とにかく赤也と付き合う事を父親の如く猛烈反対する真田を書きたかったんです。
繚藍のモデルはうちのSDの繚乱と青嵐。青い瞳に金髪&赤髪で。
女顔の兄貴は陽色です。自分だけが楽しい設定です。もうちわけない。
これの赤也や残りのレギュラー陣Ver.もある。そちらは女顔の兄貴との絡み。
まあオリキャラ含めたお話は好き嫌いあると思うんで更新はどうなるか解らんが。
反応あれば考えます。
桜色と空
それまでの人生を大きく変えるような出会いなんて、そうそうないものだ。
あるとすれば、人はそれを運命と呼ぶ。
彼らが同じ時代、同じ場所に集ったのもまた運命かもしれない。
それぞれが強い力と光を放つ、奇跡とも呼べる集まり。
そんな彼らに不協和音が響き始めたのは、冬の終わり。
春まではあともう一歩足りない、そんな頃。
彼らのうち二人が背徳の関係になってからの事だった。
尤も、本人達は真面目な付き合いのつもりでいた。
否、実際本気だったのだ。
だがそれに難色を示した者がいた。
一時の気の迷いだ。
そう言って頑として周りの意見に耳を貸さず、道を外そうとする無二の親友に目を覚ませと言い、引き込んだ後輩を叱責した。
完全にお手上げ状態でこのままでは二人の仲が引き裂かれるのも時間の問題だと誰もが思った。
だが、やはりそれもまた運命なのか。
ある人物の出現により大きく運命の車輪が回り始めた。
§1:She was always looking up into the sky. (SIDE:H.YAGYU)
彼女は、個を重んじる我が校においても特異な存在でした。
三年に進級したその日、彼女は立海大付属中に転入してきました。
こんな中途半端な時期の三年の転入生、しかも海外からともなればそれなりに話題になります。
しかし学年中を巻き込んだセンセーショナルとなった理由はそれだけではありません。
彼女は端整な容姿に独特の雰囲気を持っていました。
緩くウェーブのかかったふわふわの桜色の髪にスカイブルーの瞳を光らせ、
思う存分改造をした制服を身に纏った姿で登校したのです。
そして大抵の女生徒がそうであるように特定のグループには属さず、窓際からいつも一人で空を眺めてました。
始めの頃はその美しい外見に惹かれた女生徒たちが彼女らの周りを取り囲み、話しかけていましたが、
彼女はその女生徒達とより、男子生徒達と親しくしたのです。
その所為か一部生徒の顰蹙を買う事となりました。
人と違う事をする事を嫌う日本人の女子らしい反応です。
更に容姿は誰もが羨ましく思うほど目映いのであれば、格好の仲間はずれのターゲットとなります。
結果として孤立した存在となったわけなのですが、本人は全く気にしない様子でした。
そんな彼女は外国生まれだというのに非常に雅な名をお持ちでした。
私が初めて彼女に興味を持ったのはその容姿ではなく、名前でした。
「あ、さくら、りょう、らん…阿桜、繚藍………」
口に出し、音にすると余計に雅さが増します。
さながら今の季節を彩る春のような、とても美しい名だと思いました。
我が3Aの出席番号1番の彼女。
クラス名簿に目を通している時、真っ先に目に飛び込んできた名前。
始業式、翌日、その次の日と欠席していた為初めてお目にかかったのは新しいクラスになって四日目の事です。
どの人なのだろうと教室を見渡し、すぐに解りました。
染髪の許された校内であってもまず見かけないであろう色鮮やかなピンク色の髪をした人。
あの人だ。
窓の外を咲く桜と同じ色に染められた髪がふわふわと風に舞う姿は嫌でも目を引きます。
クラス中が一番前、窓際の席に座る彼女を見つめていますが、
当の本人はぼんやりと空を見つめ、担任の話を聞いている様子はありません。
皆そんな彼女に目を奪われたまま、気付けばホームルームは終わっていました。
「柳生」
「あ、はいっ」
斯く言う私も解散の号令の後、担任に呼ばれたのを機に我に返りました。
「何でしょう?」
「真田も、ちょっといいか?」
担任教師に手招きされ、私と真田君は廊下に連れ出されます。
先生は廊下の隅で若干言い辛そうに口篭りながらも話し始めました。
「…見たー…だろう…?あー…」
「何をです?」
「阿桜だ」
やはり個を重んじるといっても彼女の行動は教師たちの間でも問題視されているようです。
新学期になり、私は風紀委員に、真田君は風紀委員長に任命されていたので担任の言わんとするとことは大体に想像がつきました。
「あれでも随分譲歩させたのだがな…あれが精一杯だった」
「あれで?」
「始業式から来なかったのはな…私服で登校をしたからだ」
「私服で?」
外国暮らしが長いといいますし、日本の制服文化に慣れていなかったからでしょうか。
その辺りの理由はよく解りませんが、何とか制服を着てくるよう説得をしてようやく現れた今日、あの姿だったという事です。
「まあ…よろしく指導を頼むわ……わしら教師はあいつに関しては何も言えんのだ…その…上から色々とな…」
「何なのです。先生方がしっかりしてくれませんと示しがつきません」
真田君の意見は尤もですが、何か大人の事情があるのでしょう。
「そう言うな…わしらも辛いんじゃよ……阿桜の家は我が校に多額の寄付をしていてな、理事会も口出しできんのだ」
やはりそうでしたか。
「しかし…」
「お前ら生徒の視線からの指導なら奴も耳を貸すかもしれん。とにかく、よろしく頼んだぞ」
新学期早々とんだ騒動に巻き込まれる事となってしまいました。
流石の真田君も苦虫を噛み潰したような顔をしています。
「まずは相手の出方を伺う為にも、接触を図りましょうか」
「…そうだな…しかしもうすぐ授業だぞ。音楽室に移動だ」
「真田君は先に行ってください。私が今から少し話してきますので」
そうは言ったものの、さてどうしたものでしょう。
教室の席に残っていたのは彼女のみで、他は皆友達同士連れ立ち移動を始めています。
しかし阿桜さんはまだ熱心に生徒手帳を眺めています。
もしや、と思い私は意を決して話しかけました。
「あの…阿桜さん?」
「ん?何?」
初めて聞いた彼女の声は、思っていたよりずっと低く些か驚かされます。
容姿から察するに、もっと軽やかなソプラノをイメージしていました。
しかしその落ち着いた声も一度心に落ちれば彼女に似合いの声だと思いました。
空色の瞳も桜色の髪も、全てが彼女に似合いだと、間近で見て改めてそう感じます。
「もしよろしければ一緒に行きませんか?音楽室へ」
「本当?ありがとう!場所が解らなくて困ってたんだ」
先程ぼんやりと空を眺めていた姿からは想像もつかない程の明るい表情に驚かされました。
担任の話からもっとひねくれた性格を想像していた為です。
私の勝手な想像でイメージを作り上げてしまった事を反省しました。
話をしてみれば、彼女はとても明るく素直でした。
ですがそれは彼女を纏う様々な色の一部でしかなく、とてもではありませんが私の、
そして真田君ですら手の負える相手ではなかったのです。
新学期が始まり、半月が経ちました。
皆新しいクラスにも慣れ始めた頃です。
「阿桜!いい加減規定の制服を着用せんか!!」
真田君の朝の第一声は決まってこれから始まって、もう三日目です。
我々は朝練の後、校門に立ち風紀検査をしているのですが、
毎日のように真田君の雷を受けても態度を改める気はさらさらないのだと開き直ります。
しかし真田君が苦言を吐きたがるのも解ります。
ブレザーは規定の丈を満たさず、逆にスカートは規定より長く、その下には規定外のセーターにノーネクタイ、
さらにはそのネクタイの代わりに真っ赤なリボンタイが巻かれているのですから。
教師陣も我が身を守るので精一杯なのか、やはり担任と同じく見て見ぬ振りを決め込んでいます。
そんな中でも真田君だけは不正を許さないと頑として態度を変えようとしない阿桜さん相手に渡り合っていました。
「規定って言われても…制服はこれしか持ってない。新しく作れって事?まだ半月しか着てないのに」
「詭弁を弄するな!そんなものが理由になるか!」
「キベン?」
「こじつけ、という事です」
海外暮らしの長い彼女に真田君の言葉は時々通じない為、私が通訳をする事がしばしば。
その為に私も一緒に真田君と彼女の指導にあたる事が多いのですが、一筋縄ではいかない相手です。
