こういう裏話でした。
それは君に捧ぐ唄
幼い頃から憧れている人がいた。
体が弱い所為で運動を止められていた自分にとって、彼は身近なヒーローだった。
野球が上手くて足が速くて優しい彼は、年の離れた兄の中学高校の無二の親友だった人だ。
甲子園を目指し、地方へ行ってしまった兄が里帰りする度家に連れてきていた為、光とも顔見知りであった。
年相応に走り回る事の敵わない光にとって、兄やその友の野球部での武勇は羨ましく、妬ましく、だがそれ以上に誇れる思いであった。
兎に角、光にとって兄達は自慢の存在であり、恋情に近い思いを抱く程に大好きな存在でもある。
時は過ぎてあの頃の兄達と同じ年の頃になっても光は相変わらずだった。
高校時代、趣味の音楽制作と並行して入った部活動は野球部。
ただし、選手としてではなくマネージャーとして。
医師からは成長すれば多少は体調も良くなるだろうと言われたが、体は思ったよりも丈夫には育ってはくれず、
相変わらずの虚弱体質で何かといえばすぐに熱を出し、貧血で倒れ、周囲を心配させていた。
中学に入学してすぐの頃は選手として少し過ごした時期もあったがそんな状態で選手として野球など出来るはずもなく、
だがどうしても兄達と同じように野球と携わりたくて渋る親を説き伏せて野球部マネージャーとなった。
冷静な客観性からくるずば抜けた洞察力と、幼い頃から兄達のプレイを見ていた為か常人以上に野球のセンスを持っていた光のアドバイスは辛辣な言葉ではあったが選手達を成長させるに不可欠なものだった。
随分と厳しい事も言ってきた為、部員との衝突も数知れぬ状態で、光と部員の間に入る主将や監督には迷惑ばかりをかけた。
だがそんな面倒な光に対し引退試合の際、共に白球を追う事は叶わなかったが屋台骨として野球部に欠かせない存在だと主将に言われた時には柄にもなく涙したものだった。
兄は高校で野球を辞め、今は普通のサラリーマンとして働いているが、兄の親友はその後も野球を続けていた。
高校、大学、社会人野球と経て今はあの頃から憧れていた球団のユニフォームに身を包み、一軍主力選手として活躍している。
高校時代から足の速かった彼は今や球界ナンバー1の駿足プレイヤーとして何年も連続で盗塁王を獲得していた。
そんな憧れであり、今は誰よりもファンである彼を脅かす輩が台頭してきたのは今シーズンに入ってからだった。
怪我で調子が悪くなったのは昨シーズンの後半で、それまではフルイニング出場していたのだが、試合の終盤に差し掛かると交代してベンチに下がる事が多くなっていた。
無理をすれば選手生命をも危ぶまれるような状態だと聞いて、いてもたってもいられなかった。
ここまで彼を追い詰めているのは選手としての責任感もあるだろう。
チームに不可欠であるという誇り、それと相対して自分の跡を継ぐ若手選手がいないという危機感もあった。
今年はようやくその素質を持った選手が台頭してきて彼の負担は少し減った。
メディアではチヤホヤとイケメン選手と派手に持て囃されている割にはお粗末な試合運びだな、
と光はスマートフォンで録画していた試合を見ながらイライラとする。
兄ちゃんの芸術的な盗塁やタッチアップなんて比べるのもおこがましい、と。
年を重ねるにつれ、兄を呼ぶにも照れが入った光はいつしか実兄を兄貴と呼ぶようになっていた。
だが、兄の親友である彼に対しては身内には見せないような甘えの気持ちもあり、未だ兄ちゃんと呼んでいる。
携帯にも登録されたその名を呼び出すと、光はメールを作成する。
内容はただの愚痴のようになってしまったが、とりあえずは胸糞悪さは薄らいだ。
メールを送信してからしばらくすると、携帯電話が派手な音を立て始める。
この着信音は、と光は急いで携帯電話をひっ掴み通話ボタンを押した。
「兄ちゃん?試合お疲れ様」
メールのやり取りはよくやっていたが、久しぶりに聞く声に光の声も自然と弾む。
『ありがとう。それよりさっきのメール何、どうしたんだ?』
