La Familia〜ReBirthday(後篇)
家に帰り、買ってきたものを順番に冷蔵庫に入れていく。
入れてきた袋を綺麗に畳んでいると、インターホンが鳴り響いた。
時計を見れば午後二時半を示している。
時間的にも、と思い電話機で応対せず直接玄関に迎えに出る。
扉を開けると門扉の外に柳生ともう一人が立っていた。
「おかえり。早かったな」
「ただいまーあー暑っぅー…今日も暑いのぅ」
柳生より先に門扉を勝手に開け、銀色の髪が横をすり抜けた。
「おかえり仁王」
仁王は柳生の友人で、彼を介して知り合った。
生真面目な柳生にしては意外な交友関係だと思ったが、似ていない者同士の方が馬が合うのかもしれない。
「にっ仁王君っっ!!その汚れたソックスは脱ぎたまえ!折角綺麗に掃除されているというのに君は…」
「ハイハイ…これ洗っといて」
「洗ってやるからせめて脱衣カゴには入れておけ仁王」
脱いだ靴下をそのまま上がり框に置いていこうとする仁王を咎めるが、生返事だけですでにリビングに消えている。
柳生はプリプリと怒りながらも仁王が脱ぎ捨てた靴下を綺麗に畳み、仁王の履いてきたスニーカーに突っ込んでいる。
「こんな汚いものを君に洗わせようなんて…まったく非礼な男だ」
「赤也も似たようなものだ。俺は別に構わん」
「切原君と同じ様に甘やかさなくていいのです!」
仁王は同じ大学に通っているが学部が違う。
柳生と違いまだ後期授業は始まっていないのだが、敷地内にあるテニスコートに遊びにいっていたらしい。
綺麗にプレスされたシャツをきっちりと着ている柳生とは対照的にラフなジャージ姿でやってきた。
リビングに入ると仁王は勝手にエアコンをつけ、冷蔵庫の中に入っている麦茶を飲んでいる。
「にっ…仁王君!!!」
「何や、柳生。暑いからってそうカリカリしなさんな」
「カリカリイライラしているのは暑さのせいではありませんよ…勝手に他所のお宅の冷蔵庫を開けないで下さい!!」
「今更じゃろ……週に二回は来て我が家も同然や」
「そうだぞ。それに家ではない、と言えばここは精市の家であって俺の家でもないからな」
初めてこの家で世話になった時から不思議に思っていた。
二人で暮らすには広すぎる一軒家。
ここは元々精市が家族で住んでいたらしい。
両親は海外に赴任していて数年、あるいは十年単位で帰ってこないそうだ。
些か広すぎる家に一人残された精市は同じ頃家を出た弦一郎を巻き込んだ。
病気がちな精市を連れて不慣れな外国に行く事にも、一人この家に残す事も不安に思っていた両親は
安心して弦一郎に精市を任せたらしい。
忙しい両親に心配はかけたくないと、精市は心疾患の事は話せないでいた。
だがそれも全て弦一郎が受け止めた。
そして再びこの家で赤也と二人世話になるようになったのは、夏休みが始まった頃の事。
住んでいたアパートが建て替えの為に取り壊される事が決まり、急遽引越しを余儀なくされた。
商店街の不動産屋を巡っていた時、弦一郎と再会した。
丁度精市の手術が決まり忙しくしていた時で、渡りに船とばかりに留守を頼まれた。
精市も弦一郎一人を家に残す事が心配らしく、また一緒に住んでくれれば安心だと同居を快諾してくれた。
四人での生活はそんな感じで始まった。
明るいキッチンに軽やかな包丁の音が流れる。
「流石だな、仁王」
「まあな。タダ飯食わせてもらうんじゃ。これぐらいせんとな……」
五月蝿いのが、と仁王は隣で睨みをきかせている柳生をチラリと見て、再び手元に視線を戻す。
手先が器用な仁王は基本的に何でもそつなくこなす。
綺麗に飾り切りにされた野菜が皿の上に重なっていく。
「あとは肉か…」
「すごい量ですね」
冷蔵庫には先程調達した二キロもの肉が鎮座している。
中を覗く隣から柳生が顔を覗かせる。
「尋常ならぬ怖ろしい食欲が二人分だからな…」
「確かに……」
「腹減ったーっっ!!!」
冷蔵庫のドアを閉めると同時に玄関の方が騒がしくなる。
