あの日、あの時

幸村が病に倒れた時、仁王は生まれて初めて目の前が真っ白になる、という体験をした。
あの日、あの時一緒にいた事は幸いであったか禍であったか。
幸村の倒れる姿に驚いた真田が上げた大きな声に振り返り、一体何が起きたのか理解出来なかった。
「ゆ―――……」
「幸村!」
「精市!」
「幸村君!」
「部長!!」
驚き、声を上げようかと口を開いたが一瞬で喉の奥が渇き声が出なかった。
戸惑っている間にも他の部員達は口々に叫び、駆け寄っている。
その中で一歩も動く事が出来なかった。
頭から血の気が引き、卒倒してしまいそうになった。
だが自分が倒れている場合ではないと必死に意識を止めおき、膝から崩れ落ちそうになる足を必死に前に進め、駆け寄った。
「ゆき……」
他の者の頭の隙間から覗けば苦しそうに歪める顔が視界に飛び込んでくる。
この現実から目を逸らしてはいけない。
だが、見ていられなかった。
直視する事が出来なかった仁王は視線を地面に落とし、そこに見えた真っ白な手を握った。
いつもはからかうように握った時、必ず握り返し指が折れそうなほどだったというのに今は全く力が入っていない。
体温がなくなってしまったかと思える程冷たい指先を握り、ただ意識が回復する事を祈り続けた。
幸村はその後救急車で搬送され、検査の結果彼を蝕む病が判明した。
それにホッとするのも束の間、それが彼の選手生命どころか命をも脅かす恐れのあるものであるとの説明を受け、再び仁王は卒倒しそうな程に意識が遠退いた。
医師の説明を聞く皆の輪から抜け、ふらふらと廊下を歩き非常階段の側まで来ると立っている事が出来ず、そのままずるずると壁に体を預けたまま座り込んだ。
「は……はは……あいつが……」
幸村がいなくなるかもしれない可能性など、微塵も考えていなかった。
これから先も冗談を言い合い、戯れに触れあい、共にいるものだとばかり思っていた。
その道筋が突然遮断され、仁王は誰にも見せられない程に崩れた表情となっていた。
「仁王。来い」
だが敏い彼が一人の不在に気付かないはずもなく、後ろから肩を叩かれ飛び上がる程に驚く。
「……参謀?」
こんな顔は誰にも見せられない、と腕を掴み無理矢理廊下を進む柳を止めようとする。
しかし柳もそれは理解してくれているようで、皆のいない廊下を通り処置室まで連れてきた。
「何じゃい、こんなとこへ……」
仁王の質問など聞こえていないという態度で柳はそこにいた母親程の年のナースに頭を下げる。
「すみません、お願いします」
「はいはい、じゃあここに横になって。あ、お手洗いは済ませてね」
一体何だと少し高い位置にある柳の顔を伺うと、それまでの無表情から少し心配そうな表情へと変わった。
「お前にまで倒れられたら皆の心労が倍になる。それに精市にも申し訳が立たないからな。ここで少し休んでいろ」
「おい……」
「気分が回復したら戻るんだ。いいな?」
柳は貧血で倒れそうな者がいるのだと病院に頼んでいたようで、手際よく診察から点滴までが行われた。
天井から釣り下がる透明のパックはそこそこの大きさがあり、この点滴もあと一時間は掛かりそうだが彼はこんなところにいていいのだろうか。
そう思いベッドサイドに椅子を置き、凄まじいスピードで小説を呼んでいる柳に視線を送る。
「参謀。戻らんでええんか」
「精市の方は弦一郎がいるから平気だろう」
「けど……」
「お前が―――……お前と同じだ。俺も、あの場にいられなかった。
お前が倒れなければ、俺が倒れていた……それだけだ」
自分との関係性とは違えど、彼もまた幸村の大切な人であり、幸村を大切に思う者でもある。
幸村と付き合い始めた頃、あまりに仲の良すぎる二人に対して多少悋気も起こっていたが、彼らの関係に微塵の邪な気持ちもなく、本当にただ純粋な思いが互いにあるのだと気付いてからは仁王も素直に柳に対して甘えるようになった。
仁王は言われた通り素直にベッドへ横たわり点滴を受ける事にしたのだが、何故か柳は皆の元には戻らず仁王に付き添っていた。
幸村の側にいなくていいのだろうかと不思議に思っていたが、よく見れば小説を持つ手が微かに震えている。
ああそうか、と思い、仁王はそれ以上何も言わず天井に視線を向けた後、静かに目を閉じた。
恋情は他の者に捧げている柳も幸村の事を特別大切にしている。
あるいは恋人以上に。
そんな半身ともいえる親友の病は柳にも大きな闇を齎した。
普段は冷静沈着な彼もまた、この急激にやってきた現実に太刀打ち出来ていないのだ。


うちの仁幸における蓮二さんの立ち位置はこんな感じ。
恋情捧げる相手はまあうちの場合赤也やね。

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