大阪ロマネスク



やっと見つけた宝物。

大事に大事に心の奥になおしとこ。

そう思てたのに、何で上手い事いかへんねやろ。

いつまで経っても俺の片思いみたいな気ぃしてならんのや。


 

 

 

その日朝から謙也は新大阪駅構内をうろついていた。
待ち焦がれている相手が来る時間は解っているのだが、待ちきれずに迎えに来てしまった。
微熱を抱えたような気だるい倦怠感が体を襲っている。
それは遠足前日の子供が興奮して熱を出してしまうような感覚だった。
これが三度目の正直。
だからもう一週間も前から浮き足立つ気持ちを抑えきれていない。
そんなちょっと挙動不審な友人を面白がり、白石は嫌がる謙也を振りきりついてきた。
「謙也ーまだかー」
恐らくここから現れるであろうと目星をつけた中央改札口にもたれかかり中の様子を伺う謙也に白石が問う。
「五月蝿いなー文句垂れるんやったらちゃっちゃ去ねボケ」
「ええやん俺も見たいやんー会いたいやんー」
「パンダちゃうぞコラ」
勝手についてきた上、我侭放題を言う白石をいい加減どうにかしてやりたいと思う。
しかし当の本人は地元やとなかなか食う機会ないよなーなどと言いながら、
さして美味くないお土産用のたこ焼きを頬張っている。
これはもう完全に居座るつもりだ。
謙也はこれ以上は何を言っても無駄だと悟り、待ち人が来るのを大人しく待った。
「何時の電車なん?」
「もう着く思うんやけど…………ちゃんと乗ってたら」
「何や、乗る前にメールとかけーへんかったん?」
「メールは……一応昨日の晩に明日行きます、とだけ…」
白石の見せる可哀想な者を見る目が腹立たしいが、これが事実。
メールが返ってくるのはこちらが10回20回送れば1回の割合。
大阪に呼び寄せるまでにどれだけ苦労した事か。
親に侑士に会いに行くと言い訳して年玉を前借りして何度か東京に行ったが、会えたのは数分がいいところだった。
今夏にあった全国大会で初めて彼の存在を知った。
大きな舞台で涙し崩れ落ちる姿に、不謹慎にも見惚れてしまった。
焦がれて追い掛け回して、嫌われて。
それでも諦めきれず追い回し続けた。
もっと嫌われるかと思えば、呆れたようにアンタみたいな奴初めてだと言って薄く笑ってくれた。
結果、見境ない程に好きになってしまう。
「まぁ今回は払い戻しされんでよかったやん」
白石の呑気な声に忘れたい過去の傷が抉られる。
一回目は金券ショップで回数券を売り飛ばされた。
二回目は指定切符を送って払い戻しされた挙句、現金書留で送り返されてきた。
今回で三回目だった。
大阪に遊びに来いと言って新幹線の切符を送ったのは。
どんな心境の変化があったのかは知らないが、やっと「じゃぁ遊びに行きますよ」という一言を聞けた。
慌ててJRの駅に走って新幹線の切符を買って送った。
気の変わらんうちにと、向こうが練習休みだと言った週末を白石に頼んで無理矢理部活を休みにさせた。
するとどうだ。
物見遊山とばかりについてきてしまったのだ。
無理を聞いてもらった為あまり強く出れないのをいい事に。
いや、一応抗議はしたのだが、
「俺一人が行くんと、千歳や小春らにも声かけて四天テニス部&伊武君で行く大阪見物ツアー行くんどっちがええ?」
と脅迫めいた一言を爽やかな笑顔を交えて吐かれてしまい何も返せなくなった。
こいつはやると言ったら必ずやる。
銀や金太郎ならともかく、千歳や小春になんて危なくて近づけられない。
「お、着いたんちゃうか?」
白石の声に発着の表示される掲示板に目をやると、東京からの新幹線が到着したようだ。
その電車に乗っていたであろう乗客が次々とホームのある上階からエスカレーターで下りてくる。
その波の中に見つけた。
待ちに待った人を。遠目に見ても目立つその姿を。
華美な、華やかな雰囲気があるわけではない。
