Glass Castle in a Sanctuary〜サクラメント
Last Section
真夏の太陽が容赦なく突き刺さるコートに、インパクト音が響き渡る。
審判役の平部員がゲームセットを言い渡し、試合が終了した。
赤く染まる肌には、それ以上に真っ赤な血が滴っている。
誰もが息を詰ませ身を堅くしている。
それ程に異形な姿をした選手に俺は静かに近付いた。
「うぜえ!!」
まだ試合中の興奮状態が治まらないのか、ラケットを振り上げ飛び掛ってくる。
ヒィ!という悲鳴のような声は俺ではない。
コートの周りから聞こえてくるものだ。
しかしそんな大袈裟に騒ぐほどの事ではない。
俺はラケットを避けるとそれを取り上げ、膝裏を不意打ちしてやる。
相手はガックリと地面に伏し、ようやく正気を取り戻した。
「あ…柳先輩…」
「よくやった。なかなかの試合運びだったぞ、赤也」
「……へ?あ……俺…また?」
試合中に自分が何をしていたのか覚えていないのか、キョロキョロと辺りを見渡し、遠巻きに見る部員達の視線に漸く事態を把握したらしい。
「怪我の手当てをしてやるから、まずは傷口を洗ってこい」
「…ういっス」
水飲み場へと走っていくのを確認してから俺はコートを出て救急箱を用意した。
そこへ赤也の対戦相手がやってくる。
「…手加減というものを知らんのか精市。練習中だぞ」
「甘いな蓮二。そんな事では全国三連覇など狙えない」
端正な容姿とは裏腹に鬼の異名を持つ我がテニス部部長がベンチへと腰掛ける。
「それに…」
「それに?」
「手加減なんかしたら俺が食い殺される」
「…なるほど」
精市の隣に座って待っていると、まだ不機嫌そうな様子の赤也が戻ってきた。
「綺麗にしてきたか?」
「…はい」
俺は立ち上がり、入れ替わりに赤也を座らせると擦り切れた額や頬の傷を消毒する。
三年前の奇跡とも呼べる出来事以来、俺の体は何の不安要素もなく、今もまだ生きている。
病室で勉学に励んだお陰で学力には些かの自信があり、縁あってこの中学に入った。
そして今、全国最強の名を持つテニス部に入り、参謀役としてチームに貢献している。
スポーツをする事に不安がなかったと言えば嘘になる。
完治したと思いたいが、また気まぐれに元に戻るかもしれないと不安に思っていた。
しかしそんな思いを撥ね退け、今日までずっと過ごしてこれたのは、こいつのお陰だ。
あの黒い男の言った通りだった。
赤也は再び俺の前にやってきてくれたのだ。
「あーかやっ!人間に戻ったかぁ?」
「ほんと、まるで悪魔だな」
揶揄するように精市や他のレギュラー達が口々に言う。
「お前怖くねえの?」
誰かがそう言うと、赤也が不安げな目で見上げてくる。
赤也自身制御できない力を持て余し、どうしようもないだけなのだ。
敬遠するものでも怖がるものでもない。
「怖くない。あの程度、可愛いものだ」
「さすがは達人。悪魔すら手懐けるなんてね」
などと精市にからかわれるが、俺は笑って受け流した。
そしてこれ以上の追究を逃れる為、赤也を連れてコートを離れた。
「アンタほんとに怖くねえの?俺も自分で自分が怖ぇのに」
「悪魔などではない、赤也は天使だったよ」
「へ?!何ソレ」
勢いよく振り返る赤也の顔に、かつての姿がリンクして映る。
「…俺の罪も罰も赦されてという事か」
「ねえー全然意味解んねえんだけど!!」
俺は本当に嬉しかったのだ。
お前が迷わずこの時を、この場所を選び再来してくれた事が。
そして俺と出会ってくれた事が。
たとえばこれがあの男の言っていた運命だというのなら、何度でも天に向かい叫びたい。
赤也と出会わせてくれてありがとう、と。
赤也は今も俺に生きる力を、命の糧を与えてくれる存在だから。
では赤也はどうなのだろう。
俺は全く理解できないと不機嫌に見上げる赤也の頭を撫で、問いかける。
「なあ赤也…お前は運命を信じるか?」
「はあ?何っスかいきなり…」
「どう思う?」
茶化しているわけではないと解ったのか、暫く考えた後口を開いた。
「…ないっスよそんなもん。全部必然っスから」
「ほう?」
「誰かに決められてそれ辿らされてる気がするからあんまり好きじゃないっス、そういうの」
「なるほど、お前らしいな」
誰かに言われて素直に言う事が聞けないのは今も昔も同じか。
「っていうかずっと気になってたんっスけど…」
「何だ?」
「何でアンタ俺の事何でも解ってんっスか?ちょっとキモいんっスけど…運命ってそれの事?」
キモいとは心外な。
しかし不可解に思うのは仕方ない事だろう。
赤也にしてみればこの学校に入って初めて会った相手だ。
なのに性格から趣味や好み、身体的特徴まで知られていれば些かの気味悪さを覚えてしまうだろう。
初めて赤也を見た日、半信半疑ながらたくさんの問いを投げかけたのだ。
まさか本当に、という気持ちもあったが、目の前にいる赤也は、紛れも無く俺に命を与えてくれた存在だった。
「さあ、どうだろうな」
「何なんっスか!気になるんで教えてくださいよ!!」
笑いながら赤也の追究をまいていると、ふわりと頭上に不思議な空気を感じた。
「何?!今何かすっげーでけぇカラスみたいなの飛んできませんでした?!」
「…お前にも見えたか?」
二人で空を仰ぐが、そこには青い空間が広がるだけで他には何もない。
だが確かに感じたのだ。
あの優しい空気を。
「なるほど…約束を破らないよう見ているというわけか」
「は?約束?何っスかそれ…アンタまさかヤバい奴につけられてんの?!ちょっ…大丈夫なんっスか?!」
赤也はストーカーか何かと勘違いして警戒しているようだが、
おそらくこれは赤也を守護していた、あの優しい黒と白の天使たちだ。
俺は隣に立つ赤也の手を握るとそれを空に向けかざした。
「心配するな、この手はもう決して離しはしない」
途端に和らぐ日の光と茹だる様な暑さ。
柔らかく涼やかな風が二人の間をすり抜け、空へと帰った。
「な…何っスか今の?っていうかほんと意味解んねえ…」
「いつか教えてやる」
「いつかって…いつっスか?!」
あの不思議な出来事は口外しない事があの男との約束だ。
もしも他人に言ってしまえば、その途端俺の中の記憶は消されてしまう。
だから今は言えない。
「臨終の時まで側にいてくれたなら話してやってもいいぞ?」
「そんな先?!待ってらんないっス!今教えてください!!」
「たった70年程度の年月だ。それすら待てないのか?」
「たったって……」
「人生なんてあっという間だ。その間何が出来るかを考えた方がいい。時間も命も、限られているものだからな」
「うー…解ったっス。でもちょっとだけ!ね?!」
「駄目だ」
「ケチ!」
「ケチで結構」
こうして軽口叩きあって、笑いあって、そんな毎日を繰り返していれば、きっとあっという間だ。
俺達のどちらかが再び空に帰る日まで、そうして過ごせればいい。
きっともう二度と会えないだろう、こんなに愛しい存在と。
これが運命だというのなら、赤也の言う通り、たぶんそれは必然と言う名の奇跡だ。
俺はもう一度空を仰ぎ、天に向かって心で呟いた。
この広い空の下で再び赤也と巡り合わせてくれて、ありがとうと。
This time〜Lovers eternal time