そして真田君が彼女に対して思う事は、制服の事だけではありませんでした。
頭の堅い部類に入るであろう真田君には到底理解しえない事が多いのです。
彼の理解の範疇を越える規格外の人物に、血圧は上がる一方でした。
「何度も言うようだが、女性らしくしたらどうなのだ?」
「これ以上どう女っぽくなれって言うんだよ。無理。僕にはこれが精一杯だ」
「ではせめて一人称を改める気にはならんのか?」
可憐な容姿とは裏腹に、彼女は自らを僕と呼び、どこか所作が粗雑です。
これに関しては、私は個人の自由だと思っているので特に問題視はしていません。
勿体無いような気はしますが。
ですが真田君は男は男らしく、女は女らしくといった非常に古典的な考えの為、絶対に譲ろうとはしませんでした。
「仕方ないだろう?日本語での一人称は僕が正しいって教えられたんだから。
第一、柳生君だって自分の事を私って言ってるじゃないか」
「は…?」
まさか自分に矛先が回ってこようとは思いませんでした。
「日本語では丁寧な言い方や公式の場などでは一人称は一律私だ」
「そうなんだ!覚えておくよ」
彼女は自分の考えを否定されると口答えや反論の多い人でしたが、
知らない事に関して教えられた場合はとても素直に受け入れます。
根は素直なのでしょう。
ですがそれが逆に今の状況を作っているのです。
「あっこらっ!待たんか!!」
話を逸らした隙に身を翻し校舎へと向かう背中に言いますが、
今日もまた聞き入れてもらえないまま風紀検査は終わってしまいました。
彼女には常識、普通、一般論という言葉は一切通じません。
それらで様々に武装した言葉を投げかけるのですが、尽く反撃を食らってしまいます。
どうしたものかと頭を抱えるものの、具体的な打破策などそうそう思いつきません。
§:2 In the interstice of despair and hope(SIDE:R.YANAGI)
俺が赤也と付き合っていると解った時の弦一郎の怒りは、いっそ滑稽なほどだった。
お前は俺の父親か、と何度喉から出そうになったことか。
それは火に油を注ぐ結果となるのが目に見えている為、実際に口に出した事は無い。
だいたいにして、あいつは俺の父親でも母親でもないのだから気を使う必要もないのだが、
ここぞとばかりに邪魔をするので二人で会う事も儘ならない。
目を盗んでようやく二人で過ごす時間がとれる。
悪い事ではないのだから、こんな風にコソコソとしたくない。
だがこちらの言う事にも、周りの言う事にも耳を貸そうとしない弦一郎には何を言っても無駄というもの。
今はただこうする以外に道はなかった。
「…真田副部長…ほんっと何なんっスかねー…」
「放っておけ…あれの石頭はもうどうしようもない。
その…お前に対しては少し…辛い物言いになるかもしれんが…」
「それは全然平気っス!!俺っ…あの人に何言われても絶対アンタとは別れねえ!」
「赤也…」
ぎゅっと抱きつく赤也を両手で受け止める。
しかしここは校内。
いくら立入禁止の屋上とはいえ、どこで誰に見られるかも解らない。
近付いてくる顔を前に些か焦る。
「…ストップ!これ以上は…」
「あ、そっか。学校でキスは禁止」
へらり、と笑う姿にどこまで解っているのかと不安になる。
名残惜しそうに体を離し、隣り合わせに立ち、階段ホールの外壁に体を預けた。
「けどさー…一時的な気の迷いだとか決め付けて…今は良くてもそのうちダメになるとか酷いっスよ」
「そうだな」
「…俺の気持ち、アンタにはちゃんと伝わってますよね?!」
「もちろんだ」
「…ならいいっス…」
だが心に呵責を感じるのも事実。
俺と赤也は男同士という背徳の関係で、本当は弦一郎の言う通りだという事は、いつもどこか心の隅に引っかかっている。
それは赤也も同じ事のようだった。
「…こんなに好きなのに幻想なんっスかね…副部長の言う通り」
「…赤也」
「幻想だね!」
突然頭上から降る声に驚き、俺と赤也は辺りを見渡した。
しかしその姿は見えない。
上からしたのだから、と視線を上げれば、目の前にいきなり人が降ってきた。
「うわぁっっ!!」
赤也は驚いてこれ以上ない程に後退り、俺は驚きのあまり固まってしまった。
階段ホールの上に人がいたのか、と先程の会話を思い出し青くなった。
降ってきたのは桜色の風。
よく見れば、学年一のお騒がせ娘だった。
彼女の噂は耳にしていた。
弦一郎や柳生がこれ以上なく手を焼かされていると。
「さっきの話…聞いてたのか?」
「バッチリ」
よりにもよってこいつに、と心の中で舌打ちをした。
しかし相手は飄々としていて、まるで何でもない世間話を耳に入れた程度の態度だ。
それにしても、さっきの言葉は聞き捨てなら無い。
赤也もそこが引っかかったのか食いついていく。
「幻想って…どういう意味だよ」
「そのままの意味だけど?恋愛なんて幻想だよ。愛だの恋だの馬鹿馬鹿しい」
「んっだと!!」
だが彼女は食い掛かる赤也をひょいっとかわし、先程までの飄々とした表情を崩して微笑んだ。
「でも、幻想だって死ぬまで突き通せば真実になる」
「……え?」
「だから、頑張れ」
そう言い残し、彼女、阿桜繚藍は階段へと姿を消した。
暫しの後、口止めをする事を忘れている事に気付き青くなった。
しかしそれらしい噂を耳にする事はない。
遠目に観察していて気付いたのは、彼女は他の女生徒と違い、
徒党を組んで噂話に花を咲かせるようなタイプではないという事。
それにあの励ましともとれる、あの一言。
俺は少し彼女に興味を持った。
逃げ回っても仕方のない事だ。
弦一郎と顔を合わせるのは些か気まずいが、俺は昼休みに3Aへと行き、彼女を呼び出した。
「おや?柳君。真田君に何かご用ですか?彼なら今部長会議で…」
「いや、弦一郎ではなく……阿桜はこのクラスだな?」
「ええ…そうですが……何かご用でも?」
今まで全く接点の無い相手なのだ。
訝しげな柳生の態度も納得できる。
横目で教室の中を覗けば多くの女生徒たちが机を並べ、他愛無い話に花を咲かせている中、
彼女は一人ぼんやりと空を眺めながら紙パックのジュースを飲んでいた。
大きく開けられた窓から入る風に揺れた桜色の髪が空に溶けるような錯覚を覚える。
「……少しな…呼んでくれるか?」
「それは…構いませんが」
暫しの後、柳生と入れ替えに桜色の頭が近付いてきた。
平均遥か高い俺からでは相当視線を落とさなければ背の低い彼女の顔を見る事が出来ない。
それは相手も同じらしく、思い切り顔を上げて見つめてくる。
見慣れぬ空色の瞳に一瞬怯むが、何とか平静を保った。
「何?何か用?」
「話があるのだが…今時間は構わないか?」
「いいよ。だいたいの内容は想像できるけど…話し辛いなら場所、変えようか?」
「……助かる…」
昼休みの屋上は立入禁止区域にも関わらず人が多い為、俺は今の時間一番人通りの少ない特別棟を指定した。
自分と一緒に行けば否が応でも目立つ。
そう言って、阿桜は先に行ってるから5分後に来てくれと教室を出た。
歩く度ふわふわと揺れ動く桜色の髪に目を奪われていて、すぐ後ろに人がいる事に気付かなかった。
「どうかなさいましたか?」
「柳生…」
「何があったんです?…彼女を訪ねてくるなんて…」
雰囲気に異常を察したのだろう。
相変わらず敏い男だと、声を潜め耳打ちした。
「…赤也との事がバレた」
「え…っ!」
「だが言いふらすような真似はしていないようだな…」
「まあ…そうですね…饒舌に言いふらすようなタイプでもないようですし…
その、こう言ってはなんですが…噂話に花を咲かせるような相手も…いませんしね…阿桜さんは」
遠回しに友人がいない、と言いたいのだろう。
それはここ数日の観察で解った事だった。
教室移動の時も、弁当を食べる時も、他の女生徒の様に大多数でつるんではいない。
不特定の男子生徒とは時々談笑しているようだったが、それでも親しいとはいえないようだった。
いつ見ても一人ぼんやりと空を眺める姿ばかりが目に入ってくる。
だが逆に、その捉えどころが無い部分への不安も大きい。
「弦一郎もお前も手を焼いているそうだな」
「ええ…一筋縄ではいかないようです」
「外野で見ている分には面白かったんだがな…あの弦一郎の説教が通じないなど、なかなか見物だ」
「笑い事じゃありませんよ…」