だが涼やかな表情は整ったその面差しを更に際立たせる。
日本語の中で沢山ある形容を意味する言葉の中で、綺麗だ、という言葉が一番似合うように思う。
見つけた喜びで思わず大声を上げ手を振りそうになったが、そんな事をすれば再会を喜ぶよりも先に
そのまま上りの電車に乗って東京に帰ってしまいかねない。
身近な人に対する情の深さはよく解っているが、残念ながらまだそこまで思ってもらえていない謙也だ。
伊武がその非情な行動を起こす可能性は充分にある。
何とかそれを押さえ込み、こちらに気付いた伊武に微妙な笑みを返す事しかできなかった。
本当は全身で喜びを表したかったが、それによって伊武に嫌われてしまう事は絶対に避けたい。
だからどう行動を起こしていいか解らなかった。
謙也がこうして必死に感情を抑えているというのに、空気を読めていないのか、はたまた嫌がらせなのか。
十中八九後者であろう白石は伊武に向けて大きく手を振った。
「伊ー武ー君っ!!こっちやでー」
大声で呼ばなかっただけでもありがたいが、伊武はその大きなアクションに嫌そうな顔を見せている。
しかし構わず改札を出て近付いてくる伊武に、謙也より先に近付き挨拶を始めた。
「久しぶりやな。俺の事覚えてくれてる?」
「……大阪の部長さん」
「固体識別はされとるけど個人名は覚えられてないか……白石蔵ノ介や。よろしくな伊武君」
「はぁ…」
白石は気の抜けた返事をする伊武に謙也を差し出した。
「こいつなーアホやねんで。今日この時間に来るて解ってんのに3時間も前からここで待っててん」
「いらん事言わんでええねん!!!」
「おかげでこっちまで付き合わされてなぁ…」
「お前が勝手についてきたんやろが!!!」
自然に沸き起こる漫才のような言い合いを、伊武は相変わらずの冷たい瞳で見ている。
視線だけで人を殺せる。凍りつかせる。石にさせる。
伊武はそんな特殊能力を持っている。
肝が冷えた。
案の定、
「俺、わざわざ大阪まで漫才見に来たわけじゃないんですけど。これ以上二人で盛り上がるなら俺は失礼します」
と言い放ってくれた。
「あーっ!!すまん!ちゃうねん!!ほんまこいつが勝手についてきよっただけやねん!!すぐ追い返すから!!」
謙也は一頻り焦り、強く白石を睨みつけた。
「っちゅーわけや蔵。帰れ。お前帰れ。今すぐ帰れ」
「冷たいなー謙也…俺まだ伊武君といっこも喋ってへんねんけど」
「あの」
「あぁああごめんな!!堪忍やで」
再び襲い来る伊武の冷たい声に、謙也は白石の背中を乗り口方向へと押し出した。
本気で帰らせようとする謙也の態度に、ついに白旗を揚げた。
「痛い痛い痛い謙也…わーかったからそんな押すなや。ほんま好きなもんには見境ないなぁ…」
「いらん事言わんでええから早よ去ね…」
「なぁ伊武君どこ行きたいんか決めてきた?」
謙也の言葉など右から左。
白石は伊武の前に立ち、どこから取り出したのか大阪ガイドブックなるものを開け始めた。
お前大阪の事やったら何でも知ってんやからそんなもんいらんやろ!!という謙也の内なる声など何のその。
二人は勝手に話を進め始めた。
「あ、俺ここ行かないと…」
「ヨドバシ?わざわざ大阪で行かんでも東京にもあるやろ?」
「何かここのショップにしか置いてないアクセサリーがあるらしくて神尾に買ってきてくれって頼まれたんです…
あーほんと何でこんな事引き受けたんだろ…面倒だよなー…
だいたいこれ以外梅田に用ないのにわざわざ何で俺が行かなきゃなんないのさ…」
白石はブツブツとぼやきを漏らす伊武の頭をぽんぽんと撫で、宥めた。
「まぁまぁ、こっからやったらJRで1駅やし。ほら行くでー謙也」
「へーへー……」
すっかりイニシアチブを取る白石にげんなりと力ない返事をする。
いいところで本気で追い返さなければ、このままいつまでも付いて来そうな気がする。

