眩暈〜君の見る夢 序章

その美しい瞳を見た瞬間
全てを失ってしまいそうになった
脳髄にまで到達しそうな眩暈にも似た感情を
どうして表現しようか
どうして表現すれば君と共に生きられるだろうか

君を一目見た瞬間の眩暈、忘れられない






"知ってます?月屋にいてるゆう絡繰人形"
"あぁ。この辺やと知らん奴おらんやろ"
"一目でええから見てみたいもんやなぁ…"


街で噂されるは、界隈では最高位に位置づけられる茶屋に買われた絡繰人形。
先の天皇が崩御してから数年。
大正と名のついた時代が始まり、大陸で勃発した大戦による好景気の煽りを受け、この国は豊かな西洋文化が花開いた。
しかしここは鮮やかな伝統に彩られた京の都。
古都の美しい風景は何一つ変わらない。
そんな華やかなこの街で、二人は出逢った。

街に溢れる提灯の淡い光が通りをぽつりぽつりと照らしている。
華やかな太鼓や笛の音が風に乗って流れる。
ここは花街の中心。
その一角に老翁と若い男が二人入って行く。
「よぉおこしやすー。いやぁお久し振りどすなぁ先生ー」
落ち着いた雰囲気の門構えを抜けると、賑やかな宴の声が聞こえてくる。
ここは界隈で最も評判の茶屋。
大きな引き戸を開けると艶やかな女が出迎える。
「ああ女将。久し振りやな。暫く郷に帰ってたさかいにえろぅ間でけてしもたわ」
「そうどしたかー。さぁさ、お上がりやす。またお郷の話聞かせてくださいねぇ」
「そないさせてもらおか」
風格のある老翁に連れられている男に気付き、女将は目を輝かせた。
「こんばんは」
「あらぁ学生君もお久し振りどすー」
「お久し振りです。お元気そうで何よりですわ、女将」
年若い男と、一見さんお断りのこの敷居の高い店。
些か不釣合いであるが女将は快く店の中へと招き入れる。
京随一の腕と噂の人形師である老翁の一番弟子。
齢十七の若さにてにして門下入りを許され、以後京で一二を争うの大学へ通いながら日夜修行に励んでいるのだ。
そうしてもう三年になる。
名は、白石蔵ノ介といった。
「しばらく見んうちにえらい男前上がったんやおへんか?」
「そんなことないですよ。女将は口上手いよってその気にさせられるわ」
お決まりの挨拶を苦笑いで右から左へと受け流していると、ふと、明るい座敷とは対照的な薄暗い廊下の奥に目が行く。
誰かがいる、と。
白石の様子に気付いた老翁も足を止め振り返る。
「どないしたんや?……おや…」
「どうどすか?先生の目ぇから見てこの人形は」
女将の言葉に白石は目を見開いた。
生きた、生ある人間だと思っていたからだ。
「…なんて…冗談え。うちもこのご時勢なかなか厳しいさかい…ちょっとでも客寄せになったら思て、思い切って客前に出してるんです」
そう言う女将の横をすり抜け、白石はその"人形"に近付く。
噂には聞いていた。
この界隈ではこの者の名を知らない人間はいない。
それは白石も例外ではなかった。
「君が…伎芸天やな?」
しかし固く閉じられた瞳が開かれることはない。
固く閉じられた口が開かれることはない。
しかし白石は目を離す事はできない。
闇にとけ込む鴉の濡れ羽を思わせる黒髪と、その隙間から見える端正な顔立ち。
それらを一層際立たせる艶やかな着物が暗闇で淡い光を放っている。
「いやぁー蔵ノ介さん!よぉお越しやす―――っ!」
後ろからする歓声に振り返ると華やかな着物に身を包んだ芸妓たちの群れが押し寄せてきていた。
敷居が高い分どうしても客の年齢層が高くなってしまう為、若い娘たちにとって年若い白石は格好のお客様、だというわけだ。
普段は厳しい店の仕来りに阻まれてはいるが、この時ばかりは娘たちもただの女子に戻ってしまう。
「さぁさぁ早ぅ早ぅ、宴も始まりますよってにー」
「あっ…ちょっと皆、そない慌てんと…」
そうして白石は数人の娘に手を引かれ、背中を押され広い座敷に連れて行かれてしまう。
しかし、ずっとその"人形"に目を奪われたままだった。





君はその瞳に何を映している?
君のその瞳は如何様な色をしている?

私は君のその瞳に、映りたい―――


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