口先ではそう言っているが、実際柳生も事の成り行きを傍観している風にも見える。
故に事実上、弦一郎と阿桜の真っ向対決となっているのだ。
今のところは上手くかわしている阿桜が有利なように思える。
「兎に角、話をしてくる。口止めの必要はなさそうだが相手が何を考えているのか解らんうちは不安だからな」
「そうですね……どうぞお気をつけて」
一体何に気をつけろというのか。
恐らくは彼女特有の捉え所の無さ、に対しての事だろう。
何せ相手は舌戦で弦一郎に勝つ女だ。
努々油断せぬよう心に言い聞かせ、指定した教室へと向かった。
講演会などで使われる以外に用のないこの大教室は、普段近付く者などいない。
中に入ると自教室と同じように窓際に立ってぼんやりと空を眺めていた。
「すごい。きっちり5分後だ」
こちらに気付いた阿桜がポケットに引っ掛けていた懐中時計を手に収めながら感心するように言う。
「こちらから呼び立てたのだ…遅れるわけにもいくまい」
「それもそうか」
胸ポケットに再び時計をしまうと、窓にもたれ掛かるように背中を預けた。
「じゃ、お話を聞きましょうか」
俺は意を決し、単刀直入に言った。
「此間の事…いや、赤也との関係を黙っていてほしい。頼みはそれだけだ」
「ふーん……あのさ、僕からも一つお願いしてもいい?」
「交換条件?脅しのつもりか?」
「んーん。まさか」
にっこりと浮かべる笑顔に裏など感じない。
何を考えているのだと表情を歪めるが、相手は相変わらず笑顔のままだ。
なるほど、弦一郎が食われるわけだと納得がいく。
この手の掴みどころのなさは、あいつの一番の不得手だったはずだ。
「僕に事情、話してよ。えっと…こういうのって何て言うんだっけ……イチゴイチエ?」
「どちらかと言えば合縁奇縁だな。いや、袖振り合うも多生の縁と言う方が適切か…」
「どういう意味?」
話が逸れて行ってる。
「自分で調べろ」
「柳生君は教えてくれるよ?」
「自分で調べねば勉強にならん……それより、話してどうしろと?」
俺は相手のペースに巻き込まれないよう咳払いして話を戻した。
「この前、何だか困ってるみたいだったから。僕に出来る事があるかもしれないって思っただけだよ」
「残念だがお前を信用するにはまだ不確定要素が多すぎる」
「…Mr.サナダと同じだ。君の日本語は時々理解できない」
そういえば柳生が言っていた。
転入生はハーフだかクオーターだかで外国暮らしが長かった、と。
「つまり、あまり仲良くないお前に話す事などない、という事だ」
あまりに直球すぎたかと思ったが、大して堪えてはいなかった。
「じゃ、代わりに僕のトップシークレット教えようか?」
「何?」
「僕はそれが皆にバレちゃうと困る。だから、それを交換で教える。どう?」
「……何故そこまでして知りたがる?」
肉を切らせてまで知るような事ではないはずだ。
それでも相手は構わないとばかりに肩を竦めて笑った。
「だから、僕にしか出来ない事があるかもって。君も手を焼く真田君の価値観を、僕なら変えられるかもしれない」
ニヤリと笑む姿が嫌なものとは感じられない。
不思議な奴だと眉を顰めつつ見下ろす。
「……解った。不利益ではないようだから話そう」
本当にあの頑固を動かせるというのなら、それはそれで面白い気がする。
仮に上手くいかなかったとしても、互いに弱味を握り合った状態ならば心配ないだろう。
今より状況が悪くならないとも限らないが、何となくこの不思議な空気に委ねてみる気になった。
§:3 The strongest girl in class. (SIDE:H.YAGYU)
柳君の言っていた通り、切原君との事は阿桜さんにばれてしまっていました。
口外しないか心配になり話を聞けば、全くそんなつもりはないのだと笑って言ってのけます。
更に、面白いのはこれからなんだよ、と言います。
一体どういうつもりなのだろう、と不思議に思っていれば、その答えは後日思いもよらない形で解ってしまいました。
それまでを遥かに凌ぐ改造された制服をまとって登校を始めたのです。
本校の女生徒の制服はタイトスカートなのですが、スカート丈が規定より長いと真田君に注意された翌日の事です。
校門でいつものように風紀検査をしていると、見知らぬ服を纏った女生徒が現れました。
「な…な…阿桜!!!何だその制服は!!」
真田君の絶叫も尤もです。
何故なら身につけているのは、まるで別の学校のものかと見間違える程の、プリーツスカートなのですから。
辛うじて素材は規定のものではあります。ですが根本的に見た目に大いなる問題を抱えています。
「何って…君が短いスカート短いスカートって言うから丈詰めてきてあげたんじゃないか」
「問題は丈ではない!!形が変わっているではないか!」
「だってあのタイトスカートって苦手なんだよね。あんなピチッと張り付くデザインのもの、よくはけるよねー…すごいよ女の子って。
僕恥ずかしくてミニのタイトってはけないよ。それとも何、そんな辱めたもの強制してはかせたいの?
君って見た目通りムッツリスケベなんだ。柳君の言ってた通りだ」
「ちっ…違うわ!!俺の個人的意見ではない!だっ…だいたい蓮二も何だ!!あいつ…あいつがそう言っていたのか?!」
思わぬ攻撃に声を上擦らせながら必死に抗戦しますが、やはり阿桜さんの方が一枚上手のようです。
「落ち着いて真田君!」
「む…すまん……兎に角生徒指導室に来い!」
それは本来生徒指導係の教師が言うべき台詞なのでは、という言葉は寸前で止まりました。
その教師は皆我々に仕事を押し付けているのです。
「えー…面倒臭いなぁ……話ならここで聞くけど?」
「ええい四の五の言わんとついて来い!」
「シノ、ゴ…?」
どすどすと足音を立てんばかりの勢いで歩く真田君の背中を見ながら、また知らない単語が出てきたと阿桜さんは首を傾げます。
「不平不満を言わずに、という事です。さ、参りましょう」
「口煩く言われるのは好きじゃないけど彼と喋っていると日本語の勉強にはなるね」
今から落ちるであろう真田君の雷など関係ないとばかりに呑気にそんな事を言ってのける彼女の神経を疑います。
「……まさかとは思いますが…それが為にこうして規則違反をしているわけではないですよね?」
「まさか。口煩く言われるの好きじゃないのに」
ひらり、と掌を返して真田君の背中を追うように歩き始める阿桜さんの背中を慌てて追いかけました。
その日、結局彼女はのらりくらりと真田君の説教をかわし、制服を改めるつもりは全く無いのだと言い切りました。
いえ、今日だけではありません。
翌日からも規定違反の制服(と、呼ぶには些か御幣があるような気がしますが)で登校を続けました。
季節はいつの間にか移り変わり、彼女が転校してひと月が経過しました。
制服は間服、夏服と切り替わりましたが、やはり阿桜さんは規定の物は着用せず、
真田君は顔を合わせる度に説教をしていますが、やはり彼女の耳には届いていないようです。
意固地になっているのでは、と思いました。
しかし何か確固とした信念があっての事ならば、真田君の言い分など聞くはずもありません。
どうにも常識という言葉を前面に出したところで相手には通用しないのです。
考えの軸が我々とは根本的に違っている。
私は、真田君には悪いと思いつつも、彼女にとても興味が湧きました。
阿桜さんは口煩く言う私たちを煙たがる風もなく、ごく普通に接してくれています。
話しかければ素直に受け答えをしてくれます。
そんな裏表のない屈託の無い部分が受け入れられたのか、初めの頃は陰口を叩いていた女生徒たちが自然と彼女を中心に集まってきていました。
成績は優秀とは言えないまでも、常に平均以上。
海外での暮らしが長い為英語に堪能で、授業中などさりげなく周りをフォローする姿をよく見かけました。
さらに女生徒に不人気な意地悪い英語教師をあの飄々とした態度で手玉に取るなどしていた為でしょうか、
今では一部生徒の間ではかなり人気があるように思えます。
繚様、繚様と呼ばれ身近な憧れの人として崇められていました。
ですがやはり特定の誰かと仲良くしているようにはなく、相変わらず一人で過ごしているようです。
彼女が何を考えているか、推し量るにはあまりに不確定要素が多すぎます。
ですから今日こそは真っ向対決をしようと密かに決心して阿桜さんの登校を待ちました。
