正しい牛乳の飲み方




今、好きな奴がいる。
ちなみに、両思いだ。
相手はどうにも個性が強すぎる生粋のお坊ちゃま。
ご両親に甘やかされていないのか純粋培養ではないにしろ、なかなか常人には理解しがたい感覚をお持ちの、だ。
名前は跡部景吾。
東京、いや、日本で知らない奴はいないであろう有名人。
やる事なす事全てが派手で見ていて全く飽きない。
経緯はさておき、お付き合い真っ最中だ。
隠していたつもりが、何故かいつの間にやら家族公認。
父親は躾の行き届いた様子になかなかの好青年だと褒め、母や祖母もその美貌を見ては褒めちぎっている。
頭の堅い昔気質の曾祖母ですら、だ。
ただ妹の受けはすこぶる悪く、跡部が自宅に遊びに来るたびに嫌そうな顔を披露してくれている。
仲良くしろと言っても聞く耳持たない。
以前色々あったのだから多少のわだかまりは仕方ないにせよ、もう少し柔軟な対応をしてくれ。
お互いに。
こんなに早いうちから嫁・小姑戦争を起こさないでくれ。
しかしそんな姿も見ていてなかなか面白い。
何せ相手は日本、いや、世界にその名を馳せる大金持ち。
我々一般市民とは感覚が違うのだ。
跡部が我が家に泊まりに来た時、母は毎回必ず小市民の夕食を食卓に出す。
そう、跡部は庶民の暮らしをまるで知らないお坊ちゃま。
見るもの全てに新鮮な反応を示す。
初めて焼き魚を見た時など何故魚に骨があるのだと言い、喉に小骨を詰まらせて大騒ぎになった。
食べ慣れない物に拒絶反応など出やしないか心配だが、意外と庶民生活を堪能しているようだ。
ただこんな場面でも嫁・小姑戦争が勃発してしまうのが少し問題だ。
食卓に鰤大根が出た日の事。
慣れない魚のあらに格闘する跡部を見て杏が、
「あんたこんなのも上手に食べられないの?」
などと挑発するものだから、負けず嫌いの跡部は次は上手く食ってやるとばかりに自宅のお抱えシェフに鰤大根を作らせる。
跡部家の広いダイニングに並ぶ鰤大根はなかなかシュールな絵だったりする。
「おい橘!!魚の骨の取り方を教えろ!」
との号令が飛び、それから毎日のように跡部の家でお坊ちゃまに庶民の食事作法を教える羽目になってしまった。
だがこれも惚れた弱味だ。
一緒にいられる時間が増えたと諦めるしかない。
「跡部、あらは骨を取って食べるんじゃない。骨から身を取って食べるんだ」
「あぁ?チッ……面倒だな」
基本的に器用で何をやらせても平均点以上の跡部は悪戦苦闘しつつも、大きな骨から僅かに残った身を必死にせせっている。
「食わせてやろうか?」
「いらねぇ…あのガキに俺様は何でも出来るって証明してやる」
「そうか…残念だな」
それにこうやって上手くできた時に見せる子供の様な顔が案外可愛かったりする。
部活では絶対的な部長として君臨して、女生徒から多大な支持を得ている人物とは思えない姿を独り占めできるのは、なかなかの贅沢だ。

お坊ちゃまは食卓だけではなく、他の日常行為についても庶民的なものに興味があるらしい。
あれは確か一緒にテニスの試合を観に行った時の事だ。
交通の便を考えると車で行くよりも電車で行った方が早いだろうという事になった。
初めての電車。
前日からとても楽しみにしていたらしい跡部は、いつもは待ち合わせ時間きっちりにしか来ないくせに、
その日に限って20分も前に到着していた。
そして出会い頭一発、遅いと怒鳴られた。
張り切っている相手に何も返す言葉はない。ただ苦笑いだけを返した。
初めての電車。
その前にしなければならない事。
そう、切符の購入。
しかし奴はやってくれた。
「おい橘。入らねぇぞ」
入らないぞ、じゃないぞ跡部。
改札の切符投入口に直接一万円札を押し込めようとしている。
半分に折ったら入るんじゃないか?
「跡部…」
「あん?あぁそうか、千円札しか受け付けねぇんだな」
金額の問題じゃないぞ跡部。

