7.星【ほし】に続きます。
La Familia 46.SOS
日本全国隠れキリシタン異常発生警報発令中。
誰か助けてくれ。
今すぐ踏み絵でもさせて、こいつら全員狩ってくれ。
マジで。
お前らはキリシタン大名か!と心の中で毒づきながら、大きなステンレス製のボウルと格闘する。
中身はホイップ。
早朝、日も昇らないうちから今日はこればっかり。
仕事だから文句も言わず黙々とやってるけど、いい加減イライラしてきた。
クリスマスだからってケーキ食う法律でもあんのか、この国は!
そんなに食いたきゃ明日来い、明日!
そしたらこんなに店も混んでねぇし、好きなケーキ注文できんじゃねぇの?
だいたいお前らクリスチャンでも何でもねえじゃん!!
そんな浮かれた奴らの為に何で俺がこんなしんどい思いしなきゃなんねえんだ。
あームカつく。
ムカつくからせいぜいそんな浮かれた奴らのゆるんだ財布から目一杯現ナマ搾り取ってやる。
クソ忙しいのにあれもこれもって注文されたら敵わないから予約以外の店頭販売は2種類。
生クリームかチョコのデコレーションだけ。
なのに混雑は一向に解消されない。
他にも厨房に何人かいるが、皆殺気立ってて最低限の会話しか交わしていない。
まあ喋るカロリーなんて無駄にしてるヒマないんだけど。
ようやくひと段落して次はフルーツのカットか、とスポンジが焼きあがるまでの時間でイチゴを切り始める。
「おいブン太!」
そこに真っ赤なサンタ服を着た仁王がやってきた。
売り子に忙しくてこいつもトイレに行くヒマもないってのに何しに来たんだ。
「参謀が来とる」
「は?柳が?」
それが本当なら、もう今すぐこっから抜け出してあいつに飛び付きたいぐらいの気持ちだ。
あの菩薩みたいな顔見りゃこのイライラした気分も吹っ飛びそうだし。
柳は赤也以外を甘やかさないけど、どうにも甘えたくなる雰囲気を持っている。
何ていうか、ガキが母親に甘えるような感じ。
常日頃から思ってた。
柳って何か母ちゃんみたいだって。
あの若さであの安定感はなかなかない。
いつも落ち着き払ってて側にいると安心する。
流石に俺もこの年になって実の母親に甘えるような気持ち悪い事はしないが、柳にはついつい甘えたくなる。
まあ赤也の突き刺さるような視線が痛くて実際行動に起こした事はないけど。
「ケーキでも買いに来たのかよ」
「ああ。やけど店頭の分もいっぱいいっぱいで回せんし、失敗したやつとかでもええから何かないか?」
どうせ食うのは赤也だろうし、崩れたやつでも渡しときゃいいか。
けどあの柳がクリスマスケーキねぇ…
こういう俗っぽい事嫌いなんだと思ってた。
誕生日は特別だろうけど、クリスマスだバレンタインだって年中行事系は苦手なんだと思ってた。
何となくイメージ的に。
なのに赤也の為にこうやって寒い中ケーキ買いに来たって。
ちょっと可愛いかも。
クリスマスだってアホみたいに浮かれてる奴らに食わせるケーキの、しかも失敗したやつを渡すのも何となく可哀想な気がした。
けどこのクソ忙しい中新しいケーキ作るヒマなんてないし…と思ったところで、ふと思い出した。
職権乱用ってやつで自分で食う為に作ったケーキの存在を。
赤也に食わせるのは勿体無い気がするが、意外な事をしてくれた柳に免じて許してやる。
俺は店の奥にある冷蔵庫に置いてあった箱を仁王に渡した。
「これ渡してやって」
「何じゃ」
「ブッシュドノエルとプチシューのツリー。俺用の」
「ええんか?」
「ちょい待ち」
ポケットに入れっぱなしにしてあった伝票の裏にボールペンでメッセージを書く。
こんだけの大きさだし全部食われる心配はないだろうけど、相手は赤也。油断ならない。
「…っと。これ一緒に渡しといて」
「…"帰ったら俺も食うから全部食ったら殺す"…っていくら赤也でもこれ全部は食わんて」
「いいからいいから」
「まあええわ。これ、ありがとさん。渡してくる」
箱の入った袋両手に抱えて女の子でごった返す店内抜けて外に出て行った。
ありがとうねぇ…
たぶん今来たのが他の、たとえばヒロシとかでも忙しいって追い返してたんだろうな。
あの日以来、その話は仁王としていない。
お互い何となく触れてはいけないのだろうと思って話題に出さなかった。
まあ言ったところであいつの事だ、上手くはぐらかされるに決まってる。
でもこうやって柳の前でエエカッコしたいって事はまだ好きなんだろう。
俺はというと、憑き物が落ちたように気持ちが消えている事に気付いた。
嫌いになれればいいのにって思ってた頃が嘘のようだ。
あのオッサンと幸ちゃんが一緒にいても何も思わない。
幸ちゃんが幸せそうでよかったって思うだけの余裕もできた。
柳や赤也や他の皆と一緒にその幸せを分けてやれるってだけで俺の存在意義がある。
家族愛に近いもんになってた思いが、一緒に暮らすようになってもっともっと上等なものになった。