「どうもこうもないわ。めっちゃ盗塁下手過ぎて見てられへんし。
何なんあいつほんま…兄ちゃんの後釜やてチヤホヤされて調子こいてんちゃうん?」
言いたい事を口いっぱいに言うと、電話の向こうで楽しそうな笑い声がした。
彼は決して光の直情過ぎる物の言い方を咎める事はしない。
他の人ならば顔をしかめるような言葉も笑い飛ばしてくれる優しい人なのだ、昔から。
それが分かっている光はいつもの調子で言ったら、案の定の態度でホッとする。
『それ本人に聞かせてやりたいよ。もうちょっと思い切りがあってもいいとは俺もずっと思ってたからな』
やはり、と光は小さな画面に映る試合に顔をしかめる。
『けど本人も自覚あるみたいだし、色々悩んでるみたいだからあんまり厳しく言うのもな……』
「兄ちゃん優しすぎやわ」
そう言ってから、それは自分に対してもか、と口を噤む。
試合が終わってすぐだというのに長電話で疲れさせてはならないと早々に電話を切ると、光は録画の再生を止めた。
「あれ?どっか行くんけ?」
光と同じアーティスト集団に所属するユウジはスタジオから出て行こうとする姿を見て軽く声を掛ける。
だがその手にギターがある事に、どこへ行くかを察して撮影あるからあんま遅なんなよ、とだけ言って作業へと戻った。
光はスタジオから出ると通りかかったタクシーを止めるとそれに乗り込み駅へと向かう。
駅前は週明けだというのに人で溢れている。
その人波を掻き分け、光は植え込みに隠れるように座った。
最初は罰ゲームだった。
失敗続きでなかなか終わらないレコーディングに痺れを切らせた集団の長である白石が、
次間違えた奴駅前で路上ライブして来い、と笑顔で言い放ったのだ。
そしてその餌食となった光は駅前でギター片手に歌う羽目となった。
しかしその時、奇妙な感覚に陥り、その感覚を気に入った光はそれ以来こうして一人で駅前に来てはギターを弾いていた。
そして雑踏の音に溶けるような音を奏でながら、光は先刻の会話を思い出していた。
あれだけ恵まれた才能があり、光が何よりも欲した自由に走り回れる体も持っているというのに何故殻を破ろうとしないのだろうか。
光が第二の兄と慕う彼の後釜と持て囃されている、あの謙也という男は。
過去の経験から、もう少し努力すれば驚く程彼は化けるはずだと光は踏んでいた。
勿論甲子園にも程遠い部活動とプロ野球では事情は違うだろうが、根本は同じだ。
投げて打って守って走る、野球は野球なのだ。
その原因が見えているだけに悔しい。
しかし素人の自分が見て解る程度の事などもうコーチや監督に指摘されていて然り。
やはり本人に問題があるに違いない。
ところで光には昔から考え事をしながらギターを弾く妙な癖があった。
否、ギターに限らず手近にあるのがパソコンであれば無心に作曲をする。
とにかく音を作りながら考え事をすると不思議と思考がまとまってくるのだ。
今日もその例に漏れず、無心でギターを弾いていると強い視線を感じた。
それがまさか、考え事の中身を彩る張本人だと誰が想像するだろう。
最初はただの変な男だと思った。
次に音を褒められ変なファンかと思った。
だが件の兄分が属するチームの試合のチケットを渡され、光は暗がりに目を凝らし隣に座る男の顔を見て心底驚いた。
『"謙也"や―――……』
苗字が読みにくいという理由で、ファンの人に親しく呼んでもらう為登録名は名前だけにしているその人。
光の兄分の後ろをひたひたとつける憎い相手だ。
こんな偶然があるのだろうか、ここで出会うなんて。
それも相手は何を思ったか自分の出す音に惹かれたのだと素直に褒めてくれている。
裏はなさそうだが何とも複雑な気分だと光は帰路の車中でポケットに入れたチケットを取り出しそれを眺める。
「何やそれ」
「……今度の三連戦の試合のチケット」
撮影だと半分キレながら迎えに来たユウジに問われ、光はチケットに目を落としたまま答える。
車内に流れる街灯に時折照らされるそれに印刷された文字を読み取り、