公衆浴場たるものに跡部は拒絶反応を示すだろうか。
そう思い、一緒にテニスの練習をした後近所の銭湯に連れて行った。
あまり人に裸を見せたくない気もするのだが、好奇心が勝ってしまった。
人前で裸になる事を嫌がるだろうかと思ったが、そんな事など跡部にとっては大したことではないようだ。
あの自信家の事、人に見られて恥ずかしい自分であるはずがないのだな。
おおきな暖簾をくぐり、げた箱に靴を入れる。
まずは第一関門。
鍵の掛け方が解らないらしい跡部は必死になっている。
木の板をすっと引いてやると、おぉ、と感嘆の声を上げた。
手の中の鍵を引っ手繰られ、何をするのかと思えばもう一度差し込んで、今度は自分で外してみせた。
もうワンランク上の庶民技を見せようと、もう一度跡部の手から鍵を取る。
そして自分の靴の横にそれを入れた。
「何やってんだ?」
「こうすれば鍵を持ってるのが一つで済むだろう?」
ここでは複数で来た者誰もがしている事だが、やはり跡部には新鮮だったようだ。
またしきりに感嘆の声を上げている。
そして番台で二人分の金を支払い、中に入る。
幸い時間も中途半端で入浴者はまばら。おかげで二人でゆっくりと入る事ができた。
基本的なマナーは温泉も同じだから、浴室内では滞りなく跡部も過ごせた。
だが風呂上り、お上品にバスタオルで体を拭いている跡部の隣り。
同じく風呂上りのご老人が一人、堅く絞ったタオルで自分の股間を思いっきり叩く姿に固まっている。
パーン、パーンという何とも小気味の良い音が脱衣所に響く。
年寄り突然の奇行、初めて目の当たりにした跡部は理解できていないのだ。
「た…橘……」
何をしているのか、と目で問いかけてくる。
それに笑顔で答えてやる。
「お前もやってみたらどうだ?」
「………遠慮する」
流石の跡部もあの庶民的行動には付いていけなかったか。
「くそっ…それにしても暑いな…」
毎日適温の風呂に入っている跡部には銭湯の湯は熱すぎたらしい。
脱衣所も湿気が充満していてとても適温とは言えない。
ふと隅にある大型の扇風機が目に入った。
「跡部。ちょっと来てみろ」
「あーん?」
「これで少し涼むといい」
背の高さほどある大きな扇風機を跡部に向けて稼働させる。
人工的に風を作る機械音がすごい。
「チッ…エアコンもねぇのかよ」
「ここはお年寄りや子供も来る。風呂場とここで寒暖差を作ると体に悪いからな。我慢するんだ」
我侭放題に暮らしていると我慢という言葉が新鮮に思えるらしい跡部は、この一言を言うと途端に大人しくなる。
業務用の大きな扇風機は跡部の髪に絡んだ水分を飛ばしてくる。
いつも家でしているようにタオルで濡れた頭を拭いてやっていると、また不思議そうな顔をしていた。
脱衣所の対角線上先に置いてある小さな扇風機に子供たちが群がっているのをジッと見ている。
また何をしているのかが解らないのだな。
「跡部」
「あぁ?」
「扇風機に向かって“あー”って言ってみろ」
「何だよ唐突に」
「あの子達が何をやってるかが解るぞ」
半信半疑といった様子で、言われた通りにする。
「あ゙―〜〜〜〜〜〜―――――――〜〜〜〜〜ゎ゙〜〜あ゙――――――ん゙?」
化けた自分の声に驚いている。
「…なるほどな」
「それが風呂上りに扇風機に当たる時の作法だ」
以来、跡部はうちに来た際にも同じ様に扇風機の前で奇声を発している。
一度杏がその様子を見て酷く気味悪がっていたが、俺は可愛いと思っているので放置する事にした。

「喉渇いたぜ…」
暑さの次に出た訴えは喉の渇き。
自宅では誰かが用意してくれる飲み物も、ここでは自己調達。
小さなガラスのドリンククーラーに詰め込まれた瓶を二本。
銭湯で湯上りといえばこれに限る。
跡部用に牛乳を、自分用にコーヒー牛乳を購入。
「ほら」
「ありがとよ」
キャップを外して飲もうとすると、跡部はまだじっと瓶を見ている。
「何だ、フルーツ牛乳がよかったか?」
「銘柄じゃねぇよ…グラスは?」
「このまま飲むんだ。直接な」
一瞬顔をしかめたが、先ほどの股間叩き老人も同じ様にオロナミンCを飲んでいる姿に納得したらしい。
それがここでの作法なのだと。
「あぁそれからな、あれが正しい牛乳の飲み方だ」
指差した先には中年の男性が一人。
男らしく全裸で足を肩幅に広げ、腰に手を当て一気に牛乳を飲み干しているところだった。
「ぷはぁ―うぇ――ぃ………ゲフッ」
意味不明な声と派手なゲップを一発、そして空の瓶を黄色の回収箱に返して、
すっきりとした表情で自分の服を入れてある木のロッカーの前へと歩いていった。
跡部は目を点にしている。
彼にとっては銭湯も摩訶不思議アドベンチャー。
しかし、
「やってやるぜ!!」
腰に巻いたタオルを勢い良く剥ぎ取り、手本に忠実に牛乳を飲み干した。
その意気だ跡部。
「一般人に出来て俺様に出来ねぇ事なんざねぇんだ」
唇の上に出来た牛乳ひげを恥ずかしそうに拭いながら、笑顔でそう言い放つ跡部を見て、
ますます好きになったと言えば、俺を慕う後輩達にも呆れられてしまうだろうか?



〜終〜

○解りにくいが、橘×跡部。
○橘さんは無知で自分にだけ素直な跡部が可愛くて仕方ない。
○跡部様は何でも知ってて自分に呆れず付き合ってくれる橘さんがカッコよくて仕方ない。
○何気にラヴいんです。この二人。
○銭湯って今もあるんか?大阪と東京じゃ違いがありそうな気もする。
○というより俺が行ってた頃の記憶で書いてるから今とシステム違うかも。
○そしてプチ嫁小姑戦争。
○杏ちゃんは跡部の無知っぷりがウザくて仕方ない。
○跡部が庶民をバカにしているんだと思っているから。
○そんな跡部を可愛いと言う兄貴は悪い病気になっちゃったんだと思っている。
○次はもっと突拍子も無いカプリングに挑戦ダ