Glass Castle in a Sanctuary〜サクラメント

§3


蓮二の命の期限が短くなっているのは、誰の目にも明らかな事実だった。
一日、二日と体調を崩す日が増え、とうとう無菌室を出ないままに寝込む日々になってしまった。
俺は直視できない現実に、ついに鴉沈様に泣きついた。
どうかアンタの力であいつを助けてやってくれ、と。
初めから答えなんて解りきっていた。
それでも食い下がると、静かに言い放たれる。
「お前にはお前だけに備わった力がある。だから、それであの者を助けてやれ」
俺には何の事だか解らなかった。
俺はただの下っ端で、この人のように時空を動かすような特別な力などない。
そして冥府の使いには、天上の民のように癒しの力はない。
ただ破壊し続けるだけの存在なのだ。
こんな俺に何ができるというんだ。
俺は初めて鴉沈様を少し恨んだ。
しかし鴉沈様は俺を止める事はしなかった。
一人の人間に入れ込むのにはあまりいい顔はしてないくせに、病室に行ってレンジに会う事を止めろと言う事はなかった。
だから俺は今日も病室の外からレンジを眺めている。
意識がないのか、眠っているのか。
時々苦しそうに顔を歪めている。
その度に確実に心に植わっていく思い、ただあいつを助けてやりたいという事。
どうにかしてやりたい。
今感じている苦しみを取り除いてやりたい。
そして元気になって、望みの全部を叶えてやりたい。
それが俺に赦されない事だという事は解っている。
解っているけど、もう思いは止められなかった。
ふと目を覚ましたレンジがこちらを見ているのに気付いた。
たくさんの管の通った腕を重そうに上げて、手招きしている。
俺は窓をすり抜け病室の中に入った。
途端に感じる、負の香り。
それまでしていたレンジの甘い香りが消え、死を強く感じた。
「……最近…よく思い出す事があるんだ…」
「…何だよ」
酸素マスクの所為でくぐもってよく聞こえない。
でも、レンジはうわ言のように何かを伝えようとしている。
いきなり前置きもなしに語り始めるレンジのすぐ側に寄って、小さな声を拾い上げる。
「小さい頃…母によく言われていた言葉を…こんな風に体調を崩すたび……」
「何言われたんだ?」
顔がくっつきそうなぐらい側に近付き、口元に耳を寄せる。
「強く生きる者には必ず奇跡が起きるから、それを強く願えばきっと叶う、と」
奇跡。
それは多くの人間が望んでいる事だ。
でも、
「でも、奇跡なんてそうそう起こるわけがないから、それを願わない者にまで与えてくれるほど神様は優しくない。
だから強く願いなさいと……言われてきた」
そう、レンジの言う通りだ。
奇跡は色々な形で常に地上のあらゆる場所に降り注いでいる。
でも、皆にいきわたるものじゃない。
「アンタは…強く願ってなかっただろ」
「ああ…ずっと忘れてた……そんな事…こんなところに閉じ込められたまま一人で生きても仕方ないと。
でも最近は…誰かさんが会いに来てくれるから…もっと生きていてもいいって思えるようになったんだ」
苦しそうな表情を一瞬やめ、薄っすらと笑みを浮かべるレンジを見てはっきりと自覚した。
俺は、俺も生きたいんだ。
レンジと一緒に。
これから元気になって、もっと楽しい事をいっぱいさせてあげたい。
レンジが好きなのだ。
好きだから、こんなに気になって、何でも願いを叶えてやりたくて、苦しみを取り除いてやりたくて、そして一緒に生きたいと。
でもこんな思いは罪だ。
人間と深く関わるどころか、思いを寄せるなど大罪だ。
それでも。
「生きろよ…ちゃんと」
「…うん」
俺はアンタに生きててほしい。
どんな形であれ、この世に留まって生をまっとうしてほしい。
これからもっと大きくなって、沢山楽しい事してしわくちゃのジジイになるまで元気に生きてってほしい。
そう願い、俺は鴉沈様の言っていた、俺だけにできる事を探し続けた。
俺には一体何ができるんだ。
浮遊、幻影、破壊以外に力はない。
特別といえば人間に化けれるぐらいの事だけど、そんなの何の役にも立たないわけだし…
やっぱりどう考えたって無理だ。
けど……今は探すしかない。
レンジの命の期限が切れる前に、絶対に探し出してやる。

そんな俺の決意とは裏腹に、この時レンジは行動を起こしていた。
それを俺が知ったのは少し後の事。
冥府の長である鴉沈様と双翼の位置にいる天の長、白羅様が教えてくれた。

