冬至のおはなし。
The Kind of Citrus
期末試験を無事に乗り越え、年の瀬も徐々に押し迫ってきている。
冬休みを目前に浮かれきった町中の様子に光は苛立ちを隠せなかった。
奴は間違いなくクリスマスを楽しみにしている。
数日前よりそわそわと視線を寄越し、タイミングを見計らっているのは明白。
しかし何故恋人同士でもない、ただの先輩後輩である自分達が脳内に花を咲かせて浮かれきった奴らと同じような過ごし方をしなければならないのかと絶対に回避したいと思っていた。
そもそも謙也は受験生で、そんな浮かれた休日を過ごしているヒマなどないはずなのだ。
ここは断固として拒否しなければと心に決めていた。
「ひか……」
「嫌です」
「まだ何も言うてへんやん!!」
そんな強い決心がうっかりと口から出てしまったようで、謙也の情けない顔が視界に入り込む。
「どうせクリスマス暇やし遊べへん?とかでしょ」
「な、何で解ったん……」
やはりそうかと何となく苛立ちを覚えた。
光は一つ派手に溜息を聞かせると鋭い視線を送った。
「何で俺が暇やって決めつけてんすか」
「なっっ!!いいいい忙しいん?!だだだ誰かと……っ?!えっ、先約あったん?!」
「一ヶ月以上前から」
「嘘やん!!え、ほんまに?!」
だから何故そう決めつけてくるのだと苛立ちも増していく。
光は謙也から視線を外すと黙って歩き始める。
そもそも何故引退してからもこうして一緒に帰っているのだろうと疑問に思う。
同級生には友達も多く、慕う後輩も沢山いるというのに何故こうも自分に構うのだろう。
こちらの気も知らずに、と知らず知らずと心の中で恨み節を呟く日々も随分と長くなった。
謙也がこうして自分を誘う事に何の他意もない。
ただ誰にも懐かない後輩を気にかけているだけなのだ。
反して光は心に大きな影を抱え込んでいた。
それは絶対に謙也に知られてはならない薄暗い心の奥底だった。
「なあ光ほんまなん?誰と一緒なん?え、彼女とかおったっけ?自分」
「何でそうなんねん……普通に家族と過ごしますよ」
本来のクリスマスとはそういうものなのだから、下らない日本的な商戦になど誰が乗ってやるかという心が半分。
普段は忙しい家族が食卓に揃う滅多とない機会を密かに楽しみにしている心が半分といったところだろう。
それに今年は甥っ子が家族の前で幼稚園で習ったお遊戯をしたいからとその手伝いをする事も義姉から強要されてしまっている。
今更嫌ですなどと言えば何を言われるやら、である。
とにかく家族での面倒事は極力回避して円滑に暮らしたいと願う光にとって、クリスマスを家族以外と過ごすなどという選択の余地はなかった。
「そうなんや……そうなんや!」
「何でそんな嬉しそうなんっスか……」
「えーせやかて光が誰かのもんなってしもたらもう俺と遊んでくれんやん。そんなんおもんないわー」
「俺は別にあんたの事喜ばす為にいてるんやないんっスけど」
素直ではない言葉ばかりが口をついて出てしまうが、本当は嬉しくて叫び出したい程だった。
しかし光は知っていた。
こんな言葉など戯れで、謙也がたった一人の誰かを見つけてしまえば自分など全く顧みず、その誰か一筋となる事を。
いつか来てしまうその日を思い、胸に過る寒風に酷く痛む思いを抱え込んだ。
クリスマスに予定があると聞いた時、全身の血が一斉に引いていく思いだった。
謙也の頭の中に、その可能性は全く入っていなかったからだ。
しかし家族と過ごすと聞いて今度は体から力が抜けていった。
そもそも部活で忙しい光の自由になる時間の殆どを占領しているというのに、恋人を作る暇などあるはずがないと自分に言い聞かせ、逸る鼓動を抑え込む。
いつそうなってもおかしくないのは謙也にも十分に分かっている。
ただでさえ目立つ運動部のエースで、部長で、この容姿。
性格は多少取っ付き難いところもあるが、慣れれば甘える態度も見せてくれてまたそれがたまらないのだ。
そんな時は自分は光に選ばれたのだなどと勘違いしたくもなる。
だがこうして時折現実を突きつけられるとその度に青くなっていた。
光といると楽しくて嬉しくて、他の事などどうでもよくなる。
だからこそ、光が誰か一人のものになってしまうなど考えたくもなかった。
「何やってんっすか」
道のど真ん中に立ち尽くす謙也を振り返り、少し先まで歩いて行っていた光が不思議そうに眺めている。
我に返った謙也は慌てて光の元まで小走りで近付く。
「ほ、ほな明日!明日は?明日の土曜!!」
「明日……家にはいてますけど」
「けど?何なん?何かあるん?」
「……つーかあんた勉強せんでええんですか?追い込み時期やし塾あるんやないんっすか?冬期講習あるんでしょ?」