しかし始業時間になっても彼女は現れません。
1時間目、2時間目と授業は過ぎて、しかしやはり彼女は登校してきません。
体調不良でお休みなのでしょうか。
そう思い4時間目の授業の準備をしていると、にわかに廊下の方が騒がしくなりました。
黄色い声、よく仁王君や丸井君、幸村君などがコートで浴びているような歓声に近い羨望を含む声が教室の中にまで届きます。
何かあったのだろうかと振り返ると、丁度教室に一人入ってくるのが目に飛び込んできました。
「あっ…阿桜さん?!」
「おはよう」
「お…おはようございます…」
何でもないように挨拶を交わしましたが、彼女の異形に思わず目を剥きました。
「ちょっ…ちょっと待ってください!その髪っ」
「え?ああ、朝美容院行って染めてきた」
阿桜さんのアイデンティティとも言えるであろう、あの特徴的な桜色の髪が一転、深い青色に変わっていたのです。
風にふわふわと揺れていたウェーブもしっとりと落ち着いたストレートになっています。
なるほど、それで先程廊下が騒がしかったのかと納得がいきました。
「しかし何故急に…」
「だってもう桜の季節は終わったじゃない?えーっと、何だっけ、Japanese iris見て感動して」
「あやめ…ですか?」
「そう!それ!すごく綺麗だったから、その色にしてみたんだよ」
「はあ…なるほど」
阿桜さんはどこか歪んだジャパネスクフリークスな部分があるので、何となく納得させられました。
私の横を黄色い声がすり抜け、あっという間に女生徒達に囲まれます。
キレイ、似合ってる、と囃し立てるクラスメイトににっこりと笑いかけ、
「ありがとう、君達も可愛いよ」などとリップサービスをするものですからますます声が高くなりました。
キャアキャアと言いながら去っていく彼女らを呆然と見送る私の隣で阿桜さんはにこやかに手を振っています。
しかしまるで映画に出てくるプレイボーイのような台詞を素面で言えるとは、
外国暮らしをしていると男性にこういった言葉をかけられる事も多いのでしょうか。
「かーわいいよね、日本の女の子って。もっと貞淑なのかと思ってた」
「おや、難しい言葉をご存知ですね?」
あれほど真田君との会話に詰まっていたというのにと少し引っ掛かります。
しかし彼女はあっさりと言いました。
「ああ、教えてもらったから」
柳君にでしょうか。
まさか真田君ではないでしょうし。
「おっ…と宿敵登場!じゃあね」
尋ねようとした途端手を振って慌てて自分の席に向かう姿に呆気に取られていると、背後から彼女にとっての天敵がやってきていました。
「真田君」
教室に入って真田君もすぐに異変に気付いたようで、一瞬眉を顰めます。
「…相変わらず制服を改める気にはならんようだな」
「え?え…ええ…そうですね……」
まずそこに目がいくのか、という内なる声は喉から出る寸前で止まりました。
あれだけの変化に気付いていないわけでもないでしょうし、どういうつもりなんでしょうか。
「髪色を変えたのか」
「そのようですね」
「藍色か……美しいものだな」
月が変わってすぐあった席替えの後も相変わらず窓際を陣取る阿桜さんの髪が窓から入る初夏の風に吹かれるのを見て、独り言のように真田君が呟きました。
私はあまりの事に言葉が出ず、しかし真田君もそんな私を気にする様子もなくご自分の席へと行ってしまいました。
頭ごなしに叱るわけでもなく、まさかこのような風流な一言を聞けるとは思いませんでした。
これが彼女の言っていた意識改革の一片なのでしょうか。
だとすれば事態が好転していると考えるに相応しい、そんな出来事でした。
§:4 It is very beautiful scenery.(SIDE:R.YANAGI)
阿桜の"秘密"は重大なようでそうでない、酷く曖昧なものだったが本人が知られるわけにはいかないと言う為、互いの牽制にはなっていた。
恐ろしく美しい空色の瞳も、最近変えたらしい菖蒲の色を真似た髪色も、弦一郎の手を煩わせる改造された制服も。
その全てが非現実的で非日常的だが、その全てが阿桜を彩っている。
そういえば柳生に聞いて驚いたのだが、その彩りを弦一郎が認める発言をしていたというのだ。
誰かに懐柔される姿など、精市相手以外では初めて垣間見た気がする。
しかし、だからといってこちらへの態度が軟化する事はなく、現状はあまり変わっていないようだった。
こちらはというと、少なからず味方が増えたという強みだろうか、赤也の態度が少し変化したように思う。
それまで余裕なく、どこか不安定ながらも真っ直ぐに気持ちを伝えてくれていた。
時折それが痛々しいように思っていたが、阿桜と話すようになりその尖った部分が幾分柔らかくなったのだ。
これもあのお騒がせ娘の持つ不思議の魅力なのだろうかとまるで他人事のように観察してしまう。
俺とて当事者なのだが、奴がいかにして弦一郎を攻略するのか、今はそちらに興味が向いてしまっている。
二時間目三時間目の間の二十分休憩、赤也と待ち合わせをしている屋上の立入禁止区域に足を踏み入れると、赤也はすでにやってきていた。
以前ならば飛び掛るように抱きついてきていたが、いつ誰が来るかも解らないという事がようやく理解できたのか、それもなくなっていた。
少し淋しいような気持ちもあるが、仕方ないのだ。
しばらく取りとめの無い話をしていると、階段へと続く扉が開いた。
傍目には不自然なほど身を寄せていた為少し赤也との間をあけるが、やってきたのは阿桜だった。
それまで遠目にしか見ていなかった菖蒲の髪色が風にさらさらと流れる。
「あれ?二人揃って…お邪魔だった?」
「いやっっ全然っ」
飛び上がるように赤也が立ち上がり、それが口先だけではないのだと体現する。
赤也は阿桜の秘密を知らない。
俺が言わないようにしたからだ。
隠し事が苦手な赤也経由で周りにバレてしまっては困る、そう思ったからだ。
だが赤也は何の疑いもなく誰にも言わないという口約束を信じているようで、阿桜にすっかりと懐いている。
元々物怖じを知らない性格だ。
周囲が距離を置くような相手であろうと構わず懐に飛び込んでいく。
それは赤也の良いところであり、危うい部分でもある。
「相変わらず仲良いね、こんな短い時間でも一緒にいるなんて」
「そりゃーまあ…好きな人とずっと一緒に居たいって思うのは…普通の事なんじゃないっスか?」
「そっかそっか。けど生憎だけど、僕にはその普通の感覚が解らない」
フッと一瞬遠くを見るような仕草を見せ、すぐにいつもの懐っこい笑顔になる。
そういえば初めてここで赤也との事がバレた時に言っていた。
愛だの恋だの下らない。
幻想に過ぎないのだと。
そう思う根拠がどこかにあって、それが阿桜の心に影を落としている事は明白だ。
しかし一人あれやこれやと考える俺と違い、赤也は不躾に直球を投げかけた。
「何で解んないの?」
「何でって……」
阿桜が一瞬困ったような表情を見せ言い淀んだ事に、赤也も気付いたのか、急激に態度を萎れさせる。
「すんません…何か俺マズイ事聞いちゃいました?」
「へ?ああ、別に構わないって。そんな悲愴な話じゃないから」
顔の前で手を振って笑う姿に無理をしている様子は無い。
どうやらその言葉に偽りはないようで、赤也もホッと息を吐いた。
「いい子だね、切原君は」
「は?俺?」
「うん」
「けど俺…何かあんま人に褒められるような奴じゃねーし」
「いい子だよ。人の気持ちを読める奴は」
俯きながらボソボソと言う赤也に、阿桜はきっぱりと言い放った。
「今の日本、空気読めない奴はダメみたいだけどさ、ほんとに読まなきゃならないのは空気じゃなくて相手の気持ちだよ」
阿桜の言う通りだ。
だが正論であるはずなのに、罷り通らない現代社会の根本を否定する輩はいない。
「ほんとに、こんなにいい子なのになーんで彼は許してあげないんだろうねー」
くしゃっと表情を歪め、泣きそうになる赤也を一瞬見やってから、阿桜はいつも教室でしているように空を仰いだ。
風にふわふわと揺れていた桜色の髪は、より空の色に近くなり、このまま飛んでいきそうな錯覚に陥る。
「外側ばかり気にして、本質を見抜けてないんだね、真田君は」
「どういう事っスか?」
「l'essentiel est invisible pour les yeux」