ユウジも何だいつものかといった調子で興味が失せたようで窓の外に目を移す。
「ユウジくん行く?」
「ええけど……珍しいな、二枚寄越すやなんて。いっつもお前一人分やんけ」
光がこのチームの選手と昔馴染みである事はユウジも知っている事で、いつも試合に招待されている事も知っている。
そして光が遠慮していつも一枚しかチケットを貰っていない事も。
だがこれが別の人物に貰った物だとは思っていないだろう。
ユウジも不思議そうにはしているがそれ以上突っ込んで聞かれる事はなかった。
それから招待された試合までの間、謙也から何度もメールがあった。
親しくない相手とメールのやり取りをするのが苦手な光は随分とそっけない返事しか出来なかったが、謙也は懲りる事なくメールをくれた。
こんな事をしている暇があるのなら筋トレの一つでもすればいいのにと思いつつ、だんだんと楽しくなってきていた。
「しっかし変な縁もあるもんやなぁ……お前が大っ嫌いな奴と知り合うとか」
「……別に嫌いちゃうし」
ムカつく事はあるけど、とボソっと言う光にユウジはため息交じりに笑った。
球場に入ると丁度練習を終えた頃のようで選手たちがベンチに引き上げているのが見える。
謙也と目が合った瞬間大声で呼ばれ、思わず目を逸らしてしまった。
だが目立っては兄分に見つかってしまうかもしれない。
何となく謙也と仲良くするのは気まずい気がして他人の振りを決め込む。
「おい、呼んでんど」
「いや、知らんし。つーか恥ずかしいし……」
ユウジに指差されるが、その方向を見る事は出来ない。
諦めて行ったか、と思ったが、うっかりと目が合ってしまい、会釈するともう一度大きく手を振られる。
だがよく見ると謙也の背後で驚いた顔をした兄分が立っているではないか。
光は勢いよく顔を逸らして俯いた。
「何やねん。浮気見つかったーみたいな顔して」
「そ、そんなんちゃうわアホ!」
先刻まで驚いていたが、俯いたまま顔を上げない光を心配する顔になったのに気付いたユウジは代わりに手を振って心配するなと合図する。
そして選手らは皆ベンチに引き、代わりにグランドキーパーが整備を始めると光はようやく顔を上げた。
「何や……変な感じする」
「何が?」
「活躍せんかったらムカつくし、活躍してもムカつく」
複雑だ、と膨れる光を見てユウジは思わず噴き出した。
光がこんな風に誰かに興味を持ち、腹を立てる事はなかなかに珍しい。
気に入らなければ遠慮なしに片端から切り捨てていくような性格だというのに、何だかんだと文句を言いつつ気にしているのだ、あの男を。
それが証拠にこうしてレコーディングの合間にわざわざこうして観に来ている。
試合が終わってからレコーディングに戻るとなると徹夜となる。
ユウジ自身このチームのファンであるから別に構わないのだが、光は絶対に不満を漏らすだろうなと少し面倒な気分となった。
だが予想に反してチームが快勝した為か光は球場を出てからも上機嫌だった。
彼自身が思う及第点だったのだろう。
今日は謙也がしっかりと活躍していた。
何だかんだと言って、やはり気にしているのだ。
全く面倒臭い奴だとユウジはこっそり苦笑いを漏らした。
レコーディングが終わればしばらくはスタジオでの仕事はなくなり、自宅でゆっくりと作曲する時間が取れる。
比較的時間に余裕が出来るからいつでも連絡をくれとは言ったが、その言葉通り謙也はまめに光に連絡を取ってきていた。
遠征先からもよくメールがきていて、次にホームに戻ったら絶対会おうとしつこく誘われていた。
光の中でだんだんとムカつく、という気持ちは薄れてきていて謙也のメールを楽しみにするようになっていた。
だが複雑な思いは変わらず、試合を観ながらイライラとする事が多々あった。
何故、もっと出来るはずなのにそれをしない?そんなもんじゃないだろう?あんたのポテンシャルは。
そうずっと思っていた。
そしてその何故、という理由に一つ思い当たる節があった。
