最後の箱に何が書いてあったかは好きに妄想してください。
真実は二人のみぞ知るですよ。
The Treasure Box
それまで赤也にとっては誕生日イコール、年に一度好きな物を買ってもらえてご馳走を食べられる日でしかなかった。
だが今年は違う。
去年までは隣にいなかった人が、すぐ側に、誰よりも一番近くにいるのだ。
それだけで、生まれてきてよかったなどと柄にも無い実感をしていた。
クラスメイトにも、部活の先輩や仲間たちにも祝ってもらった。
すでに三年生は引退していて放課後の練習では会えない為、皆で連れ立ち昼休みに赤也の教室へとやってきたのだ。
お金を出し合って用意したんだ、と幸村が代表して渡した物は、常々赤也が欲しいと声を大にしていたゲームソフトだった。
真田はこんな事ばかりして遊んでいないで、その分もっと精進しろなどと小言を漏らしていたが、それも幸村は笑み一つで黙らせる。
たまには息抜きだって必要だよね、赤也、と。
しかし調子に乗って肯定するも、やるべき事はちゃんとやるんだよとしっかり釘は刺されてしまう。
それでもずっと欲しかった物が手に入ったのだ。嬉しくないはずがない。
だが赤也が一番欲している言葉は未だ貰えていない。
連れ立った先輩らの中に、一番祝って欲しかった人がいなかった。
きょろきょろと見渡す赤也が何を探しているのかを敏感に察知した幸村は蓮二なら担任に呼び出されている、と言う。
教室から出て行く幸村は赤也が恋しがっていたって言っておくよと残していった。
余計な事を言われてなければいいが、と思いながらも赤也は緩む口元を抑えられなかった。
先手先手を読むあの人は、一体どんな祝い方をしてくれるんだろう、そんな事を考えているうちにあっという間に放課後となった。
しかし、誕生日祝いだとありがた迷惑ともいえる後輩指導にやってくる元レギュラー陣の中に、その姿はない。
また今日も委員会なのだろうかと、時間を追ってどんどんとテンションが下がっていく。
結局、練習時間内に柳が来る事はなかった。
部活が終わり、携帯電話を何度も鳴らすが一向に相手が出る様子は無い。
仕方なしにのろのろと着替えているのは柳がやってくるかもしれないという僅かな期待を持っている証拠だろう。
そんなに気になるなら探してみたら、まだ校内にいるはずだからと幸村は笑った。
その言葉に触発され、赤也は急いで着替え終えると校舎に向けて走り出す。
委員会ならば恐らくは生徒会室の隣の会議室にいるはずだ。
まずそう思った赤也は一気に階段を駆け上がり、息を整えてから扉をノックする。
中からする返答に、そっと扉を開けると見た事のある顔があった。
確か生徒会執行部の先輩だ、と思いつつ柳の姿を探す。
狭い室内に目立つ長身は見当たらない。
もう帰ったのだろうか。
それともまだ校内の別の場所にいるのだろうか。
「あー…えっとあの、柳先輩は?」
不安と焦燥、居心地の悪さを一気に感じながら恐る恐る訊ねる。
「ああ、柳君なら少し前に出て行ったよ?えーっと…十五分ぐらい前かな?」
「そのまま帰るって言ってました?!」
「さあ…でもここはお疲れ様でしたって挨拶していったから待っててももう戻らないと思うけど」
「ありがとうございます!失礼します!!」
廊下は走るな、という幻聴までするほどに恋しい。
赤也は廊下を早足で抜け、一先ず会議室からも近い柳の教室に向かった。
だがすでに鍵は閉まっていて誰もいない。
他にいるとすれば図書館しかないだろうと、すぐに引き返し図書館のある棟に走る。
しかしそこにも柳はいなかった。
室内の隅々、普段は寄りもしない古典作品の棚の裏まで念入りに探すが影はない。
これ以上、どこにいるか検討がつかない。
