トリカゴ

真っ白な箱庭で。
鈍く金に光るトリカゴを持った少年が一人。
ぼんやりと中に入っている、人形を眺めている。
ただ時間が流れているだけの空間。
静かで、静かすぎて耳鳴りがする。
でもその少年には、その耳鳴りさえ届きはしない。






郊外にある精神病院の一室では、毎日毎日同じ光景が繰り返し繰り返し行われていた。
真っ黒な、艶のある伸びっぱなしの髪。
細い肢体。
長い手足。
そして両手には大きな金色に輝くトリカゴを抱えている少年が、ある病室をいつもいつも眺めていた。

その病室の中には、彼と同年代の少年が二人、仲睦まじく時を共有していた。
それを至極悲しげな瞳で、ただ見つめいる。


「侑士」
強い声に侑士、と呼ばれたその少年が振り返ることはない。
侑士は自分は自分ではないと認識しているから。
彼の心は抱えた大きなトリカゴに入っている人形に宿っているらしい。
否、少なくとも侑士はそう思っているのだ。


侑士は心を病んでいた。
原因ははっきりしていないがこの病院に赴任してきた時点ではもう入院をしていた。
声をかけた主、彼の主治医である跡部は侑士の出逢いを思い出そうとしたがどうしても思い出せなかった。
すごく印象的だったにも関らず、そこだけが記憶から抜け落ちてしまったかの様に思い出せないでいた。


「おい、病室に帰るぞ」
侑士自身ではなく、彼がが宿っている人形に声をかけると侑士自身から微笑みが返ってくる。
そして裸足のままの足先を進ませ、カーテンに仕切られた自分の入院している病室へと帰っていった。
やれやれと溜め息を吐き、それを確認すると今度は侑士が覗いていた病室を覗いた。


相変わらずこの二人はずっと一緒にいたらしい。
跡部はその病室に入るとベッドにうつ伏せて眠っている体をストレッチャーに乗せ、その患者を病室へと帰した。

彼の名は慈郎と言う。
彼もここの住人である。
当然ではあるが心を病んでいる。
彼は所構わず突然睡魔に襲われる病気だ。
身体的な障害はないのだが目覚めたときの精神状態が不安定な為、ここに入院している。
そしてもう一人。
慈郎が毎日側にいて離れない相手。
彼の名はブン太。
彼は実弟が目の前で殺害されたのを目撃してしまい、そのことがトラウマになっている。
その所為でずっと眠ったままなのだ。
ずっと自分の殻の中に閉じこもったまま、そこから出ようとはしない。
目覚めたとしても、その時心を開くのは慈郎にだけで、医者やナースたちも近付けようとはしなかった。


跡部は侑士だけの担当だったが何の因縁かこの二人の面倒もよく見ていた。
理由は一つ。
侑士がずっと慈郎の病室に通っているから。
侑士は二人が愛し合っているのことを知りながら慈郎を愛していた。
トリカゴを抱き締めたまま、感情の無い瞳でずっと二人を見つめたまま、一日中でも慈郎の病室の前で立ち尽くしていた。
そんな侑士を放っておけない跡部は彼につきっきりで治療をしていた。
何とか自分が侑士の救いになればと懸命になったものの、それが届く事は無かった。




そんな一日が、また始まろうとしている。
朝、病院へ行くと朝食を済ませたばかりの侑士が慈郎の病室へと向かうところだった。
そう珍しくは無い光景だったが、今日は何故かいつもと様子が違っていた。
「侑士?どうした」
跡部はいつものように侑士の抱えたトリカゴに入った人形に声をかける。
返事が返ってくることはない。
「おい」
「………外…お外ー出たい…出たいって…ゆーし…ゆうしが…お外…」
ゆっくりと、言葉をつっかえながらも声を紡ぐ。
その言葉は果たして意味を持っているのか、定かではないが
一言一句聞き逃すまいと跡部は侑士の表情を伺いながら耳を欹てた。
「外にでたいのか?」
「ゆうし………がね…出たいんやって…」
侑士は人形をじっと見つめたままぶつぶつとそれだけを何度も繰り返し言っている。
言っている意味を汲み取ると跡部はトリカゴの扉を開けてやり、人形を外へと出してやった。
「ほら、これでいいんだろ?」
「…ゆーしね……ゆうし…な…やっと自由になれた……自由に…」
侑士は跡部の手の中にある人形の頭を撫で、嬉しそうに笑った後、少し翳りのある表情を残した。
「病室に帰るぞ、侑士」
「ゆうしも一緒にな」
侑士は跡部の手から人形を受け取ると一人で病室へと帰っていった。