「は?俺エーゴ苦手なんっスけど」
「馬鹿、フランス語だ」
流暢な阿桜の発音に頭の上に大量の"?"を飛ばす赤也に思わず頭を抱える。
明らかに英語ではない発音だというのに、それすら解らないのか。
「えっ…柳先輩ってフラ語も解るんっスか?!」
「星の王子さまの中の有名な一節だから知っているだけだ」
「どういう意味なんですか?」
「本当に大切なものは目に見えない……肝心なものは目では見れないんだよ、という意味だ」
へえーと感心はしているが、阿桜が何を言わんとしているかは解っていないだろう。
「この制服がいい例じゃない?規則違反ってところにばかり目が行ってて、肝心の部分が見えてないしね」
「肝心の部分?」
「そう!問題なのはスカート丈でも形でも色でもないって事」
阿桜の言いたい事の核心を悟り、はっと顔を上げると空色の目がこちらを向いていて、視線が混ざった。
「男だとか女だとか、そういう外側じゃなくて、肝心なのは柳君を幸せにできるかどうかなのにね」
阿桜の言葉は尤もであり、そして理想論でもある。
確かにそうなのだが、実際問題色々とあるのだ、そう割り切るにも。
弦一郎の言い分も本当は尤もなのだ。目の前にある現実を思えば。
「君が柳君を傷付けるような真似をするんなら真田君の怒りも尤もだけど、
君が柳君を大切にしているのは僕にも解るし、それって一番大切な事じゃない?」
「先輩…」
「なーんて、そんなの僕が言わなくても解ってるか」
衒いのない阿桜の笑顔に照れ隠しのような苦笑いを浮かべると、遠くに予鈴が聞こえてくる。
「授業だ、戻るぞ赤也」
「ういっス!」
赤也の背中を叩いて立ち上がるように促す。
しかし同じ様に授業があるはずの阿桜が動こうとしない。
不思議に思ったのは俺だけではなく、一瞬先に赤也が聞いた。
「あれ?先輩行かないんっスか?」
「サボりはいけないな」
「違うって。次、体育だから。どうせ参加できないし」
「え、何…」
何で、という赤也の言葉を肩を叩いて制する。
「そうか、しかし出欠も成績に関わるからなるべく見学だけでもした方がいい」
「そうだね」
阿桜が頷くのを確認すると、不思議そうな顔の赤也を引きつれ階段ホールまで戻った。
そして教室のある階へ続く階段を下りながら説明する。
「同じクラスの柳生に聞いたんだが、阿桜は膝が悪くて運動を制限されているらしい」
「えっ…」
「それまでは俺達と同じようにテニスをしていたというから…
俺達が何の不自由もなくスポーツをしているのを見るのは複雑なのかもしれんな」
望むものに手を伸ばしても決して届かない。
そんな飢えがあの強烈な自己主張にも繋がっているのかもしれない。
尤も、奴の考えている事など俺には計りようもないが。
赤也と別れ、教室に戻ると黒板には至極嬉しそうな、今にも踊り出しそうなほどの書体で書かれた自習の文字があった。
一体何があったのかと級友に問いかければ、担当教師が今日は出張で休みなのだと返ってくる。
そういえばその様な事を前の時間に言っていたな、と思いつつ席についた。
そして読みかけの小説をカバンから取り出し読み始めた。
どうせ自習など名ばかりで誰も勉強などしないだろう事は明白。
大方の予想通り、監視役の教師がやってきて出欠確認を済ませる。
だがその教師も真面目に自習させようなどと思っていないのか、
騒いで周りの教室に迷惑をかけなければ何をしてもいいなどと無責任な事を言っている。
そして自らはさっさと手持ちの問題集を開いてもうじき始まる中間試験の問題を考え始めてしまった。
やれやれと溜息を吐き、一応は調べ物があるから図書室に行くと告げて教室を出ると俺は屋上への階段を再び上った。
こういう時、日頃の信用というものは大きな武器になる。
教師はさして疑う事もなく、快く送り出してくれた。
流石にもう見学に行っただろうかと思ったが、予想通りと言うべきか、裏切られたというべきか、阿桜はまだそこにいた。
屋上の真ん中で大の字になり、空を眺めている。
しかしこちらの気配に気付き、慌てて起き上がった。
「なーんだ、君かあ…びっくりした」
「教師かと思ったか?」
「いや、先生は恐くないんだ。ただ君のところの副部長さんがねー…」
「あいつの説教は鬱陶しいか?」
「ううん。僕は平気。それよりいつか彼の血管切れちゃわないか、その方が心配かな」
なるほど違いない、と笑うと悪びれない笑みが返ってきた。
天真爛漫と言えば聞こえはいいが、心の底が見えないあたり子供のような無邪気さは感じられない。
「はー…いい天気だねー…」
再び大の字になり、呑気に空を眺め始めた。
やはり授業に出るつもりはないようだと、俺は諦めて少し離れた場所に座った。
そして持ってきた小説を開く。
暫しの後、遠くに体育教師の怒鳴る声がする。
どうやらサボっている目の前の人物を探してくるようクラスメイトに言っているようだ。
現場主義の堅物教師に上からの圧力など関係がないのだろう。
阿桜に対しても、さして抵抗無く叱っている気がする。
尤も、それも持ち前の明るさで上手くかわしていたが。
「……逃げなければあと10分ほどで弦一郎が来るかもしれんぞ」
「その時はその時でいいんじゃなーい?」
赤也あたりにはよく効く一言も、相手が悪いらしい。
全く動じない様子に思わず溜息が漏れた。
「天衣無縫とはまさにお前の事だな…」
「…テンイムホー?」
一瞬の間を置いて、きょとんとした表情が返ってくる。
やはり、と確信した。
「もう演技はしなくていいぞ」
「何が?」
「日本語が不自由というのは嘘だろう?」
しばらくじっと見ていると、相手は観念したように表情を緩めた。
「気付いてたんだ」
「英語の挟み方や単語の使い方が不自然だったからな。それにさっき、赤也に悲愴という言葉を使っていた。
今までの語彙傾向から考えて"日本語が達者でないお前"が自然にその言葉を使えるとは思えない」
「うわっ…そんな事まで解析してたんだ…」
「性分でな」
阿桜は足に反動をつけて再び起き上がり、がしがしと頭を掻く。
そして困ったように笑って付け加えた。
「ごめん、それも内緒にしてて」
「それも周りを黙らせる為の策という事か?」
「まあね。いざって時逃げ口上になるし…でもさっきも柳生君に疑われて焦ったよー」
出てくる単語はやはり日本語に堪能な者でなければ使いこなせないものだ。
柳生もあれで鋭いところがあるから気付いたとしても何ら不思議は無い。
「そうか。しかし日本語はどこで習ったんだ?全く問題なく使っているように感じるが?」
「5年前までは日本にいたから。だからここ最近出来た若者言葉とかは全然解らないよ」
噂ではずっと海外で暮らしていたと聞いたが、それはやはり噂でしかないらしい。
「では親の転勤か何かか?」
「んー…と、語学留学、かな」
「単身で小学生の時から?」
「向こうに親戚がいるから。ま、色々あるんだよ」
それ以上深くは追究しないでくれという態度に、何も言えなくなってしまった。
その後しばらくはお互い黙って別々の方向を見ていたが、不意に阿桜が口を開く。
「真田君ってさ…」
そこまで言うと、一旦言葉を切り、体を起こした。
「…弦一郎がどうした?」
「よっぽど君の事好きなんだろうね」
「何?」
「友愛と恋愛に差異はないよ。ただ本人の自覚の問題だと思う」
あまりに突飛な意見だ。
確かに俺と弦一郎、そして今入院中の精市を含め親友と呼べる程仲は良いだろう。
しかしその間にあるのは赤也が俺に向けるような愛情はないはずだ。
「ありえん」
「そうかなあ…まあ本人も無自覚に見えるし、僕の思い過ごしだといいね」
「そうだな」
是非そうであってほしい。
弦一郎は弦一郎であって、確かに好きではあるがそれは赤也への思いとは別物だ。
今この混沌の状態で精一杯なのだから、これ以上の面倒ごとは出来れば避けたい。
仮に阿桜の言う通りだとしても、俺にはどうする事もできないのだから。
§:5 The essence(SIDE:H.YAGYU)
彼女の言動の数々に、一つ思い当たる節がありました。
私はその事に関して詳しいわけではなく、はっきりと断言はできませんが一つの可能性として考えついたのです。
「性同一性障害?」
「ええ、阿桜さんがああして女生徒よりも男子生徒と仲良くするのも、あの一人称も…もしやと思いまして」