あの人はとても優しい人なのだ。
こんなに無愛想で口の悪い自分と親しくなりたいのだと言ってくれるぐらいなのだから、相当に。
だからだろう。
恐らくは目標である人を越える事を恐れている。
自分の存在があの人の邪魔になってしまう事を。
だがそれも傲慢な遠慮だと光は思っていた。
食うか食われるか、皆が身を削り鎬を削るプロの世界でそんな甘い考えでいる事など絶対に許せない。
これだけ周囲に期待を持たせながらいずれ自滅という形で終わりを迎えるなど、絶対に。
光は唇を噛み、謙也と会う日を心待ちにした。
なるべくは柔らかく言葉を伝えようと思ったが、やはりはっきりと言ってしまう性格はどうにもならず謙也を怒らせてしまった。
「……はあ…」
久々にスタジオでの仕事でパソコンをフロアテーブルに置いて、その前にあるソファに座り体をごろごろと転がす。
そして大きな溜息を吐くと後ろからポコン、と軽い調子で頭を小突かれた。
「……何すか」
振り返るとスコアを持った白石が立っていて、暗い光の表情に苦笑いをしていた。
「何ちゅー顔してんや。今にも泣きそうやで」
「別に泣いてませんけど?」
「誰やーうちの可愛い光泣かせたアホは」
「せやから話聞けや」
先刻頭を小突くのに使ったスコアを手渡され、それに目を通しながら音を追っていると、それまで黙っていた白石が嫌な笑みを浮かべて口を開いた。
「例の"謙也"か?溜息の原因は」
何の反応も見せず、少し拗ねた表情を見せた後取り繕うようにスコアを捲り始める仕種に図星かと白石はもう一度苦笑いを漏らす。
白石もそれなりに光と長く付き合ってきていたが、このように誰かに執着したところなど見た事がなかった。
よっぽど件の男が気になるらしいなと推測する。
「何あったんや?」
そう聞いたところで口は開かないだろうと思っていたが、意外にも光はあっさりと話を始めた。
「喧嘩……や、ないな。謙也さん怒らせてしもた」
事の経緯を余さず全て話すと、白石は笑い声を上げた。
そして一頻り笑った後、それは光が悪いと言ってもう一度笑った。
納得いかない、本当の事を言っただけだというのにと膨れる光に白石はようやく笑いを止めて真面目な顔に戻した。
「光が言うように優しい奴なんやったら人からそうやって直球で言われて傷付きやすいタイプなんかもしれんし……
出会い方やら何やら聞いてたら純なとこあるみたいで、それは裏返したらつまりはガキやって事。
そんな相手に真正面から理論で責めても意地張って終わりやで」
白石に言葉に反論の余地などなかった。
光にしてみれば理不尽である事には変わりないが、そういう相手にはそういう態度でなければならない事ぐらいは理解できる。
「どないしたらええんですかね、俺」
「お?仲直りしたいんか?」
「仲直りって……別に喧嘩したわけちゃうし」
「まあまあ。ええ事やな。光がそんな風に誰かに執着するっちゅー事は」
ドライであまり物事に執着心を見せる事がない光が見せた珍しい人間的な感情を褒めると白石が嬉しそうに笑った。
自分ではよく解らないと首を傾げる光に白石は少し考える素振りを見せる。
そしてぽんぽんっと頭を撫でた。
「初めての事でどないしてええんや解らんねやったら相談してみたらええねん。いてるやろ?間に入ってくれる信頼できる人」
白石は誰、とは言わなかったがそれに該当する相手は一人しか思いつかない。
シーズン中の忙しい最中にこんな下らない相談事など迷惑ではないかと一瞬躊躇ったが、
ひいてはそれが本人の為にもなるのだと意を決して光は兄分であり、謙也の先輩である男に連絡を取る事にした。
話を聞いた彼は、白石と同じように笑って光の話を聞いた。
そしてこちらのフォローは任せておけと頼もしい一言を貰う事が出来た。
その言葉通り、その後すぐに謙也から電話がかかってきた。
一体彼は何を言ったのか半ば怒鳴るような勢いで、レギュラーを勝ち取るという宣言を高らかにしたのだ。