「何かあったのか…?」
跡部はそれを見送ると向かいにある慈郎の病室に弾かれたように入った。
そこには、意識を取り戻したブン太と、眠りから覚めた慈郎がいた。
ブン太は目覚めた後、過食症状を見せる為、今もお菓子を両手いっぱいに抱えて食べている。
それを幸せそうに眺める慈郎に近付く。
「ジロー……目、覚めたのか?」
「誰だ…おめぇ」
慈郎は眠る度に前の記憶を眠りの中に置いてきてしまう為、跡部の存在を知らないでいた。
正確には忘れているのだけなのだが、何故かブン太の記憶だけは鮮明に残っているらしい。
だからブン太以外の人間に心を開くことがない。
それはブン太にもいえる事で、跡部の事などまるで関係ないと食べ続けている。
侑士も慈郎の記憶障害に例外なくあてはまってしまうわけで、何か酷い事を言われたのではないかと心配になる。
「ジロー、あいつに…侑士に何か言ったのか?」
「お前邪魔って言った」
「なっ…!」
「ブン太と二人で…いたいから…邪魔だから死ねって言った」
罪の意識などまるでない様子で満面の笑顔を浮かべて慈郎はブン太の体に抱きついた。
そう、慈郎に罪の意識などないのだ。
ただ、ブン太と二人っきりになる為に侑士の存在が邪魔になったからそう言っただけなのだ。


跡部は急いで侑士の元へと走っていった。
手遅れになる前に。


「侑士!!!」
最悪の状況は、免れていた。
侑士は日の当たらない薄暗い病室の片隅で、空になったトリカゴを抱き締めてしゃがみこんでいた。
「侑士…よかった……よかった…」
跡部は侑士の細い肩を抱き締め、顔を覗き込んで凍りついた。
目の生気は消え失せ、生きているのか死んでいるのかも解らない様な顔色で死んだ瞳をトリカゴに向けていた。
「…お…おい…侑士?」
「侑士は死んだで……だっていらん子やねんもん………誰も…な…
いらんねんもん………ゆうしはいらん子…………やから死んじゃった…」
ふと、ベッドの上を見ると、侑士が宿った人形が、包帯を巻きつけられ天井からぶら下げられている。


首吊り、自殺をしたのだ。


「おいしっかりしろっ!!!」
肩を揺さぶり瞳を覗くも焦点が跡部に合わされることはない。
居た堪れなくなり、跡部は侑士の瞳をしっかりと捕らえ、更に強く肩を揺さぶった。
「侑士!しっかりしろっっ!!俺の目を見ろ!!侑士っ……!!しっかりしろっっ!!!」


何度も何度も。
繰り返し、繰り返し。



だんだんと意識が混濁しているような気がした。


何故だ……?
俺はどうしたっていうんだ?
侑士の声が遠くに、しかしはっきりと鮮明に聞こえる。












「しっかりするんはお前の方やで、跡部」











何だって?
俺がどうして?
お前は一体何を言ってるんだ…?




「なあ跡部っっ!しっかりせぇや!俺のこと見んかい!!」

侑士…何を……?
だって俺は精神科医で、こいつの主治医なはず。


「なぁもう止めようや…っっこんな………っっ!!しっかりせぇやほんま…」
侑士は俺の肩を掴んで、抱きついて声を上げて泣いている。


どうして…?


泣きたいのは俺の方だというのに。

「聞いてんか?聞こえてんか?跡部っ」
「何…言ってんだよ…お前…喋れるんじゃねぇの……人形がなくても…喋ってる…人形がないと喋れなかっただろ?」
「それはお前の妄想の世界での話や」

静かに吐かれる悲しげな言葉。



何だって…?
俺の、妄想の世界…?

