チェリッシュ(前篇)
§:赤也
絶対に無理だと思っていた一言は意外とすんなり声にする事ができた。
それは突然のデートから1週間後の事。
部活後の部室はいつものようにレギュラー陣でごった返している。
別に部室が狭いわけじゃないんだけど、一人一人の嵩がデカイもんだから狭く感じる。
特に真田副部長付近は威圧感も相まって誰も近付かない。
…それに暑苦しいし。
そんな騒がしい室内の隅で、あの人はデータ整理に勤しんでいる。
今日の練習でまたデータを更新したんだ。
よく見てるよなぁ……
人の面倒まで見て自分もしっかり練習してるって凄い。尊敬する。
今も涼しい顔して椅子に座って、分厚いノート片手に練習メニューをファイルに挟んだ紙に書き込んでる。
その耳元を見れば、何か白い紐の様な物が伸びていた。
「あれって…」
「あれー?何聴いてんだよ柳」
同じ場所に視線がいって、俺より一瞬先に動いたのは隣に立っていた丸井先輩だった。
すでに制服に着替え終えた丸井先輩は柳さんの隣の椅子に座って、イヤホンを左耳から引っこ抜くと自分の耳に押し込んだ。
顔近付けすぎだろ…ムカつく。
あんまりジロジロ見るのも気が引ける。
でも気になるからしょうがない。
俺はそれを横目で睨みながらジャージを脱いで制服に着替える。
「……シヴァの新譜じゃん。意っ外ー!!お前洋楽とか聴くのかよ」
「意外か?」
「浪曲でも聴いてんのかと思ったぜ」
俺が選んだ安物プレイヤーに詰められていたのは、俺があげたあのCD。
柳さんが気に入ったって言ってたやつ。
二人で出かけた証拠みたいなものが残ればいいと思って押し付けたやつだ。
俺はというと、まぁソフトを買う金がないってのもあるんだけど、まだあのPSPは使っていない。
何か勿体無くて。
柳さんが初めて俺にくれたもんだし…だから部屋の棚に大事に飾ってある。
「これは特別気に入っているから聴いているだけだ」
「ふーん…誰かにもらったとか?」
「ああ」
心臓が口から出るかと思った。
柳さん以外知らない事なんだし意識する方がおかしいんだけど、緩慢な動きで二人を振り返った。
結局丸井先輩の口から「誰に」という疑問は出てこなかった。
丁度知っている曲に来たのか、そのまま聞く体勢に入った丸井先輩や着替えている他の先輩達には気付かれないよう、
柳さんは俺だけにふっと笑ってみせた。
心の中で奇声上げて勢い良く目を逸らせてしまった。
柳さんに背を向けてぎこちない動きで着替えを再開する。
悪い事してるわけじゃないのに、いけない秘密を共有しているような心持ちになった。
「おーい丸井、帰るぞー!」
ジャッカル先輩の声に丸井先輩がやっと柳さんから離れた。
腹の中の嫌な気持ちが無くなり、俺は着替える手を早める。
「蓮二、まだかかるのか?」
「ああ、施錠は俺がするから先に帰ってくれ」
再び嫌な気持ちが、今度はもっとどす黒い感情が心に広がる。
真田副部長と柳さんが喋ってるのを見ると、いつもこうなる。
近付くな。離れろ。触んじゃねえ。
何より、それ以上柳さんの事傷付けんじゃねえ。
無意識のうちに篭った力を全部発散するように思い切りロッカーの扉を閉めた。
スチール製であまり作りのよろしくないそれは、思った以上の音が出て俺自身吃驚してしまった。
しかもよく見れば少しへこんでしまっている。
やべっ…と思って振り返ると、すでに真田副部長はすぐ背後に立っていた。
「赤也!静かに閉めんか!」
「へーい。スイマセンデシター」
アンタの声のがデカイっつーの。
俺は殴られるのはごめんなので身をかわして部室のドアに向けて歩く。
「こらっ!どこへ行く!話はまだ――」
「便所っスよ!」
ムカつく。
ムカつく。
誰も悪くないから余計にムカつく。
真田副部長に悪気がないのは解ってる。
あの鈍感そうな真田副部長が空気読めるわけ無いし、柳さんは絶対に悟らせるような真似はしない。
柳さんが今の関係崩してまで気持ちを打ち明けるわけないって事も解る。
頭では解っててもどうにもならないからムカつく。