もう帰ってしまったのだろうか、と今日二度目の絶望が赤也を襲う。
だがまだ望みはある。もしかすると入れ違いに部室にいったかもしれない。
そう思い図書室を出ようかと扉に向けて歩いていくと、その隣にあるカウンターに座る司書に呼び止められた。
「あ、切原君、待って待って。これ…柳君に渡しておいてもらえる?」
「へ?」
「さっきね、本の返却でここに来てて…」
そう言いながらカウンターの中をごそごそと手探りしている司書に齧り付く。
「えっあの人ここ来たんっスか?!」
「ついさっきね。でもこれ、このノート忘れていってたから」
そう言って手渡されたのは柳愛用の縦書きのノートだった。
あの人がこんなうっかりミスをするだろうかと思いながらも受け取る。
「渡しときます!それで柳先輩どこ行くっつってました?!」
「えーっと、確か大切な事を思い出したから教室に行くとか言っていた気がするけど」
「大切な…?」
その言葉に、柳の行動の全てに合点がいく。
畜生、と悔しそうに赤也は呟き急いで2年D組の教室へ向かった。
「柳さん!!」
「赤也」
やはり件の人はそこにいた。
赤也の席のすぐ前の椅子に座り、何やら文庫本を読んでいる。
振り向き返される笑顔に赤也は安堵感や先ほどまでの寂寞感で声高に文句を言いそうになるが、飲み込んだ。
だが少しだけ口先を吐き嫌味が漏れる。
「ありえねえっスよ…部活後にどんだけ走らせるんっスか!!ケータイかけても出ねえし!」
「会議中マナーモードにしていてそのまま忘れていて気付かなかった。しかしいいクールダウンになっただろう?」
「ダウンどころか全力疾走っス!!…くっそー…絶対図書館で捕まると思ったのに」
「そう思うだろうと待っていたんだが、まだ人が多くて話も出来ないと思ってな。それで置き土産だけを残してきたんだ」
柳は赤也に手渡されるノートをカバンにしまうと、それと入れ替えに二つの箱を取り出した。
それが何かを察した赤也は慌てて自分の席に座った。
「どちらがいい?」
「は?!二択?!」
「ああ」
右手にあるのは赤いリボンのかかった正方形で厚さ1センチほどの箱。
左手にあるのは青いリボンのかかった一辺20センチもある大きな立方体の箱。
赤也は机に置かれる二つを眺め、慎重に吟味した。
赤いリボンの方は丁度DSの箱のような大きさ、形だ。
だが中身は違うだろう。
柳が他の者と同じプレゼントを選ぶ事は考えにくい。
青いリボンの方は中身が皆目解らない。
うーんと唸りながら考える事十数秒、赤也は決断を下した。
「こっちにします」
長く悩んでいても仕方ない、恐らく柳はこうする自分を予想しているだろうと赤也は青いリボンを指差した。
すると柳は青いリボンの箱を再び手に取り、赤也に向けて差し出した。
「誕生日おめでとう、赤也」
「ありがとうございます!!」
どうやら正解のようだ、と恭しく受け取る。
中身はなんだろう、今すぐ開けたい。
だが本人を前に開けるのは失礼だろうか。
箱を眺め思い悩んでいると、開けてみてくれと言われた。
赤也はリボンを解き、何が入っているのだろうとわくわくしながら蓋を開ける。
しかし中から出てきたのは、
「…何スかこれ…」
「箱、だな」
中からは柳らしい雅な柄の和紙で作られた箱が顔を覗かせる。
大きさは外のから丁度一回り小さい大きさで、取り出すとそれはふたになっていて、まだ中に何かが入っているのは明らかだ。
可笑しそうに眺める柳に些かむっとしながら、赤也は中の箱も開けてみる。
だが赤也を馬鹿にするように、開けても開けても折り重なるように出てくるのは違う柄の千代紙で折られた箱ばかりだった。
「何なんっスかこれ!!」
「だから、箱だ」