昼休み、相変わらず一人窓にもたれかかり空を眺めながら食事を摂る阿桜さんに真田君との会話は届かないでしょう。
しかし万が一にも周りに聞こえてはと声を潜めます。
「だとすればとてもデリケートな事ですし、あまり頭ごなしに決め付けるのはよくないかもしれませんよ」
「しかしそれが規則違反をしていい理由にはならんだろう。第一、それならば女子の制服でなく男子の制服を着て登校するのではないか?」
言葉の持つ意味を解るかどうか、確信なく話し始めましたが、意外にも会話は続き、
真田君がその言葉が示す意味を知っている事に少し驚きました。
「ええ…その辺の矛盾点はありますが…」
確かに真田君の言う通り、同じ違反をするにもその方が自然です。
やはり私の思い違いだったのでしょうか。
ですが、阿桜さんはあっさりと言ってのけました。
もちろん女の子が好きなんだよ、と。
まだいくつかの矛盾点はありますが、性同一性障害ではなく、
同性愛者であるなら、柳君と切原君の関係を理解できるのも納得がいくかもしれません。
尤も、柳君たちは別段同性愛傾向にあるわけではないのだと言っていましたが。
しかしなるほど、そういう事だったのかと思いました。
少なくとも私だけですが。
彼女の言い分を理解できれば少しなりとも柳君達への態度も軟化しそうに思うのです。
が、やはり真田君は理解し難かったらしく、苦言を申し立てています。
「別に僕が誰を好きでも構わないじゃないか。どう考えても君とタイプは違いそうだし、好きな子かぶる心配ないしいいじゃない」
「そういう問題じゃなかろう」
「じゃ、どこに問題があるんだよ」
放課後、三人だけの生徒指導室は誰の目も無い為、二人は遠慮なく言い合っていました。
真田君の概念では、男は女を好きになるもの、女は男を好きになるものという定規があるのでしょう。
世の中の大部分の人がそうであるように。
そもそも、彼女や我々がフラットに受け入れすぎているという感覚も否めません。
昔に比べて性差は壁は取り払われたとはいえ、まだまだ偏見のある事です。
その辺りを心配してだという事に、真田君の頑なな態度も解ります。
しかし頭ごなしに何でもかんでも否定しているのは少しやり過ぎではないかと思いました。
少なくとも、我々のような友人だけでも祝福をすれば、少しは柳君達の心も軽くなるのではないか。
彼らが思い悩み、悩みに悩み抜いた上で出した結論が今の状態であるなら尚更です。
しかも柳君は今尚この関係が正しいかを悩んでいる状態なのですから、真田君のこの態度が不安要素になっている事は間違いないでしょう。
「だいたい、僕が女の子を好きになるのは普通の事なんだよ。
まあ外から見ればどこをどうやったって君達と並んで歩いてたほうが自然なんだろうけど」
椅子から立ち上がり、真田君に立つように促すと横に並び腕を絡めます。
突然の行動にいつもどっしりと構えている真田君が珍しくうろたえ、離さんかと振り払ってしまいます。
ですが、決して小柄ではないものの、背の高い真田君と並べば街中ではさぞや目に留まるであろうカップルのように見えました。
「男性はお嫌いなのですか?」
「何で僕がむさ苦しくて汗臭い男子と一緒にならなきゃなんないんだよ」
えらい言われようだと真田君は眉を顰めます。
「まあ日本の男の子って比較的小奇麗だけど。ああ、柳君とか女っぽいって事はないけど雰囲気柔らかくて綺麗だよね。
ま、だからって好きになるかって聞かれたら違うんだけど」
「確かに…」
思わず納得が口をつきましたが、真田君に睨まれ続きは飲み込みます。
「けどさ、うちの兄貴なんて僕より女顔で細くて、背は僕より高いけど見た目丸っきり女だよ?」
「そうなんですか?」
「でも本人はそれが普通だと思ってるし……どんなに外から見て自然でも、僕にとってはやっぱり不自然なんだよ」
彼女にとっての普通が、たとえ人にとって歪であったとしても貫き通す。
確固たる信念のようなものが見えてきました。
「しかし世間はそれを許さん」
「何で誰かも解んない奴のご機嫌取りながら生きなきゃならないんだよ。僕の人生なのに」
「俺はわざわざ波に揉まれるような状況に蓮二が飲まれるのを解っていて放ってはおけない、それだけだ」
「でもその言い分だと、僕への否定は矛盾するんじゃない?」
真田君は言葉を失いました。
確かに彼女の言う通りです。
「結局君は、自分の理解できない世界に足を突っ込んだ友達を認めたくないだけなんだよ」
「何っ…」
「真田君おさえて!」
激昂の兆しを見せる真田君を宥めるも、彼は言葉を止めませんでした。
「そんな事はない!俺は間違ってはおらん!!それに止めてやる事が蓮二の為になるんだ」
「そうかな。僕はそうは思えない。そんなの君の独りよがりだ。君の勝手を押し付けているにすぎない」
一触即発の雰囲気に、私はどうしたら良いものかとうろたえるばかりです。
阿桜さんがこんな風に感情を露にする事は初めてで、どうしていいか解りません。
キツイ印象の瞳は怒気を含んで更に鋭さを増します。
その迫力に真田君すら一瞬怯みました。
「君の言う常識って何?普通って何?その軸って結局自分を中心にしてあるものなんだから、
それを人に押し付けるのっておかしくない?君の言う普通や常識って、僕にとっては何の意味もないし理解もできない」
相容れない意見の二人が睨み合い、一言も発しないまま時計の音だけが響きます。
膠着状態を先に破ったのは真田君でした。
「お前の言い分も解らんでもないが…しかし……」
彼らしからぬ歯切れの悪さです。
言いたい事が定まらないのか口篭る姿に、阿桜さんはそれまでの鋭い瞳を少し和らげました。
「君は少し表面を気にしすぎなんだよ」
「何?」
「l'essentiel est invisible pour les yeux」
今のは確か、星の王子さまの一節。
意味は、そう、大切なものは目に見えない。
「もっと物事の本質を見ないと、大切なものを失っちゃうよ?」
「俺のどこが…!!」
「まだ解ってないみたいだね」
ガタリ、と大きな音を立てて阿桜さんが立ち上がります。
また先程と同じような鋭さが瞳に戻り、真田君と私を射抜きました。
「君のその下らない価値観なんて、僕が覆してあげるよ」
「何?!」
「じゃあね」
どういう意味なんでしょう。
不敵な笑みを残し、立ち去る阿桜さんを呆然と見送りますが、先に我に返り私は真田君を放って彼女を追いかけました。
廊下を歩く背中に追いつき、肩を叩いて足を止めさせます。
「阿桜さんっ」
「明日、楽しみにしてて」
「なっ…何をするつもりなんです?」
これ以上、という暗な意味あいを持たせて尋ねます。
「彼のあの石頭を叩き割るんだよ」
トンっとこめかみを指で叩き、そのまま立ち去る姿を、今度こそただ呆然と見送る事しかできませんでした。
§:6 Her maximum secret.(SIDE:R.YANAGI)
その日は朝から弦一郎のクラスにいた、その偶然を呪うべきか、幸運だと思うべきか。
登校してきたその姿に教室が色めく。
少し前から廊下がざわついていたのはこの所為なのだと思いついた。
「あ……あさ…くら?」
弦一郎の机の前に立っていた俺は、柳生達より先にその異変に気づいた。
目を見張り言葉が出ない。
そんな俺の異変に気づいた弦一郎が後ろのドアを振り返る。
「あ…あれは…」
「…阿桜さん?」
隣に立っていた柳生も信じられないという表情で言葉を失った。
何故なら、あれほどまでに頑なに着ていた制服を放棄し、あろう事か男子制服を着て登校してきたからだ。
それだけではない。
肩まで伸びていた髪は短く、とはいっても俺達よりはまだ長い、丁度丸井より少し長いぐらいではあるが、ショートカットになっている。
あれだけ鮮やかだった色も真っ黒になっていた。
全く状況を理解出来ていない弦一郎達を含め、教室、否、学校中で俺だけであろう。その事情を知っているのは。
「お前…その制服……」
「どう?これが君の言う普通の正体だよ」
弦一郎の前に立ち、冷たく見下ろす姿に俺は漸く我に返る。
まだ呆然としたままの弦一郎と柳生、そして阿桜を引きつれ、ひと気のない特別教室棟へと向かい、生徒会室に連れ込んだ。
あのまま教室では話もままならない、そう判断したからだ。
生徒会室に入るなり、弦一郎は肩を震わせ怒声を上げた。
