にいた黒服の側近が大量の見合い写真を仁王の前に差し出した。
全く乗り気ではないがその場を収める為にも上の2,3冊を手に取り中を見る。
良いのは家柄だけで、とても器量よしとはいえない女性がすました顔で写っている。
次も、その次も。
うんざりしながら上から丁度10冊目を数えた時、ふと手が止まった。
それまでは大層な金額を積んでプロの手で撮られたであろう写真が続いていたが、日本庭園の中に着物姿の見返り絵図が写っていた。
どちらかといえば人物より風景に重きを置くその写真を不思議に思いながら見入っていると、祖母の手が伸びてくる。
「この方が気に入ったようですね」
写真が取り上げられ、中の人物を見た瞬間祖母の顔がピクリと動いたのは目の錯覚ではないはずだ。
仁王は何かキナ臭い裏を感じ、断りを入れようとしたが勝手に話は進められてしまった。
そもそも何故このような事態になってしまったのだろうと仁王は日常を省みる。
考えられる理由は二つ。
一つは姉の結婚と出産。
そしてもう一つは己の素行。
仁王の家は性別に関わらず長子が家を継ぐ事になっている。
その為結婚した姉がすでに家督を継いでいて、本家を継がなくて済んだと安心しきって遊びすぎた。
次から次へと言い寄る女を順に食い物にしている事が本家にバレてしまった。
更にそのタイミングで姉が男児を出産、次に跡目を継ぐ者が出来た。
その上弟である仁王が妾腹の子をあちこちで作られては面倒だという事だ。
だからといって結婚しろとは短絡過ぎる。
身を固めたところで今までの生活を変えるつもりのない仁王は、形だけの見合いになど興味はなかった。
しかし嫌がったところでそれが通るわけではない。
嫌な事はさっさと終わらせようと、相手の指定した日、会場で了承した。
そしてやってきた当日。
通された部屋で待つ人を見て、呆然とした。
「…へ?」
ごゆっくり、と下がろうとする女将の声で我に返る。
「えっ、ちょっ…待て!部屋違うちょらんか?」
「いえ、確かにご指定の間ですよ」
にっこり笑って頭を下げ、女将が出て行き仁王はその人物と二人きりにされた。
何かの間違いか、と呆然と立ち尽くし見下ろしていると、相手はふっと唇を歪めて笑った。
「突っ立っていないで座ったらどうだ?」
声を聞くまでは何かの間違いで女かもしれないと思い込んでしまいたかった。
しかし相手は紛う事なき、男。
姿形も声も、何もかもが女性とは程遠い。
なるほど、これから本人を呼ぶのかと思い込み、言われた通り上座に座る。
「言っておくが、後から誰も来ないぞ」
「は?」
心を見透かしたような一言に平机についていた仁王の肘がずり落ちた。
「…どゆことじゃ?」
「そのままの意味だ」
「…そのままって……」
「見合い相手は俺だ」
はっきりとそう言い切られ、仁王は言葉を失った。
どこの世界の人間が男と男で見合いするというのだ。
全く理解できないと、ただ呆然と相手を見つめる事しかできない。
そんな仁王の様子に目の前の男が淡々と説明を始めた。
元々、この男、柳蓮二は仁王の姉の許婚として考えられていた。
しかし姉は一昨年、優秀で家柄も満足な男と恋愛結婚してしまった。
家同士の繋がりが切れる事への懸念と、契約のような許婚関係を一方的に解消してしまった事への後処理が仁王に回ってきたのだ。
だからと言って何故、と仁王は項垂れた。
「ただの利害一致だ。どうせこんなものはただの形式に過ぎん」
「何じゃと?」
「俺は今の家を出たかった。家の者は俺を追い出したかった。
お前のお祖母様はお前を家に留める理由が欲しかった。お前は結婚という括りが必要だった」
当事者だというのに、まるで他人事のように言う柳の顔を改めて見る。
間違いなく見合い写真の相手だ。
上手くソフトフォーカスがかかっていて、ただの和装美人にしか見えなかったが実際に会うと意外と上背のある男。
あっさりと薄い印象の整った顔は好みではあるが、如何せん性別がこれだ。
仁王は更に深く項垂れた。
「けど何でそれがお前さんなんじゃ…」
「結婚がただの形とはいえ女が相手では色々と厄介事が多いから俺になったんだろう。将来お前の望む結婚をする時に面倒がないようにな。
俺ならば子供も出来ん。他の女と遊ぼうが気にしない。家に縛られたくないお前もその方が面倒がなくていいだろう?」
「じゃけどなあ…」
「ならばこう言い替えよう。結婚という名のついた契約の上の同居」
「契約…結婚?」
「ああ、そうだな。俺は住む家と生活のできる金があればそれで満足だ。その先で何が起きようと一向に構わん」
嫁という括りで仁王家にやってくるというのに、何と潔く、いっそ男らしいのだろうと仁王は頭を抱えた。
少なくとも返事を引き延ばし、曖昧なうちにこの話がなくなればいいと自然消滅を狙っている自分よりはよっぽど。
あの見合い以来、本家の人間や柳家が口煩く言ってきているのは知っているが、契約とはいえ何故男と同居しなければならないのだ。
仁王はのらりくらりととかわし続けていたが、その事が原因で母親が心労で倒れてしまった。
家の他の者はともかく、この雁字搦めの家の中で常に苦労をしていたのを知っている仁王はこれ以上無視出来なくなってしまった。
母親は気にしなくていい、貴方の好きにすればいいと言ってくれたが、そんな子供じみた我侭を言っている場合ではないだろうと、
仁王はついに首を縦に振った。
かくして、うららかな春の陽気の中、かの白面の美しい青年は本当に仁王家へと嫁いできてしまった。