冷たい声で現実を突きつけられ、一瞬怯んでしまったが負けずに食らいつく。
「あるけど明日は夕方までやねん。せやからそれから遊んでや」
「家帰って勉強せぇよ……」
うんざりといった表情に負けてしまい、結局約束を取り付ける事はかなわなかった。
しかしその程度の事は想定内とばかりに謙也は翌日、塾の授業が終わったその足で光の家へと赴いた。
門扉の横に備え付けられたインターホンを押し、しばらく待っていると玄関が開いた。
だがそこに立っている謙也を見て、玄関から出てきた光は慌てた様子で踵を返す。
「あーっっ!待って光待ってや!!……って、あれ?どないしたんそのカッコ……」
謙也は勝手に門扉を開くと玄関へと消える光の元へ駆け寄り、玄関扉を大きく開いた。
そこにいた光はいつも家で着ているジャージ姿ではなく、もこもこと温かそうな茶色のつなぎを身に着けている。
最近よく見ていたような感覚に襲われ、一瞬考えたがそれが角のないトナカイであると気付いた。
「え、もしかして……トナカイ?」
「……せやから来んな言うたのに」
僅かに赤らんだ顔を背け、俯きぶつぶつと恨み節を聞かされる。
だが普段すかした態度を取る光の意外な姿が見られたと謙也は思わずしげしげと眺めてしまった。
それが不興を買い、追い返されそうになるが玄関先で騒ぐ声を聞きつけた光の義姉により免れた。
「何やってんの。寒いねんから入って貰いや光。謙也君どうぞ上がりや」
「えっ」
「はい!おじゃましまーす!」
嫌そうな顔を隠さない光の隣をすり抜け、謙也はいそいそと靴を脱ぐと玄関を上がった。
勝手知ったる調子でそのままリビングまで行くと、サンタクロース姿の光の甥っ子がいた。
先程の光といい、何かあるのかと問えば幼稚園で習ったお遊戯を家族の前で披露する為に練習していたのだとはしゃいでいる。
なるほど、それで来てほしくなかったのかと納得した。
「へえ、俺にも見してや」
「ええで!ほんならここ座っててな!」
リビングのソファに座るよう勧めてくれている甥っことは対照的に、先刻よりも嫌そうな顔の光はリビングに入って来ようとしない。
廊下へ逃げるように背を向けるのを目敏く見つけた義姉によって道を阻まれてしまい、これ以上ないほどの無表情を貼り付けた光が目の前に立っている。
だがこの程度の光の不機嫌でめげる様な謙也ではなく、にこにこと笑顔で拍手を送った。
一生懸命歌いながらお遊戯をする甥っ子とは対照的に、トナカイの角をつけ無表情のまま鈴を振って鳴らす光に思わず吹き出しそうになるが、今笑っては手にした鈴が顔面めがけて飛んでくるだろう。
謙也は出来るだけ甥っ子に意識を向け、余計な事を考えようにした。
「ほんまありえへん…………何奇襲してきとんねん」
「ええやんええやん。練習すんねやったらお客おった方がやりがいあるやろ?」
散々練習に付き合わされ、ぐったりと疲れた様子で先刻まで謙也が座っていたソファに突っ伏す光の頭を撫でるがその手を跳ね除けられる。
「こんなカッコ誰にも見られたなかったわ」
「何で?めっちゃ可愛いで?」
突っ伏した状態から五月蝿い黙れとこもった声で悪態を吐かれるが、よく見れば耳が赤くなっていて照れているだけかと微笑ましく思う。
髪とソファの間から少し見えている頬を指で突いていると、キッチンの方から光の義姉が声を掛けてくる。
「謙也君晩御飯食べていくやろ?」
「ええんですか?」
「今日もご両親遅いんやろ?折角冬至なんやしうちで柚子風呂にも入っていき」
両親共に多忙な謙也の家庭事情もすっかり知るところとなる程に入り浸っている為こうして相伴に預かる事も多い。
形だけの確認を取ると嫌がっているのは光だけで、甥っ子も大喜びで一緒に風呂に入ると言っている。
「悪いけどうちの子入れたってくれる?光も一緒にな」
「はあ?何っ……」
「後つかえんねんから一緒に入ってや」
この家で義姉の命令は絶対で、光は一瞬の反論を飲み込み渋々といった調子で浴室へと向かう。
「……帰って早よ勉強せぇや……高校落ちたらどないすんねん」
「ちゃんとやってるって。もうA判定で安全圏やしな」
「そうやって油断しとったらええっすわ。ほんで落ちてもう一回中三やったらどないですか?」
「ほな光と同級生なれるしそれもええなあ。同じクラスなってやー一緒に勉強したり体育やったり部活でもう一回一緒にダブルスやったりで……それもええな」
光の嫌味や毒舌など慣れたもので謙也は軽く受け流したが、存外光は先刻と同じように耳を赤くして照れた様子を見せた。
「えっ……じ、冗談やで?本気にした?可愛いとこあるやんひか―――……」
「うっさいっすわ!!」
照れた光は手元にある柚子を投げつける暴挙に走り、それは同じ色をした謙也の頭へとクリーンヒットした。