浄玻璃ノ鏡




城下から離れ、人里離れて更に山間を進むと鬼が棲むと噂の古刹がそこにはあった。現在住むのは年老いた住職ただ一人。
地元の住人も滅多に近寄らない寺ではあったが、時折地元に住む老人などが訪れては祈りの空間に身を置いていた。
「なあなあ、おばあちゃん。この石何?桜の木に食べられてるで?」
桜の幹に抱かれるように佇む大きな岩を前にしゃがみ、手を合わせる老婆に向け少女が不思議そうに尋ねる。
一先ず先に経を唱えた老婆は合わせていた手を解き、岩に手を当てた。
「これはなあ、仏岩ていうんやよ」
「ほとけいわ?これ仏さんなん?」
「せや。これはな……ずっと、ずーっとここで人を待ち続けてとうとう岩になってしもた坊さんやねんで」
老婆にそう言われ、それまで小さな手で岩を撫でていた少女は驚いた面持ちでぱっと手を離した。その様子に老婆は眉を下げて笑う。
「そういう伝説があるっていうだけや。ほんまにこれが仏さんなんか……ただの作り話なんかはわかれへん。けどなぁ……」
そこで言葉を切ると老婆は痛む腰をさすりながら立ち上がり、岩を守るように立つ桜の木を見上げた。
「この桜に鬼が棲んでるっていうんはほんまかもしれんなぁ」
「え?この桜…鬼なん?」
「そうやで。この桜に棲む鬼がな、この仏さんをずっと守ってるんやて」
鬼は人を襲い、食らう恐ろしい生き物なのではと少女が訝る。だが老婆はそれを静かに否定した。
「ほんまは…鬼は優しい生き物なんやで。鬼の心を恐ろしいもんにするんは人間なんや」
難しい、よく解らないと首を傾げる少女に、老婆は優しく諭した。お前も大人になれば解るよ、と。
人の抱く恐怖心は鬼を恐ろしい生き物に化けさせる。優しい者には鬼も優しい心で向き合うものだと、老婆は幼い頃から聞かされていた。
異形の者を無闇に忌み嫌わないように出来た戒めの為の言い伝えか、それとも真実なのか、それを知る者はもういない。

〜続〜


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