「はぁー…先週はあんなに楽しかったのになー…」
柳さんが俺と一緒にいると元気になるって言ってくれて、それで充分だったのに。
今は違う。
どんどんと欲張りになっていく自分が解る。
欲張りっていうと何か可愛げあるけど、俺のは醜い貪欲さだ。
他に目をやるのが許せない。
他の誰と話してるのも許せない。
だから前は平気だった事まで全部が嫌な光景に見えてしまう。
前は喋ってるだけで、一緒にいるだけで充分だって思ってたのに、
欲を知って俺がどんどんと嫌な奴になっていく。
このままじゃダメだ。
もう一歩先に進まないとどうにもならないところまできてる。
俺は便所に行ったついでに顔を洗って気合を入れ直し、部室に戻った。
真田副部長もう帰ってますように!と部室のドアの前で手を合わせて祈り、そーっとドアを開けた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だ、赤也」
イタズラ見つかった子供みたいな俺の様子に、笑いを含んだ大好きな声が聞こえてきた。
「あの様子ではお前への鉄拳は避けられないと思ったから先に帰らせた」
「そうっスか…」
よかった、と安心していそいそと中に入った。
他の先輩たちももう帰ったのか、部室は柳さん一人だけだ。
俺はさっき思いっきり怒りをぶつけたロッカーをもう一度開けてネクタイを取り出して首に巻いた。
部活終わりだし、さっきの怒りで更に体温上がって着る気の起きないブレザーと荷物の詰まったテニスバッグを出した。
それを持って柳さんの座る正面の椅子に腰掛けた。
柳さんの顔見てるだけでさっきまでのイライラとした気持ちが急速に萎えていく。
「まだ終わんないっスか?」
「ああ…まだ少しかかる……」
胸ポケットからは相変わらず白い紐が伸びていて、この人の形のいい耳に繋がっている。
何聴いてんだろ。
気になった俺は立ち上がり、机に体を乗り出した。
そして丸井先輩がやっていたようにイヤホンを引っこ抜いて自分の耳に繋げる。
「―――あ、こっちのアルバムも聴いてくれてんっスね」
耳に入ってくるのは英語じゃなく、俺でも解る日本語の曲。
柳さんのウソで俺が選んだ方のCDに収録してあるやつだ。
「ああ。何曲か気に入ったのがあったからな…」
どんなのが好みなんだろ。
柳さんの胸ポケットに収まった小さな機械に手を伸ばした。
流石にポケットに手ぇつっこむのは躊躇われたからコードを引っ張ってそれを取り出して操作する。
俺の持ってるやつとちょっと勝手が違うからよく解らなかったけど、やっと曲の入ったフォルダが見つかった。
「…へぇー女性ボーカル曲が好きなんだ」
容量をまだまだ残した状態で入っている十数曲のうち、8割ぐらいはそれだった。
「騒がしいのは好みではないがバラードだと意外と聴けるものだな。これからは聴かず嫌いは止めようと思った」
聴かず嫌いって。
食わず嫌いみたいに言うのがおかしくて思わず吹き出した。
この人でも変な日本語使うんだ。
「赤也のおかげだな」
「へ?」
何が?!変な日本語が?!
「俺達は趣味も嗜好も全く違うが、それが逆に新鮮だ」
「そうっスか。俺もです!」
俺なんか一生かかっても絶対読まない量の本を読んで得ただろう柳さんの知識を知るのは面白い。
「此間のゲームセンターもそうだったが…赤也の見ている世界を知るのが楽しい」
すみません。
突然何言い出すんですかこの人は。
驚きすぎて声が出ない。
「どうした?」
何でもないって顔をしていきなり固まった俺を覗き込む。
ちょっ…だから近っっ!!
俺は耳に入ったままだったイヤホン引っ張って取って慌てて椅子に座り直す。
「なっ…何でもないっっ!」
「この前からそればかりだな」
ほんとにね…返す言葉もないです。
けどこうやってこの人の言う言葉や起こす行動の一つ一つに過剰反応してしまう。
ほんとに好きなんだなあ…
「何がだ?」
「は?!」
「だから、何が本当に好きなんだ?」
「えええええっっ!!!いっ…今口に出してましたか?!」
「ああ…確かにそう聞こえた」
何で?