バタバタと大きな足音とともに、二人分の影がリビングに入ってきた。
「お前な…帰った時ぐらいただいまって言えねぇのか!!…っと、別に自分ちじゃねぇからただいまっておかしいか…」
「おかえり。ブン太、ジャッカル」
「おー柳!ただいま!」
「…他所の家にただいまって何か変じゃないか?」
「いーじゃん細かい事気にすんなよ。あっ比呂士と仁王はもう来てたのか。何作ってんだ?」
「おかえりブン太。お疲れさん」
「丸井君、お行儀が悪いですよ」
順番に鍋の蓋を開けながら、出来上がったばかりの料理をつまみ食いするブン太を柳生が窘めるが、そんなものは右から左へ。
ブン太は嬉しそうに顔を綻ばせている。
この二人は赤也と同じテニススクールに通っていて、弦一郎のコーチを受けている。
相当キツイ目にあっているからか、弦一郎の事はあまり快く思っていないようだがこの家にはよく遊びにやってくる。
ブン太は精市になついている為、仁王たち同様週二回は確実。
今週はすでに三度目だ。
「あっちぃーっっ柳シャワー貸してーっ」
「ああ。バスタオルと着替えは脱衣所の棚にあるから」
「サンキュー」
「一緒に入ってやろうかブンちゃん」
「るっせー勝手に入ってきたら殺すぞ仁王」
そう言ってブン太は風呂場へと消えていった。
仁王は率直なブン太の態度をからかう事が楽しいらしく、こうしてよく軽口を叩いている。
お気楽主義なブン太とは対照的で真面目なジャッカルはすでに手洗いをすませ、キッチンに立つ柳生の手伝いをしている。
「赤也は一緒じゃないのか?ジャッカル」
「あいつなら真田に言われて居残り練習やってるよ」
「相変わらず厳しいようですね、真田君は」
「鬼だぜ、鬼。ミスっただけで鉄拳食らわすのは勘弁してほしいぜ」
「あいつのあれは最早脊椎反射だ。食らいたくないなら避ける方法でも考えるんだな」
弦一郎の拳骨は赤也もよく食らっている。
口で言ってもきかない赤也に対しての制裁なのだ。
他所様の子にまで手を上げていないか心配になる。
ブン太は要領よく避けているようだが、不運な事にその皺寄せは全てジャッカルにいっているらしい。
「ジャッカル、ブン太が出たらお前も風呂に入れ。もうじき皆帰ってくるだろうから」
「ああ、サンキュー柳」
リビングに大きなテーブルを用意して、そこに料理を並べていく。
窓の外はいつの間にか夕焼け色に染まっていた。
秋の日はあっという間に夜を連れて来てしまう。
少しペースを上げて夕食を用意した。
外が薄暗くなってきた頃、弦一郎がまず帰ってきた。
食卓にはすっかり宴の準備が整っている。
玄関まで迎えに出ると、いつもなら騒がしく入ってくる姿が無い。
「おかえり弦一郎」
「あぁただいま」
「…赤也は?一緒ではないのか?」
「あいつなら幸村のところに寄るといって先にスクールを出たぞ」
「精市の?何故?」
「解らん。…そうだ。幸村に頼まれてな、これを引き取ってこいと…」
「ありがとう。赤也が食べたがっていたらしいんだ」
差し出される白い箱を受け取る。
真っ赤なリボンのかかったそれの中身は精市が指定したケーキだった。
「それよりもう皆来ているようだな」
「ああ…ブン太と仁王が粗相を起こして収拾がつかん。一喝してやってくれ」
「解った」
テニスバッグを預かると、弦一郎はリビングへと真っ直ぐ向かう。
一瞬の静寂の後、怒号が飛んだ。
これで室内が今以上に荒らされる事はなくなるだろう。
やれやれと一息つき、弦一郎の荷物から洗濯物を取り出しそれを脱衣カゴに放り込む。
見ればブン太が脱ぎ捨てたジャージも入れられているではないか。
もう一度溜息を吐き、赤也が帰ってきてからすぐに洗濯機を回せる用意をした。
「ただいまーっっ!!!」
この家に帰ってくるのは残り二人だけ。
元気な声が家中に響いた。
待ちに待った主賓の帰りに足早に迎えに出る。
「おかえり赤也」
「ただいま柳さんっ!皆来てるんっスか?何か騒がしいけど…」
「ああ、顔を見せて来い」
「うぃっス!」
「ただいま」