病室で苦しんでいる蓮二の元に白羅が訪れたのは、他の仕事があったついでだった。
鴉沈が一人の人間に入れ込み、手助けする事はさして珍しい事ではなく、
ごく日常的な光景の為白羅も気に留めるほどではないと思っていた。
しかし何か異様な空気を察し、病室に入り込む。
「何やってん?」
「…お前か…この者が聞かん坊で困っていた」
「ん?どないしたんお嬢ちゃん。俺ら見えるん?」
白羅は針を引き抜こうと点滴の管を握る蓮二に近付き、そっと頭を撫でた。
そして蓮二に触れられる事に事態を察した。
「今死んだとしても迎えに来るのはお前達天上の民で…もう二度と赤也に会えないと解った途端、
なら地獄に落とせと言って自殺を図ろうとしたんだ」
「そうやったんかいな…あかんよ、嬢ちゃん。自殺は大罪やで。もう二度と人として生まれ変われんようになる」
「そんな事知らない。また一人で生まれて一人死んでいくのなら…」
白羅の言葉も聞き入れようとせず、俯き肩を震わせる様子に、鴉沈は黙っているつもりでいた事実を打ち明けた。
「それがあいつの気持ちを踏み躙る事となっても…いいんだな?」
「……あいつ?赤也か?」
「ああ。あいつはお前を生かす為、今必死でその方法を探している」
「…どうして……あいつは俺を殺そうとしていた!俺もそれを望んでいた!!なのに何故…」
「さあ……その思いの端は俺には理解できない。だが…お前には解るのではないか?」