無意識に漏れた言葉に俺は頭を抱えた。
どうしよう。
誤魔化し切れない。
この人相手にウソなんて言う自信がない。
ウソが言えないならもう言うしかない。
本当の気持ちを。
「……っスよ…」
「何?」
呟くように言った声は届かなかった。
柳さんは片耳に入ったままのイヤホンを取って訝しげに俺を見つめてくる。
「アンタですよ!俺が好きなのは…」
一瞬何を言われているのか解らないって顔をした。
何か一回声に出して言ったらさっきまでの恥ずかしさとか躊躇いとか無くなった。
だから俺はもう一度、今度は自分の意思で、はっきりと言った。
「好きです柳さん」
一世一代の告白。
結果は解りきっていた。
絶対に断られる事が前提の告白だと思っていた。
だってこの人は違う奴が好きなんだ。
俺の気持ちなど伝えるだけが精一杯だと思っていた。
届かない。受け入れてもらえない。
そう思っていたけど、声に出さずにいられなかった。
そしてキッパリとフラれる覚悟だったんだ。
「すまない赤也」と。
「俺は他に好きな人が」と。
なのに、何故か柳さんは俺の予想を裏切る答えを出した。
ただ一言。
「……うん」
そう言って頷いただけだった。
どういう意味なんだろう。
嫌なら嫌だとハッキリ言ってほしい。
柳さんが何考えてるのかさっぱり解らない。
その場にいるのが居た堪れなくなって、俺は挨拶もせず部室を飛び出した。
言えないだろうと思っていた一言は意外とすんなり口を割って出てきた。
そして返された答えも意外なものだった。
家に帰って着替えて、お袋に言われるまま飯食って。
片付かないからさっさと風呂に入れって風呂場に放り込まれた。
湯船に浸かりながら今日言われた事を思い出す。
うんって。
うんって何だよ。
だからどうしたって事なのか?
もしかして悪い冗談だとか思われてんのかな。
あ、もしかして軽く流されたとか?
冗談じゃねぇ!
俺は真剣なのに。
このままじゃすっきりしねえ。
俺は風呂から上がって柳さんに電話しようと思った。
こんな気持ち抱えたまま明日まで待てない。
勢いよく風呂から上がって、脱衣所に戻るとポケットに入れっぱなしにしていた携帯が鳴っていた。
ディスプレイを見れば、
「えっ…柳さん?!」
1週間前はこの電話の着信が幸せの始まりだった。
けど今は、どうなんだろう。
何の用なんだろう。
聞きたいけど聞きたくない。
でも迷ってても仕方ない。
俺は通話ボタンを押した。
「…もしもし…柳さん?」
「赤也…夜分にすまない。今大丈夫か?」
たぶんなかなか出なかった事に対して気遣ってくれてるんだ。
緊張して上手く声が出ないけど、なるべく明るい声で返す。
「大丈夫っスよ」
「その…今赤也の家のすぐ近くに来てるんだが……」
「行く!行きます!!今どこいるんっスか?!」
願ったり叶ったりの状況に俺は電話口に噛み付く。
柳さんの居場所を聞き出し、急いでパジャマ代わりにしてるジャージを着て、
携帯と財布だけポケットに突っ込んで家を飛び出した。
「柳さんっ!!」
家から一番近いコンビニの軒先にある車止めポールに腰掛けてるその姿が目に入る。
まだ制服姿って事は家に帰らず学校からここに直行したって事か?
俺の声にこっちに気付いたのか立ち上がって近付いてきた。
「赤也…すまない。こんな時間に…」
「いや、全然!大丈夫っス!!」
「少し話がしたいんだが…」
ここでは、と周りを見渡す。
深夜でも出入りの激しい場所だから、まだ早い時間と言える今は客足が絶えない。
俺は少し離れた公園に連れて行った。
普段は不良の溜まり場みたいになってる場所だけど、今日は誰もいなかった。
俺達は入口に一番近いベンチに座る。
何か死刑宣告待ってる気分。
何言われんだろ…とドキドキしながら柳さんの言葉を待った。
「…すまなかったな…その…変な返答をしてしまって……」
「え…?」
「いきなりの事で…上手く返せなかった。だが信じてくれ。決してお前の気持ちを疑ったわけじゃない。
軽く流そうなどという考えではなかった」
この人ほんとすげぇな…
俺の不安に思ってる事なんてお見通しだったんだ。
まあ俺の態度も悪かったけど。
怒って出てったと思ったんだ。
いきなり逃げ帰ったらそう思うよな、普通。
外灯にぼんやりと浮かぶ柳さんの顔は見た事も無いような表情をしていた。
困ってる?
