La Familia〜ReBirthday(前篇)
再会は突然。
今日という日はあの日から確実に続いていた。
「蓮二ーこの靴下、片方見つからないんだけど」
「精市…昨日片付けた時はちゃんとあったんだ。お前が失くした物まで把握しきれん」
「蓮二!シャワーが水しか出んぞ!!」
「弦一郎…電源を入れねば湯が出るはずもあるまい」
「柳さぁーん!!牛乳!牛乳がないっスよ!」
「冷蔵庫に買い置きがあるはずだ。よく探せ赤也」
それは毎朝繰り返される風景。
この家には手がかかる子供が三人いるようなものだった。
大黒柱代わりの弦一郎までがこの有様なのだ。
確か初めてこの家の世話になった時はもっとしっかりしていたはず。
月日というのは怖ろしいものだ。
二人と出会ってから五ヶ月が過ぎようとしていた。
一度はこの家を離れたが、今はまた再び世話になっている。
今度は赤也も一緒に。
「赤也!!早く食わんか!遅刻するぞ!!」
「わーっっちょっと待ってくださいよ!!あと2分っ」
「あまり焦らせるな弦一郎。赤也、ゆっくり食べなさい。早食いは体に良くない」
「しっ…しかしだな蓮二…」
「遅刻ぐらいでガタガタ言うような指導者になるなよ、真田」
「ゆっ…幸村まで……お前中学の時俺が部活に遅刻した時どんな制裁を…」
「そんな昔の話蒸し返すなよ。相変わらずケツの穴の小さい男だな」
「皆して赤也を甘やかせすぎなのだ!!そんな事だからこいつの精神がどんどんとたるんで…」
「ご馳走様っス!!!」
「行くぞ赤也!!バスの時間まで間がないぞ!」
「いってきまーすっっ!!」
「いってらっしゃい!」
「いってらっしゃい赤也」
あの頃はこんなに穏やかな毎日がやってくるなんて夢にも思わなかった。
情緒不安定だった赤也は打ち込めるものを見つけ、それに情熱を捧げる事で一つ大人になったようだ。
それを与えたのは弦一郎。
元々中学の必須部活動で選択していた為、ある程度の実力があったのだが
弦一郎の指導を受けるようになり、才能が開花した。
今、赤也は彼の夢を受け継ぎ世界を目指すテニスプレイヤーとなっている。
「やれやれ、毎朝毎朝戦争みたいだ」
「赤也の寝起きの悪さは今に始まった事ではないが…弦一郎のトレーニングは思った以上らしいな。相当疲れているようだ。
…それはそうと精市。お前も出かける時間ではないのか?」
「あ、ほんとだ…蓮二は今日授業なかったっけ?」
「俺はまだ夏休みだ。それに今日は…」
「あ、そうか。そうだね。だったら今日は早く帰らないと」
「頼まれていたもの、注文しておいたぞ」
「ありがとう蓮二。帰りに引き取ってくるよ」
「いってらっしゃい精市」
「いってきます」
この夏、精市は手術を受ける事ができた。
金の工面が出来たからだ。
最初は跡部が出世払いで構わないから無金利で貸してやると言ってくれていたのだが、弦一郎が断った。
実家に頭を下げ、金を借りたのだという。
テニスプレイヤーになる事で両親との確執があったのだ。
わだかまりがなくなり、家に帰る事が出来た。
弦一郎の真摯な態度に両親はこの数年を許してくれたそうだ。
だが両親の思う道を選ぶ事はせず、自分で思う道を進んでいる。
その為実家に帰る事はなく、今もこの家で精市と暮らしている。
盛夏。一番暑い盛りであったが無事精市は手術を乗り切り、今は普通に生活を送っている。
尤も、当面は無理が出来ない為、週に二日ほど近所の花屋でバイトをしながらリハビリを続けている。
「さて、まずは朝食の片付けからだな…」
精市を送り出した後、リビングに散らかったままの食器を集めてシンクに持っていく。
朝から食べる量は尋常でない為その数も必然的に多くなる。
食べるのも練習のうちだと赤也には特別な食事を出しているのだが、毎回必ず完食してくれる。
実技的な練習メニューを立てるのは主に弦一郎だが、こういったサポートをするのもなかなか楽しい。
確か中学時代もそうだったな、と思いを馳せる。
赤也がどうしてもとせがむので、一緒にテニス部に入っていたのだが実際に試合をするのと同等に楽しんでいた事があった。
あらゆる選手のデータを集め、試合を組み立てる。
知識を身につけるのは楽しかったし、様々な情報を得る為の観察力や洞察力も身についた。
「赤也の奴……また上手い事野菜を残しているな…」
重ねた皿の影に刻んだピーマンが並べられている。
仕方の無い奴だ、と溜息よりも先に笑いが漏れた。
シンクに重なり合って置かれた皿やグラスを綺麗に洗い、出しっぱなしの食材を仕舞っていく。
すっかり片付いたキッチンを後にし、リビングから外を見れば高い秋空が晴れ上がっている。
「……布団も干しておくか」
この家に来てからすっかり独り言が増えたような気がする。
大学は休講などが重なれば平気で一日休みになる事もあり、社会人の弦一郎と比べ比較的時間に余裕がある。
その為必然的に家事を任される事が多い。
家で一人でいるとこうなるのか、とスーパーでよく見る主婦層を思い浮かべた。
大きな窓を開け放ち、狭いが精市によって綺麗に手入れのされた庭に布団用の物干し台を出した。