「梅田と大阪駅って一緒のとこなんですね……」
ガイドブックに載っている大阪の路線図を見ながら伊武がそんな事を呟いた。
何か自主的に口を開いて伊武が自分に何かを尋ねるなど初めてかもしれない。
そう思い、ここぞとばかりに謙也は白石を押し退け話し始めた。
「そうやでー私鉄と地下鉄は梅田でJRは大阪やねん。
新大阪からやったら地下鉄でも行けるんやけどな、こっちのが早いし安いから」
「ふーん…着けば別にどっちでもいいんだけど…」
必死になる謙也に、淡々と返す伊武。
そんな二人を見てこっそり吐かれた白石の溜息は耳に届いていないだろう。
謙也は落ち込んでいるし、伊武は先程自分が渡したガイドブックを熱心に眺めている。
ちょっと荒療治かもしれんけど、と白石はもう一度溜息を吐いた。
「ほな俺はここで失礼するわ」
「…え?!」
突然の申し出に、謙也と伊武は同時に顔を上げた。
「どないしてん急に…」
先程まではどうやって追い返そうかとそればかり考えていたが、あまりに突然だったので、謙也は不思議そうに尋ねる。
「んー別に?こっからやったらミナミ出るんJRより御堂筋のがええもん。家帰るにも乗り換え楽やし」
そんだけの理由かい!!と相変わらず自分勝手に動く白石に、心の中で盛大に突っ込みを入れる。
「伊武君にも久々に会えたし、あとは謙也に案内してもらい」
「…はぁ」
「ほなな、襲われんように気ぃつけんねんで」
「お前なぁ…」
謙也の怒りの鉄拳が飛ぶ前に、にこやかに伊武に手を振り、白石は御堂筋線の乗り口へと消えていった。
「……あの人ほんとに何しに来たんですか?」
「いや、ええやんもう。あんな奴ほっといて行こ行こ。梅田やな」
切符を買い、謙也は伊武を連れて改札の中へと入った。
丁度滑り込んで来た電車に乗り込み、大阪駅まで約5分。
何を話せばいいのか解らず、ただ無言のまま車窓を流れる景色を眺めている伊武の横顔を見つめていた。
重い空気に耐えかね、ふと見上げた路線図に、おや、とある疑問が浮かび上がった。
白石の家は郊外にある。
新大阪からは何度か乗換えをしなければならないのだが、JRで途中まで行った方が明らかに便が良いのだ。
慣れていない者ならばともかく、毎日電車を使って通学している彼がそんなミスを犯すとは思えない。
「あいつ…気ぃ使てくれたんか…?」
「……何か言いましたか?」
「あ、ううん。何でもあらへんよ」
つい口から漏れた小さな独り言を、伊武は聞き逃さなかった。
それだけ隣りにいる事を意識してもらえているという事だろうか、と謙也は舞い上がった。
そしてわざわざ別行動になるようにさり気なく退散してくれた白石の小さな心遣いに感謝して、
絶対に楽しい日にしようと密かに心に誓った。