机に積み上がっていく箱を見て、柳はもう隠す事もせず肩を震わせて笑っている。
「何これマトリョーシカ?!」
人形の中に人形が入っているロシアの民芸品は、まさにこの異様な形態を表すに相応しい比喩だった。
「そんな言葉、知っているんだな」
「バカにしてんっスか!こないだ親父が出張先で買って帰ってきたんスよ。
気持ち悪ぃすっげー微妙な顔なのにリビングに飾ってあって夢に出てきそうで…
あっ…もしかしてこっちハズレ?!」
「さあ、どうだろうな」
こうなれば最後まで開けてやる、と躍起になる赤也に、柳はとうとう声を上げて笑った。
ふと手を止め、珍しい事もあるものだと赤也は思った。
柳がこうしてあからさまに感情を表に出す事など滅多に無い。
それだけにレアな贈り物を貰った気持ちになるが、しかし今は手の中にある箱の中身が気になって仕方ないのだ。
このまま最後まで箱だけだったらどうしてくれよう、と赤也は再び箱を開け続けた。
初めは20センチもあった箱が、とうとう2センチにも満たない大きさのものになってしまった。
おそらくこれで最後だ、と覚悟を決めて箱を開けると、中には白い薬のような粒が入っていた。
「何これ……ハートのピンキー?」
掌に乗せ、嗅いでみると特徴的な爽快感のある匂いがする。
「……え、意味解んないんですけど」
これだけの箱を開ける手間を取らせておいて、プレゼントがこれだけなんてあまりに酷い。
何もプレゼントが欲しいわけではないのだが期待をしていただけに、その分の反動が心に圧し掛かってくる。
頭を垂れ、落ち込む赤也に一瞥をくれ、柳は赤也の掌に乗ったタブレットを摘むと口に含んだ。
唯一の贈物までも取り上げられ、何をするんだと顔を跳ね上げると途端に目に飛び込んできたのは柳の顔。
「え?」
考える間もなく唇が触れ、口の中に人工的なフルーツの香りとミント味が広がる。
口移しで食べさせられたと気付いたのは唇が離れてからだった。
「すまん赤也」
離れていく濡れた唇に目を奪われ、ますます混乱させられる。
目を白黒させ、呆けた表情をする赤也に柳は困ったように笑った。
「思いつかなかったんだ、プレゼント。何がいいか…」
「…それで、これ?」
口元を指差し、訝る。しかし、
「いや、これは偶然手元にあったから…箱だけでは味気ないだろう?」
悩んで迷った挙句かと思えば、それも否定される。
この人ならば解りやすい自分の欲しいものなどあっさりと予測してきそうなものだがと首を傾げる。
「じゃ、この箱がプレゼントなんっスか?」
「これは…悩んだだけの数だ」
一番大きな、一番外側の箱を手に取ると、柳は綺麗に折られたそれを開けて見せた。
折り目のついた正方形の千代紙の中には柳の字で"新作ゲームソフト"と書かれている。
柳が言わんとしている事を瞬時に理解した赤也は積み上がった箱を次々に解いた。
一緒に帰った時、軽い調子で言ったファーストフードのメニューから、もうすぐある中間試験の解答という実現不可能なもの、
テニスの上達する方法という物ではない事柄まで、箱の数だけ赤也の望んでいた物が書かれてあった。
「どれもお前が望んでいるようで、結局絞りきれなかった」
「アンタなら俺の事なんかお見通しなのかと思ってましたよ」
「そんな事はない。俺にだって解らない事はある。特にお前の事に関してはどうにも最後の詰めで迷ってしまう事が多い」
「で、迷った結果がこれ?」
随分解いたが、まだ十個ほど残っている。
赤也は笑いながら紙を開いていく。
最後の一つを残して出てきたのは"身長"で、思わず不機嫌に顔を歪める。
「お前に選んでもらおうと思ってな」
「これ選んだらどうすんっスか!!」
手の中にある身長の紙を見せつけると、努力しようと笑われた。