弦一郎、精市それぞれの部屋から布団を引き剥がし、台に引っ掛ける。
その時、ふと生垣の外から覗く顔に気付いた。
「柳君、おはようございます」
「おはよう柳生。今から授業か?」
「ええ、今日は二限からなんです」
柳生は学部は違うが同じ大学に通っている。
すぐ近所に下宿していると知ったのはつい最近だったが。
柳生とは夏休みに入ってから親しくなった。
大学内にある図書館は所蔵の多い事で有名だった。
家ではゆっくりと課題も出来ない為、よく通っていたのだがそこでいつも勉強している柳生と出会った。
「今日でしたね、約束の日は。帰りにまた寄ります。3時頃には来れると思いますのでお手伝いしますよ」
「ああ。ありがとう」
柳生の背中が大学への道へ向け消えていくのを見届け、部屋の中に戻る。
時計を見れば十時を示していた。
今日は忙しくなる、と気合を入れなおし手早く部屋の掃除を済ませる。
つい無心でやってしまい、気付けば綺麗な室内と引き換えに二時間以上も経過していた。
時間もないのでありもので昼食を済ませ、買物に出る。
真夏に比べ、日中の日差しも和らいできたがまだまだ残暑は厳しい。
日傘代わりの舞傘をさし、日陰を選びながらスーパーまでの道を歩く。
涼しい店内に入り、大きなショッピングカートを押しながら次々と夕食の材料を放り込んでいった。
赤也の好きなお菓子も忘れずに。
今日も恐らく練習で疲れて帰ってくる。
きっと甘い物を欲しがるだろう。
カゴいっぱいの商品をレジに通し、店の外に出る。
スーパーの前には精市が勤めている花屋があった。
狭い店内で忙しなく働いているのが見える。
丁度外に並べた花を取りにやって来た精市と鉢合わせる。
「あれ?蓮二。夕食の買物?すごい量だね」
「ああ…今日は口の数が多いからな。いつもの倍の量だ」
「そうか。帰るのは遅くなりそうだから手伝えないけど…」
「構わん。柳生が早く来ると言っていたから手伝ってもらうよ」
「あぁ、柳生なら安心だ。他の連中じゃつまみ食いの方が多くなりそうだしね」
「そうだな」
これ以上立ち話をして仕事の邪魔をしてはいけないと、再び家路に向かう。
帰り道に選んだのは、あの商店街。
様々な想い出が駆け巡る。
赤也と別れたのも、弦一郎と精市に出会ったのもここだった。
帰るべき場所を見つけたと思った。
だがそれは間違いだった。
帰るべきは場所ではない。
常に人の心だと思い知った。
あんなに不安がっていたのは、赤也がまだこの心に潜む思いに気付いていなかったからだ。
否、気付かなくて当然だ。
伝える努力もしていなかったのだから。
赤也がいつも不安に思っていた事は狂気となり、容赦なくこの身に降り注いできた。
しかし赤也に心の中にある気持ちの全てを伝えた時、彼は驚くほどに穏やかな表情でそれを受け入れてくれた。
もう絶対に離れたりしない。
離れない。
あの頃、赤也は自らを制御するだけのゆとりがなかったのだ。
離れて行ってしまうかもしれない想い人の心を引き止めたくて、しかしその方法が解らず暗闇を一人彷徨っていた。
真っ暗な中で、手当たり次第に攻撃する事でしかその存在を確認できなかった。
だがこちらから手を差し伸べてやり、しっかりと握った手を離さなければ、もうあんな無茶はしなくなったのだった。
「暑い…」
商店街のアーケードを抜けたが、舞傘は荷物の量に負けて差す事が出来ず、午後の日差しが容赦なく顔を照りつける。
ハンカチ代わりに使っている懐紙を探ったが、ポケットの中に見当たらない。
どうやら入れてくるのを忘れたらしい。
仕方なく服の袖で流れ落ちる汗を拭うと、目の中に赤い痣が飛び込んできた。
赤也が縛った跡がまだ手首に残っているのだ。
それが消えないと解った時、赤也は一瞬気まずそうな顔をした。
だがその事については絶対に謝らなかった。
「悪いとは思ってます…けど謝らないっス!!謝ったら…あの時の必死な気持ちまで否定する気がするから……」
赤也の顔を見て気付いた。
傷付けた以上に、傷付いている。
「解っている赤也…謝らなくていい。俺も……謝らないから」
「何で?柳さんは悪くないのに謝る必要ないっしょ?」
「そうだな…でも悪かったんだよ」
「全然解んねー…」
こうやって赤也の気持ちばかりを解った気でいて、こちらから伝える努力をしなかった事。
それが最大の罪だと思った。
もしも自分が逆の立場ならば、と考えてゾッとした。
いくら腹の中で大切にする、大事にしていたなどと思った気でいても相手にそれが伝わらなければ何の意味もない。
それはただの自己満足なのだから。
気持ちも解らない相手に最大限の愛情を注いでいたのだ、赤也は。
痛みとなって姿を現したのは赤也の心の弱さだが、彼を弱くしてしまったのはそんな自己満足で勝手な思い込みが原因。
それに気付いた時、一生分の幸せの素を手に入れた気がした。
あとは、それを手放さない努力をしなければ。
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