とある看護師の推理日誌3

財前君と夜勤の日、あの二人の空気がいつもと違う事に気付きました。
準夜勤のナース達は誰も気付いていないようですが、私は気付いてしまいました。
当然ですが私と白石さん以外に二人の関係を知る人間はいないわけですから、二人も普段通り振舞っているようです。
が、特に忍足先生は馬鹿正直で嘘をつけない性格のようでどう考えても挙動不審です。
今日も当直らしい忍足先生は特に用もないというのにナースステーションをうろつき、
忙しそうにしている財前君に声かけてわざわざ用事を言ってみたり、話をするきっかけを探しているようでした。
これは間違いなく喧嘩だな、と思いました。
女子の勘というよりあからさますぎて他の子達に気付かれてもおかしくないぐらいです。
いつも以上に無表情で淡々と業務をこなす財前君は冷静なもので、少しは見習えよ忍足先生といった感じですね。
準夜勤の子達と入れ替わり勤務に入って、約1時間。
忍足先生はチラチラと財前君に話しかけるタイミングを計っては近付き、冷たくあしらわれて撃沈して再び職務に戻るという動作の繰り返し。
明らかな挙動不審者ですよ、先生。
結局許しを得られなかった先生が肩をがっくりと落としてとぼとぼと詰所を出て行く姿を見送った後、
もう一人の夜勤ナースがラウンドに行った隙に黙々とパソコンに患者さんの情報を打ち込む財前君に近付きます。
一応仕事中ですから、私も作業しつつ話しかけます。
「なぁ…忍足先生と喧嘩でもしたん?」
「喧嘩っつーか…まあ喧嘩みたいなもんっスかね」
何ですかその曖昧な回答は。
「…えらい落ち込んでたやん、先生」
「そうっスね」
何でそんな他人事なのか。
そんなに怒らせるような真似をしたのでしょうか、忍足先生は。
見ている限り、忍足先生の方が何かをやらかして財前君の機嫌を損ねたように見えているのですが。
「何あったんか知らんけど…許したったら?」
何も知らんねやったら余計な事言うな、って怒られるかと思いましたが財前君はむしろ機嫌良さそうに笑い始めます。
何だ何だ。一体何だというのでしょう。
「いや、別に怒ってないんっスけどね」
「え?」
「だから、俺別に怒ってないんで喧嘩でもないんっスよ。あの人が勝手にしょげてるだけで」
「何それ」
ちょっと面白いんですけど。
私は手にしていた点滴を台に置いて身を乗り出して話を聞き出します。
すると財前君は悪戯っ子のような笑みを唇に乗せました。
財前君がこんなに子供っぽい表情をするのは初めての事です。
「何ちゅーか、悪い事したんや思ってるんやったら反省させといたろかなーと思って」
「…何したん?」
「うちの医局、携帯入らんやないですか。あの、ミステリースポット」
「ああー…そういやロッカーん中て圏外らしいな」
よく研修医達が嘆いてました。
医局に携帯を置いているとメールすら受信できないのだと。
「それ解ってんのに携帯放置してたんっスよ、ロッカーに」
「ふんふん」
「仕事後に飯食いに行こって約束してたんっスけどね…まあお互い時間どうなるや解らんし遅なるようやったり来られへんねやったら連絡くれ言うてたんですわ。
せやのにそんなんで携帯ほったまんま仕事しとって、ほんで緊急手術入って…そのまんま俺まで放置っスわ。待ち合わせ場所の喫茶店に。三時間」
「うわぁ…」
意外と気が長いんですね、財前君。
怒ってすぐ帰ってしまいそうなイメージなんですけど。
喫茶店の閉店時間になったからそのまま駅前でもう一時間待って、ようやく連絡がついたそうです。
「こっちから連絡入れようにも電話は繋がらんし、メールも読んでんやどうや解らんし…まあ仕事明けたら来るか思って待ってたんですよ」
「ふんふんふん」
「けどこっちの着歴はないもんやから、流石にもう帰っとるやろって勝手に思い込んで俺の部屋戻ったんっスよ。
謙也くん自分待つん嫌やよって、まさかそんな時間まで俺おる思ってなかったいうて」
「ほんで怒ったんや?」
「いや、せやから怒ってへんのですって。こんな仕事やしお互い忙しいの解っとるしいちいち腹立てとったらキリないし…
だいたい自分の所為ちゃうんやし怒ってもしゃーないやないっスか……って、俺が色々諦めたりするんすんごい嫌がるから出さんのですけどね」
理性的やなぁ、と感心しました。
この辺が感情で生きる女子との違いですね。
いい伴侶じゃないですか、医者にとっては。
「あの人単に怒って欲しいだけなんですよね。あー…怒って欲しいっちゅーか……反省したいんや思う。謝るキッカケ欲しがってんですよ。
簡単に許したるのもええんやけど、それやとそのうち調子乗りよるやろし…まあ気ぃ済むまで反省させたりますよ。
あ、心配せんといて下さい。ちゃんと勤務中は切り替えるんで」
何でしょうこの高尚な喧嘩は。
普通なら四時間も待たされればブチ切れて然りですよ。
なのに相手を思いやり、尚且つコントロールまでできている。
理想的です。本当にいいカップルです。
「けどまぁ……そんな風に思えるようんなったん最近なんですけどね」
「そうなん?」
「そらそうっスよ。毎度毎度ドタキャンとかされとったら誰かて怒りますって」
「まあ…そうやわな。普通はな」
「めっちゃキレてすんごい喧嘩した事もあったから…そーゆうんもあって今もあんなこっちの顔色伺ってんですよ」
すんごい喧嘩、私はそっちの方が気になるんですけど。
まあそれは追い追い問い詰めましょう。
「だいたい学習せぇっちゅーねん…医局に携帯置きっぱにして繋がらんかったん何回目や思てんやって話ですよ」
「そ…そうなんや…」
「何べん言うても聞けへんからこうやって反省させとるんですわ。まああっちは待たせた事怒っとるみたいやけど…
怒ってるっちゅー括りに入れんねやったら、同じ失敗する事に怒ってますね。
子供ちゃうんやしどないかして携帯の置き場所考えぇっちゅーねん…普段はかまへんけど約束ある時ぐらいはなあ…」
何だかんだと理由はつけてますが、結局は頭で理解はしてるけど若干気持ちはついていってないってところでしょうか。
ま、人間そんなもんですよね。
でもそれを表に出さずに感情的にならずに我慢して、いつか爆発してしまいやしないか心配です。
財前君が何かある度に感情を抑えて我慢しているのなら尚更です。
だから一通りカルテの入力を終えた財前君がトイレに立ったタイミングで再びやってきた忍足先生にこっそりと言ってしまいました。
お節介かと思いましたが、財前君は自分で言わないでしょうしね。
それにしても財前君の本心を知った瞬間の忍足先生の顔ったら無いです。
嬉しそうで悔しそうで悲しそうで、早い話が変な顔。
彼にこんな顔をさせられるのは財前君だけなのだろうなあと思うと微笑ましい限りじゃないですか。
何だかんだといって、喧嘩するほど仲がいいどころか、喧嘩してても仲がいいなんて、ほんとに凄い二人ですよ。

財前は生い立ち的に色々な事を我慢する事に慣れてしまっているので、
謙也はなるべく感情を抑えさせないように努力してるんです。
……あんまり報われてないけど。

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