からかわれているのだと気付き赤也は頬を膨らませて拗ねる。
「ほんと性格悪いっス」
「すまん、調子に乗りすぎた」
言葉とは裏腹に、まだ笑いの止まらない様子の柳は重ねられた大きさの違う千代紙をまとめ、自分のカバンに片付けようとする。
しかし赤也はその手を制止した。
「ダメ。これは俺の。全部」
「全部?随分と欲張りだな」
仕方ない奴だと苦笑いしながらも柳は赤也に紙の束を手渡した。
もう箱の形をしているのはタブレットの入っていた最後の一つだけになっていて、
爪ほどの大きさのそれを摘み、器用だなあと赤也は見当違いな事を考えた。
「だってこれ書いて作ってる間ずっと俺の事考えてくれてたって事だし」
「そうだな」
「一年かけて消化するし。頑張ってね柳さん」
丁度指先に触れた紙に書かれた100万回分の1回分キスという文字を見せつけ、
「あ、これも叶ってんじゃん」
ニヤリ、と人を食うように笑う赤也が少し大人びて見えたのは錯覚だろうかと柳は瞠目した。
しかしすぐにまた子供のような好奇心に満ちた表情に戻る。
「質問。もう一つの方の箱って何だったの?中身」
「なんだ、これも欲しいのか?」
机に等閑にされた赤いリボンの箱に視線を落とし小さく笑う。
「欲しいっつーか…気になるっス」
「別にあげても構わないが…お前が喜ぶようなものではないと思うが?」
「は?中、何なんっスか?」
「婦人物のハンカチだ」
何故そんなものを用意しているのか、赤也にはさっぱり理解できない。
「そっち選んだらどうしてたんっスか!!」
「これはお前へのプレゼントではない。赤也のお母さんにだ」
「は?お袋に?」
「渡しておいてくれ」
柳に手渡されるそれは、軽くて中身が柳の言った通りの物だと示している。
「何で?お袋別に誕生日でも何でもないけど?」
「お前へのプレゼントを買いに出た時にな、柄にも無く色々な事に感謝したくなったんだ」
「はあ…それで?」
「赤也をこの世に産んでくれた人に感謝したくなった」
真っ赤になり口をぱくぱくとさせる赤也を満足気に見つめ、帰るか、と柳は立ち上がった。
「帰り、どこかに寄ろう。何も用意できなかった分を埋め合わせさせてくれ」
「あ、えっ!ちょっ…まっ!!」
慌てて受け取った紙束を大事にカバンに入れっぱなしにしていた分厚い表紙の社会科資料の間に挟み、
教室を出ようとする柳の後を追う。
廊下に出ると扉の前に立つ柳を見上げると優しく微笑みを向けられた。
「何が欲しい?あまり高いものは強請るなよ。お前は時々俺の年を忘れたような値段のものを欲しがるから…」
「あ、じゃあ…これ」
先程渡した赤いリボンのかかった箱を再び返され柳は面食らう。
「…何だ?」
「うち来て下さい。そんで、お袋に直接渡してやってよ。俺が渡すより喜びそうだし」
「そう…か?」
受け取った箱をカバンにしまい、廊下を歩き始めた赤也の隣を添うように歩く。
「で、アンタの誕生日の時みたいにうちで飯食ってってよ」
「それでいいのか?」
「っつーか最初っからそのつもりだったし。お袋も絶対連れて帰ってこいってうるっせーのなんのって…」
「解った」
柳は家に連絡を入れると言って携帯電話を手に立ち止まり、数回会話をやり取りすると通話を終わらせる。
「他には?」
「今日は何でも言う事聞いてください」
「そうか、なら…最後の箱が、お前の望みだな」
「え?」
「開けてみれば解る」
言われるまま、ポケットに入れた一番小さな箱を破らないようにゆっくりと解き、中の文字を目で追う。
一番最後の箱に書かれていたその言葉に、甚く感動した様子で赤也は柳に抱きついた。
腕の力を込め、ありがとうございますと呟く赤也に、もう一度誕生日おめでとうと返した。