ここまでかと思っていた縁が一つ繋がり、ホッとした事もありそれを聞いた光は気が抜けてしまい、思わず大声で笑ってしまった。
本当は嬉しかったのだ。
もう潰えたと思っていたプロ野球界への道、もちろん選手としてではないがどんな形であれ憧れていた世界に関わる事が出来るという事が。
だが変に意地を張ってしまい、不用意に謙也を怒らせてしまった。
その事でまた諦めていた道が再び開けたのだ。
こんなに嬉しい事はない。
宣言してきた謙也の声に最早迷いなどなく、近い将来本当に叶えてくれるかもしれない。
ならばこちらもそれに応えなければならないと、光は抱える大量の仕事の山を横目に早速とばかりに作業に取り掛かった。
普段は癖の強い、聞く人を選ぶような曲ばかりを作る光であったが謙也をイメージすると湧き出るアイデアは明るいものばかりだった。
試合を見る限りでは本当に宣言通りにレギュラーに定着できるのかと不安に思う事の方が多く、口を出さずにはいられない。 だが謙也は以前のように感情を露わに怒る事はなく素人の光が言う意見に真剣に耳を傾けてくれた。
その甲斐あってか、それとも謙也自身の努力の賜物か、徐々に頭角を表してきた謙也はシーズン終盤には少しずつスタメン起用されるようになってきていた。
それをあの兄分がどう思っているのか、気になっていたが光が心配するまでもなく、彼自身でそれは消化してしまっている。 そんなあらゆる想いを、皆の想いを詰め込んだ短い曲が出来上がった。
曲が球場に流れるのは一瞬だ。
それでも緊張するものだと光は電光掲示に目を向ける。
スターティングメンバーの発表を待つスタンドは熱気に包まれていた。
光もそのうちの一人で、息を詰めてその瞬間を持った。
球場に響くウグイス嬢の声と一番最初に出る謙也の名に、スタンドが大いに沸く。
これだけ多くの人が期待をしているのだ。
それがどこか誇らしく、自分の事のように嬉しい。
こんな風に自分以外の誰かを思う日がくるなんて、全く人生はどう転がるか解らないなと光は思わずにやけてしまいそうになる顔を掌で隠した。
やがて日が落ちかけた頃、プレイボールとコールされる。
そして裏の攻撃が始まってすぐ、謙也の為に作った曲が球場に大きく響き渡った。
ああ、彼は本当に約束を果たしてくれたのだ。
自分で作った曲であるはずなのに、別物のように感じるのはすでにこれが自分の手から離れ、謙也の物となったからだろう。 この曲を背に受ける謙也は昨シーズンまでの迷った様子など微塵も感じられない。
自信に満ち溢れ薄笑いすら浮かべているように見える。
折しも今日は謙也の誕生日。
『明日観に行ったるからバースデーアーチ打ってみろや、アホ』
日付が変わってすぐに送った可愛げのないメールを見て一体どう思っただろう。
見とけやアホ!!とは返ってきていたが、果たして。
アンパイアの合図に回が進み、謙也に向けて白球が流れるように投げられた。
打ち頃だと光が思った瞬間、バットが振られ快音が鳴り響く。
打球は大きく空に向けて上がり、大観衆の歓声は期待に満ち溢れている。
ゆるりと上がったが上手く風に乗り、ファールポールぎりぎりのところでスタンドに飛び込んだ。
審判が右腕を上げ、人差し指を天に掲げてぐるぐると回すジェスチャーを見せる。
途端に湧き上がる観客でスタンドが揺れ動く。
「先頭バッターホームランとか……しかも第一球て。やりすぎやろ」
光は思わず笑ってその場で頭を抱えた。
やってくれた、本当に。
ダイヤモンドを一周してベンチで手荒に迎えられる謙也を見て、また笑いが込み上がる。
「カッコええやんけ」
謙也さんのくせにムカつく、と思い睨んでいると、謙也は球団マスコットから受け取ったぬいぐるみをスタンドに投げ込んでいる。
それを取り合い人垣が割れたその時、不意に目が合ったように思えた。
距離もあるし気のせいか、と思ったが謙也は大きく手を振ってくる。
だがやはり気恥ずかしさが勝り、光は顰めた顔で舌を出す仕種を返す事が精いっぱいだった。