レンジがどこまでそれを理解したのか解らない。
でも、今日まで生きている。
生きていたんだ。
確かに生きていた。
だけど、同時に白羅様に知らされたのは、レンジの死亡通知だった。
「……2日…あと2日やで。それまでに何ができるか、よお考えや」
そう言って白羅様はまた天に戻ってった。
何故、どうしてあいつが死ななきゃなんないんだ!!
そうやって悲観した。
けど、もう本当に時間はないんだ。
こんな風にしている間にも、レンジの命は確実に削れていっている。
結局俺に出来たのは、束の間幻影を見せて喜ばせる事だけだった。
「…よぉ…久し振り」
「…あ…赤也…久方振りだな」
最後に見た時よりずっと衰弱した姿に、白羅様の言葉が本当だったのだと思い知らされる。
「あの…さ」
あと残り46時間と12分。
俺はレンジに何をしてやれるんだろう。
「何だ?」
「何か…願い事……ないか?俺、すっげーもん神様にもらったんだけど」
それは些細なウソだ。
鴉沈様にもらった天中花を見せて、俺はウソを重ねた。
「何でも願い事、3つ叶えられる花だって」
「すごいな。でも、それは赤也が使えばいい」
「俺…アンタの願い叶えたい。アンタに…アンタの為に使いたいんだよ」
そうは言ったけど、とんでもない願い事言われたらどうしよう。
ドキドキしながらレンジの言葉を待った。
「そう…だな…じゃあ、空を飛びたい」
「空?」
よかった!それなら俺でもできる。
物体浮遊は冥府の使いが持つ三大能力の一つだからな。
「それから?!あと2つ!」
「写真で見た…外国の景色が見たい」
それも俺に出来る事だ。
「あと1つは?」
「……家に…帰りたい」
それはごく自然な、当然の思いだろう。
いつだったか言ってた。
レンジの家族は、レンジの治療費を稼ぐ為にずっと働きづめなんだって。
だからなかなか病院にも来てもらえないんだって。
俺には家族とかそういうのは全然解らない。
でもずっとその中で暮らしてきたんなら恋しくなるのも当然だ。
「解った。俺に任せろ」
俺はまず、一番簡単に出来る事から始めた。
レンジが見たいと言う外国の景色を病室に映し出した。
空間を取っ払った、広い広いどこまでも続く大地。綺麗な湖と山々。
いつだったか、初めて桜を見せた時と同じように目をキラキラと輝かせて喜んでくれた。
でも腕の中にある体はあの時より細くて弱くて、ああ…あと少しなんだと現実が迫り来る。
次は家に帰りたいという願いなんだけど…
さてどうやって連れてってやればいいんだろう。
って悩んでたら、レンジがいつの間にか俺の胸ポケットから天中花を取り出して眺めていた。
それ持ったまま…今願い事されたら…!!
慌てて取り上げようとした瞬間、レンジは光となる。
「やっ…べええええ!!!!!」
時空軸ん中飛んでっちまう。
そう思って腕を掴むと、途端に空間が歪み始めた。
引きずり込まれる!!
俺はレンジを抱き締め、その衝撃に身を委ねた。
「……っっってええ…」
次にきた衝撃で思いっきり腰を打った。
レンジは?!
慌てて見たら、腹の上に体が乗ってて安心した。
レンジは怪我とかしなかったみたいで。
「おいっ!大丈夫か?」
「あ…ああ……何だったんだ一体…」
「えーっと……」
何て説明すればいいんだろう。
っていうかここはどこなんだ?
どっかの家の中…子供部屋みたいだけど。
「ここは……」
レンジが立ち上がり、辺りを見渡す。
そして笑顔を向けてくれた。
「ありがとう赤也」
そうか。
ここはレンジの家だったんだ。
でも何で…って思って壁の時計を見ると、朝の時間帯を示している。
レンジが一番帰りたがってた、母親のいる家。
天中花が願いを叶えてくれたってわけか…
レンジの握っていた花を見ると、花びらが一枚、また一枚と落ちていくのが解った。
枯れていってるんだ!!
もう花の限界だ。
このままだと元の時間に帰れなくなる。
レンジには悪いけど、早く戻らないと。
そう思って腕を掴もうとすると、部屋に誰かが入ってきた。
「蓮二?!あなたどうしてここに…!!」
「…母さん」
出勤前なのか、スーツ姿のレンジの母親がドアのところで突っ立ってる。
そりゃ信じらんなくて当然だ。
病院にいるはずの我が子が目の前にいるんだから。
母親に俺は見えてないわけだから、一人でここまで来たって思ってるんだろう。
「…どうして……とっ…とにかく早く病院に…!!」
「待って」
パニック起こしかけてる母親を前に、自分だって状況わかってないだろうにレンジは冷静だった。
急いで戻んなきゃなんないんだけど俺もレンジの雰囲気に飲まれてしまった。
「母さん…教えてほしいんだけど……」
「…何?」
顔を覗き込むように腰を屈めて母親とレンジが向き合う。
「俺は……生きてていいの?」
「何を…当たり前じゃない!!」
「父さんも母さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも俺のせいで朝から晩まで働いてて…お姉ちゃんも俺の所為で色んなガマンしてる。
なのに俺はただ生きてるだけで…何もできない。生きてる意味なんてない…」
その時、初めて気付いた。
レンジの抱えていた闇の大きさはそこのあったのだ。
家族のお荷物のような存在として生きていく事が嫌で、ただ毎日を過ごす事に生きていく意味を見出せなくて。
それで初めて会った日、あんな事言ってたんだ。
死にたかったわけじゃない。
ただ周りの大切な人の為に自分は消えてしまおうと思った。
何て悲しい決意なんだろうと、胸が痛くなる。
こんな感覚は初めてだ。
そんな軟弱な感情は人間特有のもので俺達には無縁だから、これが悲しいって感情なんだって初めて理解できた。
「だから…もう……いなくなった方がいいんじゃないの?」