「大阪も東京もほとんど変わらないんですね……」
梅田に着いて、目的の巨大な建物でのお使いを済ませて外に出たところで伊武がそんな事を呟いた。
あまり人ごみが得意なようには見えない。
行き交う人の波の多さに辟易しているのだろう。
「せやなー……あ、けどあれは東京にないやろ」
少しでも気を紛らわせればと、そう言って謙也は横断歩道を指差した。
その先には、まだ赤信号だというのに次々と人が横断している姿が見える。
車のクラクション音なんて何のその。
皆足早に自分のペースで歩いている。
「アレが大阪名物の『赤信号、皆で渡れば怖くない』やで」
伊武が小さく口の端を上げて笑うのを、見逃さなかった。
少しずつでも心を許してくれているのだ。
それだけで単純な謙也は上機嫌になれる。
「な、やっぱり大阪来たら普通に喋ってんの聞いてても漫才してるように聞こえん?」
そういえば東京に住む従兄弟がそんな事を言われたのだと言っていたな、と思い出し伊武に尋ねる。
「さっき部長さんと喋ってた時言ったじゃないですか」
「あぁ…そういえば……」
「それにさっきの店でも…早口で時々聞き取れなかった」
「あの姉ちゃん買わせよ買わせよ焦って思いっきり喋くっとったな」
話術で丸め込もうと必死に喋る店員の口元をぼんやり眺めているなぁと思っていたが、
伊武は言っている事の半分も理解していなかった。
「同じ言葉でも喋る人で全然違うんですね。氷帝の眼鏡の人はもっとゆっくり喋ってたのに」
「あー…侑士はもっと北の方…ほとんど京都に近い大人しい地域に住んどったからな。喋りもお上品なんやろ」
「あんたは乱暴な感じがする」
「乱暴て……まあ俺は生粋の泉州人やしな。同じ大阪でも南とか東になると言葉キツなるから」
「…ふーん………」
伊武は一旦道の端に寄り、白石に渡されたガイドブックを再び開けた。
次に行くところを決めているのだろうか、とそのページを覗くと、泉州地域の表記がある。
自分の住んでいる所に興味を持ってくれたのかと謙也は今度こそ笑いを堪える事ができなかった。
突然にこにこと笑い始め、些かの気味悪さを感じた伊武は一歩半下がった。
「どないしたん?」
「いえ……俺が案内されてるのに…楽しそうですね。何か気味悪いよなー…何か企んでるんじゃないだろうな………」
雑踏の中だが後半のぼやき部分もはっきりと耳に届いた謙也は、頭を抱えた。
「おいおい…別に何も企んでへんて。そんな賢そうに見えるか?俺」
「いえ、全然」
「ハッキリ言いよるな…まぁ楽しいのは事実やな。伊武君が遊びに来てくれて嬉しいし」
歪曲せずストレートに言う謙也に、少し恥ずかしそうな表情を浮かべる。
可愛いと叫んでその場で抱き締めたい衝動を必死で押さえ込み、謙也はまた微妙な笑みを返した。
そんな謙也に対し、伊武ははっきりと解るほどに不機嫌を顔に出した。
「え、何、どないしたん?」
心の底を読まれたのではないかと一瞬ヒヤリとしたが、まさかそんな能力はないだろうと思い直す。
だったら一体何が原因だというのか、謙也には伊武の心の中が推し量れなかった。
「…もういいです」
「なっ何が?!俺何かした?!」
「そんなに俺と一緒が嫌なら俺一人でどっか行きますから」
「ちょ…ちょぉ待て!!何でそないなんねん!!」
「何か…やっぱり俺ばっかり楽しみにしてたみたいだ……」
何の話だ、と問いかける間もなく、伊武は地下鉄の乗り口へと続く階段を駆け下りてしまった。
自慢の健脚で追いかけようとするが、丁度目の前をおばさんの団体が通ってしまい、その道は遮られた。
謙也の苛立ちなどまるで関係なく、気ままなマダムたちは大声で喋りながらのんびり闊歩する。
「伊武君!!」
消えていく小さな背中にかけた言葉は聞こえないままだったようだ。
止まる様子もなく薄暗い通路へと吸い込まれていった。
「ちょっ…ちょぉおばちゃんらどいてや!!」
「何やの兄チャンー押しないなや、危ないなぁ」
文句を垂れる見た目も派手なおば様たちを掻き分け、ようやく伊武の消えた階段を駆け下りる。
改札は沢山の人を飲み込み、吐き出していく。
その中に伊武の姿はなかった。
「どこ行ってん……三番街の方か?」
ポケットに入っている携帯電話を取り出し、伊武の携帯にコールするが、聞こえてくるのは機械から流れる女性の声。
「圏外?電源落としてんちゃうかったら…もう電車乗ったって事か」
この辺りの徒歩圏内で電波の届かない地下街はない。
駅構内も携帯が繋がるとなれば、そう考えるのが自然だった。
謙也は財布から使いかけの私鉄共通カードを取り出すと、改札に通した。
ほぼ10分毎やってくる電車は途切れる事ない人の波を作り出す。
丁度電車は出てしまったばかりのようで、降車した人でホームはごった返している。
そこにも伊武の姿はない。
「さっきの電車乗ってしもたんか……」
溜息一つ吐き、次に入る電車の電光掲示に終着駅が記される。
先程出て行ったばかりの電車の行き先を考え、伊武の足取りを追う。
「………行くとしたら…難波ぐらいか…」
大阪に詳しくないのであれば、聞いた事のある駅名で降りるだろう。
そう目星をつけた謙也は、滑り込んできた電車に乗り込んだ。