ただ純粋に今のこの八人での生活が好きだ。
幸ちゃんを好きだって気持ちがそれを上回る事がないって解った時、もうふっ切れたんだって思った。
けど仁王は違うんだと思う。
あいつはまだ気持ちにケリをつけてない。
その他大勢の愛情与えるだけじゃ満足いかない気持ち抱えてる。
まあ飄々としてて周りに悟らせないあたりがあいつらしいけど。
店頭に目をやると再び売場に戻る仁王の姿が見えた。
心なしか嬉しそうに見えるのは俺の気のせいなんだろうか。
この僅かな時間が仁王に与えたものって何なんだろう。
「丸井君、手止まってる!間に合わないよ!」
考える間もなく、隣りからする店長の焦った声に我に返り、俺も激務に戻った。
結局飯もロクに食えないまま、一日が終わった。
クリスマスなんていい迷惑だ。
店長は年に一度の稼ぎ時だって張り切ってるけど、だからって俺の給料が上がるわけでもないので本当に迷惑だけを被っている。
8時に閉店して後片付けを終えて、ようやく一息ついたところで時間はすでに午後11時前。
一日中立ちっぱなしで足は棒みたいだし、腕も肩もパンパンだ。
真田のコーチ受けて練習してもこうはならない。
仁王は女性客の熱気に精気を抜かれたのかスタッフルームにあるソファに突っ伏していた。
「お疲れー」
店長からの差し入れの缶ジュースを仁王の頭にぶつけ、顔を上げさせる。
仁王は突然降る衝撃に驚いたように顔を上げてから体を起こし、缶を受け取った。
「ありがとさん……毎年こんななんか?クリスマスは」
「あー去年よりかなり多い。こないだ雑誌載ったから余計に増えたのかもな」
高校の時に始めたここのバイトもすでに4年目。
最初の頃は販売だけだったのが、気付けば厨房で店長に次ぐ位置にいる。
甘いモンは好きだしお菓子作るのって楽しいし、天職だって思う。
何度も正社員になるように誘われているが、踏ん切りがつかない。
どっちも中途半端になるのは嫌だけど、テニスから完全に離れる事ができないでいた。
いい加減どうにかしなきゃならない年になってきたけど、まだ無理だ。
「ブン太」
「ほえ?!」
「ボーっとしてんと。店長呼んどるぜよ」
「ハイハイ」
仁王も呼ばれたのか一緒に厨房に戻った。
店長の用は今日の給料の事だった。
ここ数日分の仁王の給料と、何故か俺への特別ボーナス。
毎月の給料は振り込みなのだが、今日頑張ったご褒美だと現金で渡してくれたのだ。
思わぬ臨時収入に、疲れが吹っ飛ぶってほどでもないけど少し気持ちは浮上した。
そんな少し温まった懐抱えて二人で店を後にする。
「うー寒っっ!!」
「おー…ホワイトクリスマスやの」
ガラス戸一枚外は粉雪舞う北風。
のん気にロマンティックな一言を吐く仁王のケツを思い切り蹴り上げる。
「何すんじゃ」
「このクソ寒いのに雪なんか降ってんじゃねぇよ!」
「…それは俺に文句言われても」
何とも理不尽な俺の言い分に仁王は苦笑いするだけで怒る事はしない。
そういやこいつが本気で怒ったり泣いたりってとこ見た事ねぇな。
喜怒哀楽をはっきり顔にも態度にも言葉にも出す俺とは正反対だ。
「あーもう今日お前ん家泊めろよ。旅行行ってて親居ねぇっつってただろ」
「何で」
「お前……イヴに柳と赤也二人っきりの家に帰る度胸あんのか?」
「……あー…」
腕時計の示す時刻は午後11時を回ったところ。
どう考えても真っ最中だろ。
盛り上がった二人がリビングでヤっちゃってて鉢合わせ、とか勘弁して欲しい。
まあ俺はお利口サンなので真田のようなヘマはしない。
普段も夜中に声が聞こえてくることもないし。
この辺は幸村邸の完璧な防音に感謝したい。
夜中に便所に行こうとして、何故か2階の風呂使った後の柳と鉢合わせた事は何度かあったけど。
身内のそういうコトって何か聞きたかねーし見たかねーし気まずいし。
それに片割が好きな奴だったら、って考えると心中穏やかじゃないはずだ。
いくら仁王でも。
俺の場合は母ちゃんが他所の男に取られた程度の話だけど。
あまり面白かねぇけど母ちゃん幸せなら応援するよ、みたいな感じ。
「自分ち帰ればええじゃろ」
「もうバスねぇもん」
電車で地元駅まで帰れても、そっから先の足がない。
折角頑張った給料をタクシー代になんて使いたくねぇし。
「そんなもんうちも同じじゃ」
「んだよ使えねぇなー…こうなりゃ駅前戻って24時間営業のファミレスかどっかで時間潰して…」
言いかけた時、通りにある看板を発見した。
「あ!」
「今度は何じゃ」
「銭湯発見!入ってこーぜ!」
「はぁ?」
「お、ラッキー!12時までやってんじゃん」
看板目指して歩いていくと、古びた銭湯を見つけた。
そこだけは世間から隔離されたように静かでクリスマスの雰囲気のカケラも無い。
今すぐ広くて温かい風呂に飛び込んで身も心の癒したい。
だから何か文句を言いたげな仁王の腕を掴んでさっさと中に入った。