「お前…俺やジローやブン太の事…精神病やと思い込んでて…自分が医者やて…思い込んでるだけやねんで?」

そんなバカな。
だって俺は現に侑士の治療をしていたじゃないか。

「俺が…ジローの事好きやて勝手に思い込んで…俺までおかしなりそうやわ!!」


だってお前はジローを愛しているんだろう?
だってそう言ってたんじゃねぇか。


「なぁ跡部…っ…」
「侑士…大丈夫か…?お前ちょっとおかしいぜ?」



「おかしいのは跡部の方や…俺がジローを好きやって思い込んで…俺が愛してるんはお前だけやのに…」










ああ、そうだった。
俺は、侑士の愛を疑って。
ジローとのあらぬ仲を疑って。
侑士を捕らえたままにする為に、この道を選んだのだ。








――――   本当に   トリカゴの中にいたのは    俺の方だ   ――――











「お疲れさんやな」
「侑士…跡部は?」
「薬で眠っとるわ」
侑士は錯乱状態の跡部を薬で眠らせると、慈郎とブン太のいる病室へと行った。
中に入ると侑士は力なくベッドに座り、大きなため息を吐いた。
心身ともに疲れきった侑士の表情を見つめ慈郎は心配そうな顔を向けた。
「大丈夫?」
「あぁ…大丈夫や…けどいつまで…いつまで続くんやろ…こんな生活…」
「あいつを助けたいんだろぃ?だったらもうちょっとの辛抱だから頑張ろうぜ。俺も協力してやっからさ」
ブン太に肩を叩かれ、侑士の緩んでいた涙腺から涙が零れ落ちた。
「おおきにな……ほんま…治るんかな…治った後もまた前みたいに…俺と一緒におってくれるやろか…?」
「大丈夫だって。…今は信じて今の生活を続けようよ。跡部の望む俺たちでいよう。
そしたらいつか絶対解決の糸口は見えるはずだからさ。な?」
「うん…おおきにジロー……」




三人は跡部の妄想の世界に棲む自分を演じている。


侑士は自分を放棄した少年を。
慈郎は自分から逃げた少年を。
ブン太は自分を制御できない少年を。

全ては跡部の妄想の世界【トリカゴ】の中の自分。



跡部の中には鈍く光る大きな金のトリカゴがあって、その中には精神を病んだ侑士が棲み付いているのだ。
否、正確には彼がそれを飼い続けているのだ。
どこへも逃げられないように、愛という名の凶器―狂気で雁字搦めに縛り付けて。





「お前らこんなとこいやがったのか…さっさと病室戻るぞ」


そして、また跡部が目覚めると、いつもの生活が始まる―――









俺の愛する人は精神を病んでいます。

彼の事を思えば心が痛み、そして頭が狂いそうなほど辛い。

でも、それでも俺は幸せなのです。
だって。
彼のトリカゴに棲む鳥はたった一羽、俺だけだから。
彼の中には俺だけが棲んでいるから、この上なく幸せなのです。

だから今のこんな生活も耐えられるんです。

この先、彼が自我を取り戻したとしても。
そう、何があったとしても俺はこのトリカゴから出ることはないでしょう。
たとえ大きく開け放たれた扉が目の前にあったとしても、飛び立つ事はありません。



ずっと、ずっと。
彼というトリカゴの中で、彼の寵愛を受けて生き続けるのです。

それが俺の幸せだから。
この歪んだ愛だけが、俺たちの真実なのです。



Endless L∞P〜

再利用作品の跡忍変換。
この話の元は、俺の見た夢と第三舞台の名作『トランス』という舞台。
トランスは大学の授業で見たんやが、あの時の衝撃ったらない。
何てすげぇ話なんだ!!と。
夢も…ある意味とんでもな内容やった。
何ちゅーぶっ飛んだ夢見てんや…と病んだし。
ほぼこの話と同じ展開の夢を見たのですよ。
是非映像作品にしたいぐらい絵が綺麗でね。
さて。
本当に病んでたのは跡部様ってお話ですよ。
まぁ…原作やアニメでの飛び道具的位置な彼ですもの。
これぐらいやっても大丈夫大丈夫。
何故ブン太かって?そりゃそこにジローがいるからですよ。
最初宍戸さんにしようかと思ったけど何か笑えないのでやめた。
跡部様は忍足が好きで好きで素で無我の境地にイっちゃったってお話でした。
「そんなもん素でできるんだよ!!(バイキングホーン)」を見て
あ、この人素の状態で無我をも越えちゃってんだ…って思ったからね。ハハ

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