キタからミナミへ。
駅数にして僅か。
しかし暗い地下を走っていると時間が長く感じられる。
御堂筋を走って南下した方が早かったかもしれないと思ってしまうほどに謙也は焦っていた。
何をあんなに怒っていたのだろう。
伊武の言葉には不可解なものがあった。
俺ばかり楽しみにしていた、と。
それはこっちの台詞なんじゃないのかと謙也は頭を抱えた。
あの言葉を聞いた限り、伊武はこちらに来る事を、自分に会うのを楽しみにしていたようにも思える。
早く伊武を掴まえて本当の事を聞きたい。
目的の駅名が告げられ謙也は扉が開ききる前にホームに飛び出した。
そして改札を出て、我に返る。
ここまでの足取りは何とか掴めたが、ここからは全く解らない。
人ごみを嫌っていたようにも思えるが、週末の人の流れに逆らう元気もないだろう。
とりあえず流れに乗ったとすれば、商店街に出たかもしれない。
「おいおい変なキャッチに捕まんなよー…」
とにかくしつこい奴の多い大阪のキャッチセールス。
いつもの調子で伊武が巧みに切り抜けれればいいが、
先刻の店員とのやり取りを見ていて、一気に不安が押し寄せる。
謙也は慣れた様子で人並み掻き分け、伊武を探しながら駅前から続く商店街を走り始めた。
何度か携帯に電話をかけてみるが、繋がらない。
コール音があるので電源を切っている、もしくは圏外というわけではなさそうだ。
出る事を拒否しているという事。
自ら離れていきながら、探して欲しいといっているようにも思え、謙也はスピードを上げた。
そして開けた視線の先に繰り広げられている光景に、ベタやなぁと溜息を吐いた。
「ストーップ。この子俺の連れやねん。見逃したってや」
ひっかけ橋のたもとで、いかにもといった風貌のスーツ姿の男に手首を掴まれている伊武の姿を見つけ、慌てて駆け寄る。
伊武の肩を掴んで体を引き寄せるが、その男は引き下がる様子を見せない。
暫く問答を繰り返していたが、仲間らしい男が集まってくるのを見て逃げるが勝ちとばかりに伊武の手を掴み走り出した。
不健康を絵に描いたような奴らなど、少し走ればあっという間に撒けてしまう。
飲み屋が軒を連ねるネオン街の更に裏路地。
店の裏口が並ぶ一角まで逃げたところで、謙也はようやく足を止めた。
夜が主役の街に人通りは全くなく、時折店の中から物音がする事以外に人の気配がない。
ひ弱そうに見えても、テニスで鍛えられている伊武は息を乱す事もなく見上げた。
不思議そうな、何故ここにいるのかと問う瞳を向けられ謙也は弱弱しく自虐的な笑いを漏らした。
「ごめんな」
「え?」
「俺アホやから…伊武君が何で怒ってるんか全然解ってへんねん」
眉を顰め、非難するような瞳を向けられるのかと構える。
だが意外にも伊武の瞳は戸惑いと哀切を映していた。
「けど…伊武君の言葉が気になって、ほっとかれへん思て追いかけてきた。聞かせてや。さっきの…どういう意味なん?」
「……そのままです。俺は今日……凄く楽しみにしてたんです…こっちに来て…あんたに会うのが…」
俯いたままぼそぼそと出る言葉に謙也は飛び上がるほどに驚いた。
「え?え?!えぇっ?!!ほんまに?!俺がしつこいからイヤイヤ来たんちゃうん?!」
「何でわざわざ東京から大阪まで嫌々来なきゃなんないのさ…」
「そうやけど…ほんだら何で……」
「来い来いって言ってくれるから…何か…勘違いしてたみたいです、俺」
「勘違い?何を?」
ますます俯いていく伊武の顔を下から覗き込むが、綺麗な髪が邪魔をして表情が見えない。
謙也は辛うじて覗く口が小さく動くのを真剣に見つめる。
「だから……その…あんたも俺に…会いたがってるんだって…」
「勘違いちゃうって!!ほんまに伊武君に会いたかったし、会えて嬉しいし!!
そやなかったらわざわざ親に借金してまで大阪呼べへんやろ?!」
「…借金?」
「あーいや、今の忘れて。……とにかく!!俺は伊武君やなかったらわざわざこんな必死になって会いたい思わんし…」
「何か口ばっかりって感じがするんですけど」
「は?!何で?!」
本当に頭が悪い反応しか返せていないな、と謙也は自己嫌悪に陥った。
さっきから伊武に訊ねてばかりいる。
彼の目には相当格好悪く映っているだろう。
それでも聞かずにはいられなかった。
「だって俺が来てからずっと微妙な顔ばっかりしててさ…何考えてんのか全然解んないんだよな…」
「そ…それは伊武君あんまり大袈裟にしたら嫌がる思て…俺声でかいし、やる事なす事アホばっかしやから
ほっといたらほんま伊武君帰ってしまいそうで…せやから必死こいて抑えてたんやけど」
