仁王の膝枕って絶対乗せ心地悪いだろ。
幸村が調子悪くなったのは重力に筋力がついてこなかったから。
首肩周りも衰えるから頭が支えきれなくて、地面に垂直になると
胸が押しつぶされそうに苦しくなったりする。
何とも表現し辛い苦しさですが、深い水中にいるような感覚が近いかも。
体の重さというか、水圧というか、そんな感じ。
ちいさな展覧会
今日は気分がいい、と言う幸村が病室の外の空気を吸いたいと我儘を言い始めた。
以前は病棟の外には出てはいけないのだと主治医に言われていたのだが、今は廊下を散歩するぐらいは構わないと言われているらしい。
この病院の廊下にはたくさんの名画が飾られていて、それを見て回りたいのだと言う。
それを受け仁王はナースステーションに行き、車椅子を借りると病室に戻った。
「借りてきたぜよ。移れるか?」
「うん。ゆっくりなら」
ベッドの横に車椅子を置き、ゆっくりと起き上がる幸村を見守る。
手を貸す事もせず、じっと見つめる視線に気付き幸村はふっと唇に笑みを乗せた。
「仁王」
「何じゃ」
「お前ほんと凄いよ」
「何がじゃ」
「空気読み過ぎ」
これが他の者ならばこの状況に見かねて手を貸すだろう。
それも優しさであり、仁王の姿も一つの優しさだ。
今日は時間もある為、今は一人で起き上がり、一人で車椅子へと乗り移りたかったのだ。
そんな幸村の心境を見抜いたのか、ただ億劫なだけだったのかは定かではない。
それでも仁王の性格を考えれば恐らくは前者だろう。
幸村は仁王の視線を感じながら体をゆっくりと車椅子に移した。
足に力が入りきらない為、腕に無理な力を込めた所為で疲労困憊となってしまった。
その様子を見た仁王は枕元に置いてあったペットボトルを渡し、水を飲ませる。
少し落ち着いたのを見て取った仁王は車椅子のストッパーを外した。
「ほな行くぜよ」
「うん。よろしく」
病室を出てしばらくは特に何の会話もなく病棟内をうろうろと散歩して回っていたが、二つ階を上がったところで幸村の顔が蒼白している事に気付いた。
「おい……辛いんか?」
「ん、ちょっとね」
手で胸を押さえ、前屈みになる姿に流石に焦りを覚えた仁王は幸村の前にしゃがみ込み顔を覗いた。
「病室戻るか」
「まだ帰らない……少し横になれば大丈夫だ」
「横にって……」
車椅子に乗った今の状況じゃ不可能だ。
しかしすぐ側の休憩所に長椅子がある事に気付き、あそこに移るかと尋ねる。
頷くのを見てすぐに休憩所に入り、そこにある冷たい色合いの長椅子に近付く。
流石に自分で動くのも辛い様子にさっきとは違い手を貸す事に躊躇いはなく、幸村も素直にその手を取った。
だが不満そうな幸村の視線に何か嫌な予感がする。
「何じゃ。膝でも貸せってか」
「よく解ったな。流石だよ仁王」
「しゃーないのう……他ならぬお前さんの頼みじゃ」
誰かに見られやしないかという不安よりも、見られてもまあ構わないかという気持ちにさせられる辺り、幸村の人となりというべきか、誑し込みというかと苦笑いが漏れる。
仁王は長椅子に腰を下ろすと膝に幸村の頭を乗せた。
「苦しないか?」
「平気だ。横になってると楽だから」
横向きに寝転ぶ幸村の柔らかい髪を指で撫でていると、ぽつりぽつりと語り始める。
「自分の頭の重さも耐えられないんだよ……長く座ってると胸が押しつぶされそうに苦しくなってきてさ。重力になんか負けてる場合じゃないのにさあ……こんな事真田にバレたら大騒ぎされるよね」
「参謀もおんちゃんも案外小心者やからのう。殊お前さんの事に関しては」
「だよね。あいつら俺の事甘やかせすぎだ」
「俺もたいがい甘やかせてるつもりやがの」
「俺が甘えたい時だけな」
だがそれが心地良いと笑う幸村の顔に苦しさが少し抜けている事に気付き、柄にもなくホッとさせられた。
海の青よりも深い色合いをした柔らかい髪を無言で撫でていると、やがて穏やかな寝息が聞こえ始めた。
流石にここで寝られては、風邪を引いてしまうかもしれない。
元々風邪が原因でこの病を引き起こしたのだ。
万が一にも風邪を引き、悪化しては大変な事となる。
しかし病気を患って以来、あまり深い眠りにつけていないと言う幸村を起こすのも忍びない。
さてどうしたものかと思案していると、タイミング良く清掃員がやってきた。
その人に伝言を頼み、病棟からナースに毛布を持ってきてもらった。
幸村の体を毛布で覆い、礼を言ってナースを追い払うと、寝息で小さく揺れる肩をそっと撫でる。
「こんな細くなって……前は身長も体重も変わらんかったのにな」
幸村を蝕む病は命こそ奪うものではなかったが、彼の大切な命を削った事には変わらなかった。
入院してすぐの頃は物を嚥下する事が難しく、食べ物も飲み物も喉を通らない状態だった。
点滴でも栄養が摂れるとは言っても、やはり経口摂取でなければ生きるのに最低限の栄養を吸収するので精一杯なのだ。
まずは食べられるようになる事。
そうしなければ体を元に戻す為の原料がない状態で、回復もそれだけ遅れてしまう。
症状として嚥下障害が出てしまった事は不幸中の不幸と言わざるをえなかった。
更に薬で症状が改善され嚥下は出来るようになったのだが、その薬の副作用により今度は体調不良に陥り食事の出来ない状態が続いた。
体の自由が奪われ、ベッドから動けなくなった幸村の筋力は目に見えて衰えてしまったのだった。
「……起きてんじゃったらそろそろ戻るぜよ。もう落ち着いてんじゃろ」
「お前の事は騙せないなあ。もう少しお前の太腿堪能しようかと思ったのに」
こんな硬い太腿を堪能してどうするのだと仁王は思わず吹き出しそうになる。
丸井辺りならば程良く柔らかそうで気持ち良さそうだが、と思った瞬間、鋭い痛みが脚を走った。
「何じゃ」
「浮気者ー」
太腿を抓り、楽しそうに言う幸村が本気でそう思っているとは思えない。
仁王は細くなった肩に手を置き、天井の方を向かせると顔を覗き込み額に手を当てた。
「俺の考えてた事が分かったって事は少なからずお前さんもそう思ってんじゃろ」
「正解。今度は丸井に頼んでみようかな?二人で膝枕してもらおうか?」
「お前さんはともかく俺は振り落とされるんがオチじゃろよ」
そうでなければ法外な報酬を強請られるに違いない。
見た目にそぐわず漢気に溢れたブン太が膝枕如きでとやかく言わないだろうが、ただでやってくれるとも思えない。
「相変わらず皆俺に甘いなあ。役得ってやつかな」
「いや、お前さんの人となりじゃ」
病気如何に関わらず、人を惹きつけて止まない何かが幸村にはあった。
例に漏れずそれにたらし込まれた身としては複雑だ、と仁王は少し苦い表情となってしまった。