まったく赤也の奴め、どこへ行ったのだ。
あいつの方向音痴にはほとほと呆れる。
たるんどる証拠だ!!
何度携帯電話を鳴らしたと思っておる。
何の為の携帯電話だか解らんではないか。
しかしこうして苛々していても何も始まらないだろう。
うむ。丁度よい、目の前にあるこの喫茶店で少し休むとしよう。
俺は店に入り、店員に促されるまま一番奥の窓際の席に座った。
テニスバッグを下ろそうと、ふと足元を見るとノートが落ちているではないか。
前に座っていた誰かが忘れていってしまったのであろう。
中を見るのは忍びないが表紙にはシナリオ、としか書いていない。
せめて名前でも書かれていればよかったのだが…
どうしようかと思いあぐねていると、背後から良い香りがした。
と同時に甲高い声も聞こえる。
「それっ!!僕のノートです!!!」
甘い香りに誘われるように振り返ると、目の前には何とも美しい人が立っておられた。
なっ…何と麗しい少女であるか!!
まるで可憐で愛らしい一輪のバラ!
きっとこの甘い香りも彼女が放つものに違いない。
いや、何とも言い難いこの気持ち。
もしや…否、一目惚れなどたるんどる!!
弱る己の心に一喝。
そしてもう一度彼女の顔をよく見る。
ああいかん。
白磁の肌に薄紅の注した頬、ゆすらうめの様な赤い唇、見るからに柔らかそうな絹糸の髪に細い体。
何ゆえそのように愛らしくあられるのか……何とも、貴方の美しさはこの世の咎だ…
「あぁ良かった…これを失くしていたら大変なところでした。本当にありがとうございます…」
「いや、礼には及びませ……ん?」
何だ。どうしたんだ。
見る見る彼女の顔が歪んでゆく。
な…何があったのだ。
もしや俺の顔に何かついているのか?!
「立海大の真田君!!」
何と!!何故彼女が俺の名を!
「俺を知っているのですか?」
「知っているも何も……貴方を知らない人間なんて今の中学テニス界にはいませんよ」
そう言ってにっこりと微笑まれた。
まるで生気を抜かれるかのように足元が崩れるような微笑みだ。
いかん、突然の事に腰が抜けてしまった。
この俺とした事が。
「大丈夫ですか?」
「いや、面目ない。少し眩暈が」
貴方の美しさに。
「んふっ…変な人ですね……少しお話、いいですか?」
「ああ!構いませんぞ!!むさ苦しいところではありますがどうぞ!!」
俺は二人がけの小さなテーブルの向かいにある椅子を引いて、彼女を座られた。
「むさ苦しいって…僕のお気に入りのティールームなんですよ?」
「そうでしたか…いや失礼」
いかん。いかんぞ弦一郎。平常心、平常心だ!!
もう一度己の心に一喝。そして深呼吸。
「もう注文はされたんですか?」
「いやまだ…」
「ここは紅茶がとても美味しいんですよ。おすすめです」
「ではそれにしよう」
彼女は慣れた様子で店員に俺の分の注文をしてくれた。
しかし彼女は一体誰なのだ。
「失礼だが貴方の名前は…」
「君…僕を知らないんですか?!この観月はじめを!!」
な…何と!
突然その美しい顔を怒りに燃え上がらせてしまった。
これだけ可憐で華麗であられるのだ。
きっと女優かアイドルに違いない。
先程拾ったあのノートのシナリオというのも台本か何かなのだろう。
そのプライドを傷付けてしまったというのか。己の無知の所為で。
ああ何たる失態。謝らねば!!
「申し訳ない!!こういう事には疎いもので…チームメイトにもよく指摘されているのだが…」
「チームメイト…あぁ、柳君ですか。確かに彼なら僕の事も知っていそうですね」
…ん?蓮二が?俺は赤也や丸井に馬鹿にされているのだが…知らなかった。
蓮二がアイドル好きだったとは。
「まぁ都大会8強程度では君の目にも留まるはずありませんか」
…ほぅ…都大会とな。
恐らくはオーディションか何かなのであろう。
この美貌をしても全国大会には届かないとは…テニス同様厳しい世界なのだな、芸能界というのは。
「いや落ち込まれるなミズキさん!!貴方の美しさは他に敵うまい!俺が保証しよう!!」
「んふ…見る人が見れば解るものなのですね、僕の美しいフォームは」
その通りですぞ。
いやはや、運ばれてきた紅茶を飲む姿も美しい。
伏し目になった時頬に影が出来るのはあの長い睫毛の所為であろう。
思わず見惚れてしまっていたら、ミズキさんは突然俯いてしまわれた。
「何です、じっと見て…落ち着かないじゃないですか」
「すっ…すまん!!」
あいたまらん!!