切羽詰ってる?
余裕がない感じがする。
だからこうしてわざわざ会いに来てくれたんだろうか。
明日を待てない程に俺に言いたい事って何なんだろう。
「逆に…真剣だと解ったからこそどうしていいか解らなかった」
「…迷惑だったって事っスか?」
「違う!」
ビックリした。
間髪入れず大きな声で否定されて。
っていうか柳さんも自分の声に驚いたのか、気まずそうな顔して俯いた。
「……迷惑などと思うわけが無い…」
今度は声のトーン落として、でもハッキリ聞こえた。
よかった。
俺の勝手な片想いで迷惑かけんのだけは嫌だからな。
けど何かよく解らなくなってきた。
結局この人は何が言いたいんだろう。
「…俺は狡い」
「何が?」
「どこかお前のあの言葉を待っていた。少なからず好意を持ってくれていると解っていたから……
だがいざそうなった時…俺は逃げてしまった」
知ってたのか!って驚きと、ああやっぱり…って納得が同時に心に落ちる。
俺が解りやす過ぎるってのと、この人の敏感さ。
俺の片想いなんて筒抜けだったんだ。
「…アンタ…真田副部長の事が好きなんだろ?」
禁句に近いと思ってたこの一言。
俺があっさり言ってのけたもんだから、柳さんは素直に頷いてくれた。
「お前が明確な一言をくれれば、それで俺の気持ちも前に進むと思っていた。そう信じていた。
でも……やっぱり変わらなかった。変われなかった」
「…人の気持ちなんてそんなモンっスよ」
「報われない思いをいつまでも抱えていても仕方ないと解っている。でも今は……赤也を一番に考えてやれない」
「それがアンタの答えっスか?」
少し考える素振り、そして柳さんは静かに頷いた。
解ってた答えなのに、何故か腑に落ちない。
何でだ?
俺は柳さんの言葉を思い出す。
『赤也を一番に考えてやれない』
これじゃない。
これは解ってた事だし。
『どこかお前のあの言葉を待っていた』
違う。
ここじゃない。
遡りすぎた。
『お前が明確な一言をくれればそれで俺の気持ちも前に進むと思っていた』
これだ。
どういう意味だ?
俺の告白を待ってて、それでその言葉で気持ちが変わると思ってた。
そういう事だよな。
「……あれ?ちょっと待って…」
「どうした?」
「…アンタもしかして俺の事好き?!」
「お前…さっきの俺の話聞いてたか?」
「聞いてましたよ!だってそういう事でしょ?一番じゃないってだけで俺の事何とも思ってないとは言ってない!」
呆れた顔が一瞬、その後すっげー戸惑った表情を見せた。
何だ、この人自分で気付いてなかったのか?
「好きだけど2番目って事?」
「っ…人を思う気持ちに一番も二番もないっ!」
「けど俺の一言で自分の思いが変わるかもしれないって思ってたんだろ?!そんだけ思っててくれりゃ充分っスよ!」
「でも変わらなかった」
だから何?
そんな思いつめた顔して目ぇ逸らすような事じゃないでしょ。
全く見込みがないわけじゃないって解った現金な俺の心は俄然元気を取り戻した。
「けど可能性はゼロじゃないんでしょ?」
「しかし…」
「あーもう!」
まどろっこしい!!
「アンタ結局どうしたいんだよ」
そう。
俺はそれが知りたい。
話をまとめると、好きな人は他にいるけど俺の事が全く眼中にないって訳じゃないって事だよな。
俺、都合よく解釈しすぎてんのか?