「な……何だその格好は!!!規定違反以前の問題だ!!」
「弦一郎!」
「何故?シャツもズボンも規定丈でネクタイもちゃんとしている。髪だって黒にした。これ以上ないぐらい模範的なはずだけど?」
そう、その通りなのだが弦一郎はおろか、柳生すら納得がいかないと表情を歪めている。
「もういい、これ以上庇い立ててくれなくとも…」
俺の、俺達の所為で阿桜の不利益を露呈させるわけにはいかない。
慌てて止めるが、阿桜は平然と言い放つ。
「いいよ、別に。君の所為じゃない」
「しかし…」
「柳君?どういう事なんです?」
柳生に遮られ、どう説明すればよいかと逡巡する。
三者の間に視線を彷徨わせていると、おもむろに阿桜がポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
それが生徒手帳であると気付き、手首を掴み止めようとしたが先に弦一郎の手に渡ってしまった。
「…な…何?!」
それまでの鬼気迫った表情から完全に力がなくなり、弦一郎はこれ以上ない間抜面で生徒証を見下ろす。
仕方ないだろう。
今まで信じて疑わなかった現実を覆されたのだから。
「お…お前…男だったのか!!」
情けなく裏返る声に反応した柳生が弦一郎から生徒証を引ったくり、信じられないと呟く。
「だったら何故そう言わない!!」
「どこの世界に自分の性別触れ回る奴がいるんだよ。君、自己紹介する時に言うの?真田弦一郎15歳の男ですって」
「そっ…それは…そうだが……女子の制服なんて着ていたら勘違いするだろう!!」
「じゃあ柳生君が女子制服着てたら女だって思うんだ?」
「わっ…私ですか?!」
いきなり矛先を向けられ素っ頓狂な声を上げて驚く。
「そんな訳がないだろう!!」
「だよね。だったらその理屈、僕にも当てはめてよ。それが普通なんだろ?」
無茶苦茶な言い分だが、一応筋は通っている。
「どう?解った?君を基準にした普通なんて、僕にあてはめればこうなっちゃうんだよ」
そして二の句の継げない弦一郎に、更に畳み掛ける。
「規定通りの制服に黒い髪。全部が僕にとって不自然で、でもこれが君の言う普通だよ」
言ってはなんだが、俺の目にも不自然に映っている。
男子にしては華奢、というより最早痩せた女子という体つきの阿桜に男子の制服は全く似合っていない。
空色の瞳に黒い髪もそうだ。
淡い色の瞳に純日本風の髪色は不自然だ。
否、よく見れば空色ではない。
薄暗い室内で見ると、存外に阿桜の瞳はアッシュブルーをしていた。
いつもの晴れわたったような空色ではない、今にも雨の降り出しそうな空色を。
ああ、そうなのか。
いつも空を眺めていたから、あんなに鮮やかな空色をしていたのだ。
凡そ見当違いな事を考えながら、彼の言葉を聞く。
「僕はどんなに望んだって君のような恵まれた体格も、男らしい顔も、声も、全部手に入らないんだ。
そんな不公平を同じ枠に押し込めようとする事こそ、不平等なんだよ。全員を一律にする事が平等だなんて、
そんなの優れていると思っている側の驕りでしかない」
そう言って視線を落とす彼にかける言葉など、俺たちから出せるはずもない。
傷つけてしまっていたか、と思ったが、意外にも子供のような顔で笑った。
「だーから言っただろう?問題はスカート丈でもネクタイでもないんだって」
そうか、彼はもう自分自身でとっくに乗り越えていたのだ。
俺達が杞憂するまでもなく、ありのままの自身を受け入れ、受け止め、そして誰よりも現実を見ている。
聞こえのいい事を言って自身を誤魔化したり現実から目を逸らしていたのは俺達の方だったのだ。
押さえつけようとする枠から自ら外れ、非難されながらも己を突き通した規定外の制服こそ彼に相応しいものだった。
尤も、学校側からすれば、それを容認してしまうと何かと問題多いのだろうが。
「…すまなかった…事情を知らなかったとはいえ……俺はお前にとんでもない失言をはたらき傷付けてしまったようだ」
こういう場面で潔く己の非を認め、謝れるのは弦一郎の美点だろう。
しかし阿桜は笑顔を消し、初めのような無表情を顔に貼り付けた。
「傷付ける?とんだ思い上がりだね。僕は君に傷つけられるほど気を許してはいないよ」
「何?」
「僕は外側の人間だから何を言われても平気だけど…そうじゃない人だとどうだろうね?」
一瞬何の事だか解らないと弦一郎は呆けるが、俺と目が合い何を示しているかに気付いたらしい。
さっと顔色が変わった。
「大切に思っている親友ならと思って信用して話した秘密の関係の事を理解してくれなくて、
存在の根底を頭ごなしに否定されて、それで平気でいられるのかな」
「蓮二……」
戸惑いの表情を浮かべ、俺を見る弦一郎の視線を受け流し、阿桜に目をやる。
ここまで言って解らないほど馬鹿じゃないだろう、と語っている。
にっこりと笑い、じゃあ着替えて教室に戻るよと言って生徒会室を出た。
呆然とまだ今ひとつ状況を理解していない弦一郎と柳生を室内に残し、俺はその背中を追った。
§7:The truth.(SIDE:H.YAGYU)
阿桜さんと柳君が出て行き、静まった室内に徐々に冷静な自分が帰ってきました。
そしてようやく全ての事情を理解できました。
「彼女…いえ、彼が言っていた事はすべて真実だったんですね……」
あまりの急展開に思考が追いつかず、私もまだ謝れていない事に気付き慌てて二人を追いかけました。
教室に戻ったのだろうかと思いましたが、二人はゆっくりと屋上へと続く階段を上っているところです。
「柳君!阿桜さん!!」
「柳生?」
「あれ?いいの?優等生。授業はもう始まっちゃうよ?」
予鈴が廊下に響き渡りますが、今はそれよりもただ謝りたくて、
私は二人に付き合い生まれて初めて授業をサボるという事をしてしまいました。
屋上は空に近い分、コートにいた時よりも日差しが強いと感じます。
柳君は直射日光を避けるように階段ホールの庇から出ようとしません。
阿桜さんは軽い調子でひょいひょい、と屋上に出て行き、いつものように空を眺めます。
「あの……」
「あー謝るなよ。別に気にしてないし、言わなかったのはわざとだから」
「…え?」
「誤解されてんの解ってたのに、そのままにしてたのは僕の方だからさ」
確かに、不自然すぎでした。
いくら鈍感だったとしても、彼が自分自身をこれだけ客観的に理解しているのなら尚更です。
「最初はちょっとしたゲームだったんだ」
「ゲーム?」
「そう。ここの制服屋が勝手に間違えて女子制服仕立てたのがそもそもなんだよ」
この学校への編入が決まり、採寸に行った学校指定の業者が例に漏れずこの容姿に女性であると疑わず、
出来上がってきたのは女子制服だったと言います。
「流石にマズイだろうって思ったんだけど、ここの理事…ああ、親父の昔馴染みで知り合いなんだけど、
その人が丁度女子分しか席の空きが無いとか言って面白がって女生徒で編入手続きしたの」
「それでバレたらまずいと言っていたのか」
「んー…まあバレたらバレたで面白いと思ってたし、別にどっちでもよかったんだけどね」
本当にそう思っているのか、へらり、と笑う顔に全く緊張感がありません。
それにしても柳君がこの事に気付いていた事に驚きました。
彼の千里眼で見抜いたのかと思いましたが、切原君との関係がバレた時阿桜さんが自ら話したのだと言います。
絶対に他言はしない、その言葉を信用させる為に。
「僕ね、もうすぐこの学校辞めるんだ」
「え…?」
「何?」
私の声と柳君の声が綺麗に重なりました。
まだここに編入して三ヶ月も経っていないというのに何故という疑問にあたります。
「日本には息抜きで帰ってきただけだから。元々は桜の季節が終われば向こうに戻るつもりでいたんだ」
でも予想外にここでの生活が楽しくて、気付けば季節が移り変わっていたのだと笑います。
「僕がここに来たのはね、君たちのボスの願いだったんだよ?」
「…ボス?」
「精市か?」
「そう。正確にはその願いを聞いたうちの兄が言い出した事なんだけど」
今のレギュラー内を取り巻く不穏な噂を聞いた幸村君が、どうにかしたいと言っているのを聞き、
今彼の入院している病院にいるというお兄さんが不安要素を取り除く為に阿桜さんに話を持ちかけたそうです。
お前の存在が、一人の少年の悩みを解決できるかもしれないんだと。