照れて頬がさんざし色に染まった貴方は秘境に舞い降りた天女か!
だがあまり見ていては失礼になる。話題を変えよう。
「しかしここのお茶は実に美味いな…貴方の言った通りだ」
「そうでしょう?ほら、このスコーンも最高なんですよ」
指まで美しくあられるのか!俺の皿にスコーンを置く、指先は白く細くまるで白魚のようだ。
「む…味がせんな……」
「このクロテッドクリームやジャムをつけるんですよ」
「ほう…美味いな。あまり甘くなくて俺の口にも合う」
「それは良かった。それにしても、こんな所で何をしているんです?立海からは結構遠いでしょう?」
「部の用事で後輩を連れて来ていたのだが…途中ではぐれてしまいましてな。
何度携帯で呼び出しても応答なしで困っておったのだ」
「後輩って…え?切原君でしたらこの先のゲームセンターで遊んでいましたよ?」
何と赤也め!!俺の電話に出んのもその所為か!!
「まったくたるんどる!!!仕方のない奴だ!!」
「仕方のない人は君ですよ」
ミズキさんはくすりと笑い、テーブルの上にあった紙ナプキンで俺の口で拭った。
「クリーム、口の端についていますよ?」
「こっ…これはかたじけない!!」
「いえいえ…意外と子供っぽいところがあるんですね」
汗顔の至り!冷汗三斗の思い!
情けない姿を曝してしまい、ミズキさんに笑われてしまったではないか!
しかし何とお優しい事かミズキさん。
美しいだけでなく天は彼女に何物も与えたのだな。
「観月さん!!」
くせ者――――!!くせ者だ出合え!!
突然現れて何なのだ!!えぇい気安く話しかけるな男!
俗に言うナンパというやつか?!返り討ちにしてくれる!!
「あ…立海大の真田さん」
俺を知っているのか…ほう。
「どうしたんですか裕太くん」
「どうしたもこうしたも無いですよ観月さん!!待ち合わせ場所に来ないから探したんですよ」
「あ、そうでしたね。すみません」
む…ミズキさんの知り合いであったか。
何やら随分と親しげな様子だが…一体こいつは何者なんだ。
「いえ……それよりどうして真田さんと…」
「偶然ここで会ってお茶してただけですよ。そんな顔しないで下さい」
安心させるようにユウタとやらに笑いかけるミズキさん。
今まで俺へ向けられていた微笑みがまるで偽りかのように優しい微笑み。
ミズキさん!!この男は一体ミズキさんの何なのですか!!
キッと睨むも声に出しては聞けぬ。臆病風に晒されてしまうとは、皇帝の名が廃るわ!
しかし……聞けぬものは聞けぬ!!
「何っスか…睨まないで下さいよ」
「貴様なに奴。名は?」
「俺?聖ルドルフ学院テニス部の不二裕太です」
「不二?確か青学テニス部にも同じ名の…縁ある者か?」
「あれは兄貴ですよ」
「なるほど。そんな事より…おいお前。みみ…ミズ…ミズキさんとは…いいい一体どういう関係なのだ」
「はぁ?どういうって……観月さんはうちのマネージャーっすよ」
マネージャー?!こんなに美しいというのにマネージャー課業に勤しんでおられるというのか?!
裏方など貴方には似合わん!!もっと表舞台に出るべきだ!
「それより観月さん、いいんすか?もうすぐ映画の上映時間始まりますけど」
何…映画?
それは……一体。
「…本当だ!!…急ぎましょう。真田君、楽しかったですよ」
「あ…あぁ、こちらこそ楽しかった…」
「これ代金…」
衝撃の一言にぼさっとしていたらミズキさんは財布から札を取り出していた。
いかん!貴方などに支払わせるなど男が廃る。
「いや結構…俺が払っておきます」
「そうですか?ではご馳走様です」
ああその笑顔だけで充分だミズキさん。
待ち合わせ、映画。
そしてあの仲睦まじい姿。
そういう事だったのか。
何たる淡く儚い…泡沫の恋であったか。
そうして彼女は見知らぬ男に連れ去られてしまった。
きっと貴方は俺などの手の届かない方なのであろう。
幸せなのだ彼女は。
横恋慕など、真の男のする事ではない。
彼女は俺に温かい気持ちを教えてくれたではないか。
身を引くのも一つの想いであるぞ弦一郎。
嗚呼ミズキさん
ありがとう ありがとう
ほんの少しではあったが夢心地であった
さらば…ああ我が愛しの泡沫人……
さらば…儚い我が運命…
さらば…さらば……
〜終〜
○真田がアホですみません。
○うちの真田はこんなんばっかりです。
○最後まで観月を勘違いして恋する真田。
○本当の事は誰も教えない(面白いから)