「おかえり精市……ってすごい荷物だな。赤也へのプレゼントか?」
一足遅れで入ってきた精市の両手には抱えきれない程の花束が抱えられている。
「ああ、これ?フフッ…渾身の作品、かな。それより準備は?」
「万端だ」
振り返ればリビングの入り口で立ち尽くす赤也の後姿があった。
「誕生日おめでとう赤也!!!」
声の合わさったバースデーコールと共に特大のクラッカーの音が響き渡る。
「えっ…あっ……えぇっ?!」
後ろから肩を叩くと、大きな目を零れそうなほど見開き部屋の中をキョロキョロと見渡している。
驚いて声の出ない赤也に、不満そうにブン太が口を尖らせた。
「んだよーもっと喜べよ赤也ー」
「自分の誕生日を忘れていたのでは?」
と、柳生も笑っている。
「い…いや覚えてたけど……まさかこうやって皆でお祝いしてくれると思わなくて…
だって昨日言った時は取り合ってくれなかったじゃないっスかっ!!」
「驚かせたかったんだ。作戦は大成功だったようだな」
「……マジで…?」
「ああ、誕生日おめでとう赤也」
「ありがとうっっ!!嬉しいっス!!」
勢いよく飛びついてくる赤也を両手で受け止める。
あんなに怖かった赤い瞳も今は違う。
半泣き状態で真っ赤に染まっていても、喜びに満ちている。
「赤也、早よ座りんしゃい。ブン太が腹減りすぎて今にも全部食いつくしそうな顔しとる」
「あーっっ!!!ダメっスよ!!俺が先っっ」
勢いよく体を引き離し、料理の並ぶテーブルに走っていった。
今は自分より食欲か、と苦笑いを漏らす。
「フフッ喜んでくれてよかったね蓮二」
すぐ後ろにいた精市の優しい笑顔が目に入る。
重そうに抱えられた花束を運ぶのを手伝おうと、手持ち無沙汰になった両手を差し出すが、やんわりと断られた。
「これはね、赤也にじゃないんだ……赤也!ほら、自分で渡さないと」
「あっそっかっ」
すでにつまみ食いをしようとするブン太とつかみ合いの喧嘩を始めていた赤也が慌てて戻ってきた。
精市は大きな花束を赤也に渡し、腕を掴んでリビングの真ん中に誘導してくる。
そして赤也が満面の笑顔を湛え、目の前に立つ。
「はいっ柳さん」
「……俺に…か?」
「へへっそうっス!」
「どうして…今日はお前の誕生日だろう」
「えっと…これ柳さんの誕生日プレゼント?」
「だから何故だ、と聞いているんだ。俺の誕生日は三ヶ月も前だ」
忘れるはずもない。
ボロボロになった赤也と商店街の片隅で再会した次の日の事だ。
どうして今になって、と疑問ばかりが頭に浮かぶ。
両手いっぱいの花束と、だんだんと不安げになっていく赤也の顔。
視線を彷徨わせていると、精市に肩を叩かれた。
「受け取ってあげなよ蓮二。そのブーケね、赤也がデザインして作ったんだよ」
「赤也が?本当に?」
「ういっス!幸村さんに教えてもらったんですよ。慌てて作ったからあんまカッコよくないんだけど…」
確かに精市が作ったものとは違い、不恰好で洗練されたものではない。
だが練習後疲れているであろう赤也が一生懸命作ってくれたというのだ。
嬉しくないはずがない。
「ありがとう赤也。嬉しいよ」
「そういう事なら…柳も誕生日おめでとう!!!」
いつの間にか柳生によって配られた余りのクラッカーが鳴らされる。
それを合図に宴が始まった。
ずっと願っていたのだ。
お前の存在を心から喜んでくれる者と時間を共有する事を。
家族の温かさを知らずに育った赤也の為に、こうして誕生日を祝ってやりたいと。
笑い合いながら、喧嘩しながら賑やかに食卓を囲む赤也を見ていると
「蓮二の方が嬉しそうな顔してるよ」
と、精市に笑われてしまった。
だが本当にその通りだ。
嬉しくて、楽しくて仕方ない。
顔には出ていない為他の奴らは気付いていないようだが、敏い精市は僅かな様子の差に気付いた。
赤也が毎年自分の誕生日を盛大に宣伝してくるのは解っていたので、あえてそれをかわした。
本当はもう何週間も前から考えていた。
親しい友人達に集まってもらうように頼み、赤也の好きな食事を用意してこの日を迎えた。