そして今日本は桜が綺麗だから見に来いと言われて釈然としないまま日本に呼び戻され、勝手に編入手続きをされてしまった。
「そうか……すまなかった…恐らく精市が無理を言ったんだと思う」
あの笑顔で押し通したのだろうと私は練習中の幸村君を思い浮かべます。
「まあ最初はね、何で今更日本の学校に行かなきゃなんないんだよって不貞腐れてたんだけど…君達がいてくれたから楽しかったかな」
確かに初めは真田君の説教を聞き流していましたが、途中からはどこかそのやり取りを楽しんでいる節があったように思います。
「では…もうすぐいなくなるんですね……淋しくなります」
「問題児がいなくなって楽できると思ってるんじゃない?」
「そっ…そんな事は…っ」
「でも嬉しいよ、そう言ってもらえて」
否定の言葉も想定内だったのか、あっさりと受け流します。
そして驚くべき事実に、阿桜さんが男性だったという以上の驚愕が待っていました。
「今9月の卒業に向けて論文書いてるんだけど、丁度思い詰まってたからいい気分転換になったよ、今回の騒動も」
「…論文?お国のハイスクールでは卒業するのに資格が必要なんですか?」
「ああ、違うよ、修士課程の」
「修士…って、大学院に行ってるんですか?!」
そうだけど、とあっさり肯定され、柳君と二人言葉を失います。
日本と違い外国には飛び級があるという事は知っていますが、実際にこうしてお目にかかる事はまずないと思っていました。
専攻が言語学だと聞き、あの曖昧だった日本語が本当は専門分野だったのだと知ります。
しかし騙されたと解っても、それほどに怒りが湧かないのはそれ以上の驚きがあったからでしょう。
「あーあ…こんなに学園生活が楽しいんなら、日本の学校に行くのも悪くなかったかな」
教室に整然と机を並べ同じ制服を強制的に着せ、同じ規律を押し付ける日本の学校は肌に合わなくて、海外に渡ったのだと。
向こうでは大学内の研究所住まいで同年代と知り合う事も話をする事もなく5年を過ごし、
日本の詰め込み型の教育はずっと無駄だとばかり思っていた、しかしそれも少し覆ったようです。
「勉強だけじゃないんだね、学校で教えてくれるのは」
もちろん勉学は本分ですが、我々がここで得られたものはそれだけではありませんでした。
何よりもかけがえのない仲間を手に入れる事ができました。
それはこれからの私の財産となる事は間違いありません。
§8:The last episode.(SIDE:R.YANAGI)
久々に朝練を休んだ。
そして何時に来るか解らない相手を空港で待つ。
「あれ…柳さんっ!来た!マジで来ました!!」
先にその存在に気付いた赤也に肩を叩かれ、慌ててその背中を追う。
一人で来ようかと思っていたが、赤也がどうしてもと言ってついてきたのだ。
「阿桜」
「あれ?二人そろって…見送りにきてくれたんだ?」
「ああ…まさかこんなに急に帰るとは思わなくて驚いた」
「あー…挨拶もなしになっちゃったね。ごめん」
昨日、学校の関係で急遽帰国する事になったらしいとA組の担任にその話を聞かされなければ、
何も言えないままの別れとなるところだった。
赤也と二人で待ち伏せして、小さなキャリーバッグ一つを引きずり空港に入ってくるところを捕まえられた。
そしてその姿に驚かされる。
初めて屋上で頭上から降ってきた日と同じ桜色の髪に戻っている。
制服姿と違い、パンツ姿も相まって少しは性別相応に見える、気がしなくもない。
が、やはり桜の風は同じ性別とはとても思えなかった。
もしも彼のような見た目であれば、たとえ男同士であったとしても引け目はなかっただろうかと、そこまで考えて思考を打ち消す。
やはり俺は俺でしかないのだ。
「あのっ…先輩……」
赤也が何かを言おうとするが、先に胸がいっぱいになったのか背後に隠れるように顔を伏せてしまう。
「仲良くね、柳君と」
「…っス!!」
「他の先輩とも。もちろん真田君とも」
頷くだけで、結局赤也はそれ以上何も言えなかった。
あの日、弦一郎は頭を下げ今までの事を詫びてきた。
これからはもう少し柔軟に周りを見る事にする、お前にも赤也にも酷い事をしてきたかもしれないと。
あれほどまでに頑なだったあの頑固者を懐柔するとは、やはり只者ではなかった。
そんな人物との別れは淋しいものだ。
初めは面倒事の種でしかないと思っていたというのに。
「弦一郎も…柳生も淋しがっていた。あの性格だから表には出していなかったが、弦一郎は特に…」
「そっか、じゃあ伝言お願いしようかな」
「何だ?」
「あの日、君達を庇うつもりであんな風に言ったけど、本当は少しショックだったって」
何の話だろうと記憶を呼び起こし、そして思いつく。
恐らくは弦一郎に気を許していないから平気だったと言っていた、あの事だろう。
「僕、日本にいた頃も全然学校行かずにいたから友達って今までいた事なかって、
人との距離感ってよく解らなかったけど…もしかしてこういうのが友情っていうのかな」
「…そうだな。その友の輪の中に、俺達も入れてもらえるか?」
「もちろん」
少し奇妙な形ではあるが、このふた月の間にあった出来事を共有した大切な友人となった。
別れが淋しいと感じるのもその所為だろう。
赤也はテニス部以外で初めて尊敬できる先輩が出来たのにと今にも泣き出しそうな顔をしている。
「そんな顔しないで。秋には日本に戻るから」
「そうなのか?」
「ああ。卒業したら日本に帰るつもり。まあ向こうは研究所に残れって五月蝿くてどうしようかって思ってたけど…帰る理由も出来たしね」
「理由?」
「そう。気になる事が日本にはたくさんある。紅葉が見たい、久々に栗ご飯も食べたいし、秋刀魚もいいなー…あ、焼き芋もやりたい!」
そんな事か、まるで丸井のような事を言われ脱力しかかったが、思わぬ言葉に思考が止まる。
「君達が仲良くしているかも気になるし、幸村君のコートへの復帰も見たい。
それから、また日本一になった君達に会う為にね、帰ってくるよ」
そうだ、俺達には全国三連覇の悲願がある。
「もちろん、俺達は負けない。今は戦線離脱している精市の何よりの願いでもあるんだ」
「うん。頑張れ」
あの日屋上で聞いたのと同じ台詞、同じ力強さを残し、桜色の風は手を振り季節と共に去ってしまった。
ゲートの向こう側に消える背中を見送ると、赤也はぎゅっと手を握ってくる。
「赤也?」
人前では決して見せなくなった姿に少し戸惑うが、振り払わずに見下ろす。
「なーんかすっげー人でしたね」
「…そうだな。あの弦一郎を本当に説得してしまうと思わなかった」
「それだけじゃないっスよ」
「何?」
「アンタも変わりました。あの人と出会ってから」
以前ならばこうしていれば必ず人目を気にしてばかりいたのに、と言って手を強く握り直す。
「…そうか…そうだな……気にならないと言えば嘘になるが、しかしそれ以上に大切な事に気付かせてもらったようだ」
今この手をつないでいられる事が奇跡のように思えてならない。
もし彼が気まぐれに俺達に関わらなければ、いずれ別れが見えていたかもしれない。
それは弦一郎が理由ではなく、間違いなく俺の心の隙が生む自滅という形で。
彼の残した言葉の全てが俺達の心に残っている。
月並みだが、誰一人として言ってくれなかった言葉、頑張れの一言はこれからも灯りとして俺達を照らしてくれるだろう。
決して無責任な励ましではない、心からの言葉だと思えたのは、恐らくその身を犠牲にしてまで弦一郎を諭してくれたからだ。
「頑張ろうな、赤也」
「何を?全国三連覇?それとも俺との事っスか?」
「両方だ」
俺も赤也も、そして他の皆も。
心に少しの変化を感じ、しかし今まで以上の結束力を手に入れられた気がする。
「帰りましょう、柳さん」
赤也は手を握ったまま歩き始める。
空港を出る駅へ向かう為に。
ここを出れば、また同じ日常が待っている。
ガラスの向こう側に広がる空色が、遠く広がり彼の国へと繋がるだろう。
そして彼の瞳と同じこの色を見る度に心に誓うのだ。
俺もお前のように心強くありつづけよう、と。
それまでの人生を大きく変えるような出会いなんて、そうそうないものだ。
あるとすれば、人はそれを運命と呼ぶ。
俺達が同じ時代、同じ場所に集ったのもまた運命かもしれない。
それぞれが強い力と光を放つ、奇跡とも呼べる集まり。
そして今、再び絆を結び直した。