「……解らない」
柳さんは長い間を置いて、俯いたままぽつりとそう言った。
§:蓮二
確かにその瞬間を待っていた。
赤也がはっきりとその言葉を言ってくれれば俺の気持ちはそちらに傾くと思っていたのだ。
だが現実はそんなに甘くはなかった。
魔法の様な言葉は俺を更に迷いの森へと引きずり込んだ。
これは今までさんざんに赤也の思いを無下にしてきた報いなのだろうか。
狡いと解っていた。
それでも赤也がいてくれていたお陰で随分と救われたのも事実。
赤也が俺を思っていてくれて、そして俺を決して傷付けないと解っているから。
だがここにきて尚、まだそれに縋るなどという都合のよい事が許されるはずもない。
これまでならば、まだ何も知らないのだという風な顔をして利用することができた。
しかし今ははっきりと赤也の気持ちを知ってしまっているのだ。
俺を救ってくれるだろうと望んだその一言は、中途半端だった俺を奈落へと突き落とした。
赤也の事は好きだ。
憎からず思っているからこそ受け入れる事ができない。
しかし嫌いだとはっきり突き放す事はできなかった。
何故なら赤也の言った通りだったから。
好きだけど二番目。
その言葉に心が納得を示した。
だがどう考えたって普通ではない。
あちらが駄目だから、こちらを保留にしておいて、などという事は。
部活前の暫しの間。
弦一郎がコートに入るまで部員達も各々にストレッチをして体を温めている。
俺はベンチに座って今日のメニューの調節をしていた。
そこに、やはり、というかここのところの常というか赤也がやってきて隣に座った。
どうしたいのだと言われて、はっきりとした答えを出せなかった。
本当に解らなかったから。
俺自身どうすればいいのかが解らなかった。
何事にも明確な答えを出さなければすっきりしない性分だというのに。
だがその俺の答えをどう捉えたのか、赤也は次の日から猛攻を開始した。
俺を好きだと言って憚らないのだ。
周りに人がいようと関係がないとばかりに隣に居たがる。
こちらが戸惑い、咎めようと聞き入れようとしない。
もし何か勘違いをさせているのなら悪いと思い、些か気は引けたがもう一度話題に出した。
目の前にある事実を歪曲して自分に都合の良い解釈をしているとばかり思っていた。
しかし意外な事に赤也は全て理解していた。
理解した上で行動に移しているというのなら、尚更解さない。
そう言うと至極心外だとばかりに顔を歪めた。
「だってアンタ別に俺の事嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「そうだが……」
「なら可能性あるんじゃないっスか?限りなく0%に近い確率はまだゼロじゃないっスよ」
臆病で慎重すぎる俺にはできない選択を赤也はしたのだ。
どんな状況になっても、どんな状況になろうと、誰の目にどんなに無様に映ろうと諦めない。
「やんわり回りくどく諦めさせようったって無駄ですよ。
俺はアンタが泣いて喚いて俺なんか嫌いだっつって、この世から消えて欲しいって思うぐらい嫌われるまで諦めねえから」
それが出来ないと解っていて赤也は俺を追い詰めているのだろうか。
やはりこれまでの報いなのだ。
「俺も大概だと思っていたがお前も相当だ…」
「何が?」
「お前も狡い」
「どこがー?」
「…俺がそう言えない事を解っているところが、だ」
いけない事だと解っていながら、やはり出来なかった。
俺に向けられるこの思いを簡単に斬り捨てられるほど、赤也への気持ちは薄くは無かった。
俺は真っ直ぐ見つめてくる赤也の瞳から逃れるように再び手の中のバインダーに視線を戻す。
「俺別に2番目の男でもいいっスよ?」
「俺が嫌だ」
真っ直ぐな赤也の気持ちを俺の勝手な都合で振り回したくない。
いや、実際もう振り回しているのだという事実はさて置き。
自分の気持ちがはっきりするまで、この手は取ってはいけない。
「わっかんねぇなー……俺がアンタを一番好きってだけじゃダメなの?」
「俺がお前を一番に出来なければ意味が無い」
「えー?」
「お前を二度苦しめる事になる。それでいいのか?隣にいる俺が、他の誰かを見ているところを一番近くで見ていられるのか?」