それが蓋を開けてみればどうだ。
逆にこちらが祝われてしまった。
赤也は六月の誕生日の日をずっと気に病んでいたらしい。
用意していたプレゼントは処分してしまった。
もう二度と会えない人の為に用意した物など手元に置いておけないと。
自分の誕生日は一緒に祝えると喜んだが、相変わらずの素っ気無い態度に作戦を変更した。
これまでの謝罪と感謝、そしてこれからもよろしくという意味をこめて何か贈ろうと考えたらしい。
だが急に思いついたが月末近くで小遣いの残りは僅か。
そこで精市に意見を乞うて縋りついた。
「店の商品なら俺の練習用って言えば社割で買えるし、毎月の小遣いから代金天引きって事で了解したんだ」
怖ろしいまでのスピードで用意した料理が減っていき、
焼肉用にと買ってきた2キロもの肉も、漬けダレだけを残して皿から消えた。
食事を終えた後、ブン太たちとカードゲームをしてはしゃいでいたが流石に疲れたのか赤也はうたた寝を始めてしまった。
この膝の上で。
「フフッ…幸せそうな顔して……お腹いっぱい焼肉を食べて、火でもつけたらよく燃えそうだ」
精市が赤也の鼻を抓み、怖ろしい言葉を吐いている。
一瞬苦しそうに顔をしかめたが、これぐらいの事で起きるような奴ではない。
嫌がるような素振りを見せ、膝に顔をすりつける。
そして再び寝息を立て始めた。
「それで?話の続きは?」
「ああ、そうそう。二人が一緒に蓮二の誕生日を祝えなかったのは俺の所為でもあるわけだし。
今日帰りに店に寄りなって言ったんだよ
もう大変だったんだよ。赤也が不器用なのは知ってたけど、あそこまでの形にするの」
テレビを置いてある台の隣りには真っ白な花を生けた花器が飾られた。
白い花ばかりで些か華がない。
と、思ってしまった自分を恥じた。
「蓮二には白い花が似合うからって花言葉調べてこれがいいこれがいいって…
来月から赤也のお小遣いは半値以下になるよって言ってるのに」
「そうか…」
膝の上にあるふわふわと動く天然パーマを撫でると、目を覚ました。
「……あれ?」
「赤也、眠いのならベッドへ行け。そろそろ足が痺れてきた」
「あっっ!!え?!すっ…すんませんっ」
「蓮二も今日はいいよ。片付けなら真田と一緒にやっておくから」
真田が、やっておくという暗な言葉裏を感じたが、ありがたくその言葉を受け入れた。
「では俺たちは先に休ませてもらう」
「あれー?柳もう寝んのか?」
「明日が休みだからといって、お前達もあまり遅くなるなよ」
遊び足りないと赤也のゲーム機を出してきてテレビに繋いでいるブン太たちと、後片付けを始めた弦一郎をリビングに残し
まだ半分眠ったままの赤也を背負って自室へと向かった。
ベッドへ下ろし布団をかけてやると、不意に手を掴まれた。
「赤也?………寝た振りをしていたな」
「へへっやっと二人きりだ」
その手を勢いよく引っ張られベッドに倒れこむ。
目の前には嬉しそうな赤也の笑顔があった。
その顔を見れば全てが解るものだが、あえて声にして聞いてみる。
「今日は楽しかったか?」
「すっげー楽しかったっス!二人での誕生日もいいけど、
皆に祝ってもらえるのってやっぱ嬉しいしありがたいっスよ」
予想通りの答えに、こちらも笑みが漏れた。
「それはよかった。俺も嬉しかったよ。赤也のサプライズ」
「あんなんでよかった?ほんとに嬉しかった?」
「ああ」
「なら俺も嬉しいっス!」
数ヶ月前には見られなかった、一点の曇りもない赤也の笑顔。
しかしそれも一瞬だけのこと。
すぐに瞼がとろりと落ちていった。
「おやすみなさい…」
ほぼ無意識なのだろう、最後は吐息となっている。
見た目よりずっと柔らかい髪を撫で、静かに答えた。
「おやすみ赤也」
そして、生まれてきてくれてありがとう。
ずっと願っていた。
赤也が幸せになれる日を。
それを与えられる日を。
誕生日だから特別じゃない。
毎日がそうであればいいと願いながら、静かに目を閉じた。
【終】