レンジの母親は一瞬すごく苦しそうに顔を歪めた後、ぎゅっとレンジを抱き締める。
そして幼い子供をあやすように背中を撫でた。
「蓮ちゃんはここにいるだけでいいの。ここにいる事が母さんの幸せなの」
「でも…」
「何もしなくていいの。蓮ちゃんは、生きてるだけで母さん達にたくさんの力をくれるの。だから、蓮ちゃんは生きてていいのよ」
「でも俺、迷惑かけて…皆を不幸にしてるだけだ」
こんなに苦しそうな表情のレンジを見た事がなかった。
どんなに病気で辛い時より、苦しそうだ。
今にも泣きそうな顔を見て俺まで胸が裂けそうな感覚に陥った。
「迷惑じゃないの、大切な人にかけられる苦労は。それに蓮ちゃんはちゃんと母さん達を幸せにしてくれてる。
母さんは蓮ちゃんを産んで、今まで生きててくれて、それだけで幸せなんだよ?
意味なんていらないの。人が生きていくのに意味なんて必要ないの。蓮ちゃんは、ここにいるだけでいいの」
母親の言葉に、レンジはとうとう泣き出してしまった。
はらはらと落ちる涙と、優しい言葉。
「蓮二…母さんを選んで…生まれてきてくれて、ありがとう…」
俺はこの時、初めて人の命を綺麗だって思えた。
ただ薄汚れた魂を冥府に送る毎日の中で、命の重さなんて考えてなくてゲーム感覚で魂狩って。
全く重みなんて感じなかった人の命。
「そ…っか」
そうだったのか。
人より何十倍も考えて毎日を精一杯生きて、たくさんの愛の重みを背負った魂を持っていた。
だからアンタはこんなに綺麗なんだ。
だから俺はレンジに惹かれたんだ。
この純で、美しい魂で俺を惹きつけた。
「ありがとう…母さん」
レンジの涙声と共に、窓の外に閃光が放たれる。
その手からは花がなくなっていた。
今完全に枯れてしまったんだ。
どうする、もう戻れないかもしれないと思った瞬間、再び淡い光が部屋を包み込んだ。
すると鴉沈様が音もなく静かに現れ、レンジの母親の頭に手をかざした。
瞬きする間に母親はその場には倒れこんだ。
「あ…鴉沈様?!」
「掟に則り記憶を消しただけだ。この者が気付く前に戻るぞ」
「へ?あ?はいっっス!!」
俺は呆然とするレンジを慌てて抱きしめ、鴉沈様の導きで元の時間、場所へと戻った。
戻ってすぐ気を失ったレンジをベッドに寝かせ、ナースコールを押す。
当然看護師に俺達は見えないわけだから不思議がってたけど、すぐに医師がやってきて治療が始まった。
俺と鴉沈様はそれを部屋の隅で眺めた。
「運がよかったな。たまたま俺が閃光に気付いたからよかったものの…もしあのまま時空に歪みを作ったままだとどうなっていた事か」
「……すんません…」
鴉沈様は相変わらず無表情で何考えてんのかさっぱり解らない。
でも心配しているのかじっとレンジを見つめたままだ。
もしかしたらこの人も、何百、何千年という時間の中で、今日の俺みたいな体験を何度も何度もしてきたから、
掟の枠を越えて人と関わりを持ち続けてるのかもしれない。
ただそれは辛い経験と背中合わせだ。
俺はその時まで、それがどんなに辛い事なのかちゃんと理解出来ていなかった。
目の前で意識を失くしたレンジが横たわる姿を見て、初めて死の恐怖に晒された。
ドアの影から病室の中を伺えば、レンジの家族が枕元で何かを必死に叫んでる。
壁にかかる時計の示す時間に、その時がやってきたのだと解った。
俺はもう何も考えられなかった。
真っ白になった頭で冷静な行動なんてできない。
人目も憚らずヒトガタに変化して病室に飛び込んだ。
部屋の中にいる人を押し退けて、すぐ側まで駆け寄る。
そして床に膝をついてベッドに寄りかかるようにしてレンジの手を握った。
もう意識が混濁していて俺の事は解らないかもしれない。
でも確かに呼んでくれた。
「…あ…かや…」
俺の名前を。
「あなた誰?!」
明らかに不審者な俺を追い返そうとする母親を止めてくれたのは、レンジと同じぐらいの子供だった。
「おばさん。たぶん蓮二の友達だよ」
「…貞治君…知ってる子?」
こいつ、前に看護師が言ってた奴か。
何で俺の事知ってんだ?
「蓮二が手紙で教えてくれた。病院で友達ができたって」
最初は明らかに怪しい風情に不信感持ってた。
でも、時が経つにつれて、そんな事が些細に思えるほど楽しかったのだと言っていたらしい。
本気で思ってやがったのか。
こんな俺のことを、友達だと。
「くそっ…冗談じゃねえ……絶対死なせねえ!!なあレンジ!最後の願い事…まだ叶えてやってねえぞ!」
感情が荒ぶっている所為で力の制御ができない。
レンジが見たがっていた景色が次々と現れては消える。
目まぐるしく変わる病室内の景色に周りの奴が驚いてるけど、俺にはもう止められなかった。
力の暴走も、溢れる涙も。
でもそれに誘われるようにレンジは意識を取り戻した。
「…あか…や」
でもまた力なく瞳を伏せる姿に、俺は叫んだ。
「言ってたじゃねえか!!強く願えば奇跡は起きるって!言えよ!!清く正しく生きたアンタには必ず起きる!
だから…アンタのほんとの気持ち言え!!…俺が…俺が全部叶えてやるから!!」
俺の泣き叫ぶ声が届いたのか、再びレンジは目を開いてくれた。
そして、どこにそんな力がまだ残ってたんだか、ぐっと手を握り返してきた。
「…生きたい……もっと…お前と一緒にいたいよ…赤也」
重力に負けて、レンジの瞳から涙が零れ落ちる。
「それ…が…アンタの願い…?」
「ああ……生きて、ずっと一緒にいれたら楽しくて…きっと幸せだ」
そう言って見せてくれた笑顔に、俺は必死になって頷いた。
「解った…これからもずっと…ずっと一緒だ」
「ありがとう赤也…」
手を握り返してくれるレンジの囁くようなお礼の言葉が、光の彼方に聞こえた。


§4

 

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