視線を上げてちらりと様子を伺うと、赤也はその瞬間を想像したのか不機嫌に頬を膨れさせる。
「じゃあ早く一番好きになってよ」
「…無茶を言うな」
「じゃあどうやったら一番になれる?俺すぐに真田副部長なんか追い越すよ?」
「そういう問題ではない」
弦一郎と赤也は別の生き物なのだから、たとえ赤也があいつのようになったとしても、それで気持ちが変わるわけではない。
自分自身持て余している、この中途半端な思いにこれ以上付き合わせるわけにはいかない。
「俺自身理解しえない思いの所為でお前を振り回すつもりはない。だから―――」
「何で?!」
「…え?」
「振り回せよ!突き放そうとすんな!!」
突然の大声に部員たちも何事かとこちらに視線を向けているのが解った。
だが怖ろしい程に真剣な表情の赤也から目を離す事ができない。
大きな声を出すな、周りをよく見ろとは言えなかった。
「何かあったのですか?!」
遠巻きに見ているだけだった平部員の向こうから柳生が走ってきて仲裁に入った。
喧嘩でもしているのだと思ったのだろう。
戸惑いの表情を浮かべている。
「切原君?どうされたんです?」
「俺はアンタに突き放されて何でもないって顔されるぐらいなら、振り回されてボロボロに傷付けられた方がまだマシだ」
柳生の声など耳には入っていないとばかりに、赤也はじっと俺だけを見つめてくる。
俺も目が離せなかった。
「何をしている!!もうアップは終わったのか、赤也!!」
「へーい」
いつの間にかコートに来ていたらしい弦一郎の怒鳴り声に、赤也はそのままコートへと行ってしまった。
あまりの迫力にしばらくぼんやりその背中を見送る。
呆気に取られていた柳生も、赤也の背中が見えなくなると隣に座った。
「…彼はどこまでも真っ直ぐですね」
「こちらが戸惑う程にな。少し羨ましい」
「おや、あんな風に真っ直ぐ思いたいお相手でもいるのですか?」
あれだけ明け透けな態度に赤也の思いを知る柳生はからかっているのだ。
こいつもなかなかに性格がいい。
流石、部内で弦一郎も手を焼く男を手懐けペアを組んでいるだけある。
「…いい加減あんな辛い思いをさせないようにな」
「今の言葉、切原君が聞けば喜びますよ」
「言わなくていいからな」
「さてどうしましょうか?」
こいつは、と睨むが柳生は軽く肩を竦めるだけで聞いている様子はない。
「俺自身どうなるかも解らん状態だというのに、そんな先の見えない不安定なものであいつを縛る事はできん」
「でも彼はそれをも厭わないと言ってますよ?」
「俺が嫌なんだ」
「君は本当に真面目で融通がききませんね。それに利己的だ」
「…何?」
聞き捨てなら無いともう一度睨むと、今度は睨み返された。
「切原君の気持ちを思っているような風を装って、その実保身を図っている事に気付いていないのですか?」
気付いていた。
だが実際に声に出された言葉は容赦なく心に突き刺さる。
「まあ賢明な君の事です。私に言われずとも解っているとは思いますが……」
固まってしまった俺の様子にフォローを入れるように間髪入れず柳生は言う。
「すみません。出すぎた真似を……これはお二人の問題だというのに」
「いや、耳が痛い」
本当に、柳生の言う通りだ。
赤也の為だと言いながらも自分の楽なように逃げていた。
狡い自分が嫌で、許せなくて、だから前に進めないだけなのだ。
本当は赤也の事など半分も思っていない、利己的な意思。
改めて指摘され、俺は自分の思いともう一度膝を突き合わせて話がしたいと思った。
「柳生!仁王!コートに入れ!!」
弦一郎の声が遠くにする。
それを聞いて柳生は腰を上げた。
そろそろ俺も練習に行かなければと立ち上がり、一緒にコートへと向かう。
「君にも事情があるのでしょうし、色々と考えているのでしょうが…私にも一つだけ解る事がありますよ」
「何だ?」
「あの手を取れば君が間違いなく幸せになれる、という事です」
そう言って柳生の指差した先にあるのは、すでに練習を始めた赤也の姿。
真剣な瞳でボールを追いかけている。
「あの行動力にあの情熱…彼は君を傷付けたり裏切ったりする事はないでしょう」
「…お前もロマンチストだな」
「お褒めに預かり光栄です」
呆れを含んだ俺の言葉にも動じず、柳生は笑いながらコートへと入って行った。
【中篇】