疑いの目を向けられ、必死に言葉を紡ぐ。
「ほっ…ほんまやって!!嬉しないわけないやん!ほんまは飛び上がって喜んでたんやで?!」
「……わざわざ東京まで来たり……何度も来いって言ってくれたり…何でだろうって考えて…
それで…ハッキリさせようと思って今日は来たんです」
「何でて…そんなん好きやからに決まってるやん」
「………あんた俺の事好きなんですか?」
大量の空白と、珍しい伊武の呆けたような表情に逆に謙也が驚かされる。
「え?」
「それって…友達としてって事ですか?」
「いや、俺ただの友達にわざわざ大阪来いて新幹線代出したりせんし」
「つまり俺と付き合いたいって意味ですか?」
「……あれ?俺言うてへんかった?」
「聞いてませんよ」
あまりの間抜けさに、謙也はその場にしゃがみ込んだ。
これでは本末転倒。
肝心の一言を言わず、ただ自分の我侭を突き通していただけになる。
伊武が混乱するのも無理はない。
「ごめん。ほんまアホや俺……ちゃんと言わせてや。失恋覚悟やけど」
「言ってみないと解らないですよ」
しゃがんだ体勢では逆光で伊武の表情は見えないが、声は優しい気がする。
謙也は立ち上がり、正面に向き合った。
そして大きく深呼吸をして情けない表情を隠した。
「好きや。全国で初めて会うた時からずっと」
「はい」
「……ってそれだけかぃ!!」
「これ以上何言えっていうんですか」
あっさりとした返答に、伊武の真意が伺える。
「まぁええわ……これからちょっとずつでええから俺の事好きになってや」
「ちょっとずつでいいんですか?」
「幸せは小出しの方がええやろ」
謙也は不意に伊武の手を取ると、路地を出て真っ直ぐ大通りに出た。
「な…何なんですか急にっ」
「俺な、好きな子できたら御堂筋手ぇ繋いでデートするん夢やってん」
「……はぁ?」
「あかん?」
本当に嬉しそうな顔を向けられ、手を離せなくなった伊武は、鞄に入れたままにしていた帽子を取り出し目深に被った。
これで周りの目も気にならないし、紅い顔も隠せる。
「小出しの方がいいんじゃないのかよ…」
「ええやん別に」
謙也は恥ずかしそうにしていても手を振り払わない伊武に、すっかり上機嫌になった。
「もーほんま何でこんな可愛いんやろ」
「……帰ります」
「帰せへん」
ぎゅっと手を強く握り、ゆっくりと銀杏並木を歩き出す。
「次どこ行こか?俺ん家来る?」
「……下心丸出し…」
伊武は露骨に嫌な表情を浮かべ、手を繋いだまま一歩離れた。
「だってさっきガイドブック見てたやん!!」
「?…あれは漬物屋探してたんですよ。泉州って水なすが有名なんですよね…
東京じゃ食べられないから絶対食べたいと思って」
「……そういう事かぃ…それやったらこっから電車で一本のとこに美味い店あるし行こか」
体を翻し御堂筋を南下して、駅に向かおうとした時。
「その後なら…行きたいです……あんたの家…」
聞こえてきたその小さな声に、謙也の足は速まった。
「たぶんこれからも俺はアホなまんまやろうけど…幸せにしたるなんてカッコええ事言われへんけど、
いつまでもカッコ悪いまんまや思うけど…それでも絶対大事にするからな」
「してもらわないと困ります」
「そんな減らず口叩いてても好きやで」
「解ったからそんな連呼しないでください…」
スピードを緩め、俯く伊武に謙也が弾む声を返す。
「恥ずかしがらんでもええやん。伊武君も言うてぇな」
「何を?」
「好きって」
「……小出しにします」
「あ、断らんねや。嬉しいなぁー期待して待ってよ」
「ちょっ…揚げ足取らないでください!!」
「言い出したんは自分やでー責任取りやー」
少し前ならできなかった遠慮ない態度が自然に出る。
それに相手が応えてくれる幸せを噛み締めた。
本当に大切なものは心の奥に仕舞うだけでは駄目なのだと知った。
ちゃんと目の届く場所に置いて、相手に示していかなければならないのだと。
謙也は手に入れたばかりの宝物をぎゅっと握り締めた。

 



〜終〜
 
○一応試合したし…大丈夫やろ……な、謙也×伊武
○書くって言うた時仁義には3回ぐらい「ハァ?!」って言われたけど
○うちの謙也はアホです
○クララはそんな謙也からかうのが大好き
○謙也が泉州人で侑士が北摂人なのは勝手な俺設定
○ちなみに俺設定の謙也は岸和田在住
○何や祭好きそうやしだんじりの頃とか張り切ってそうなイメージ
○クララは瓢箪山
○侑士は高槻
○基本全員田舎者で
○大阪描写が楽しくてかなり力入れた
○大阪を知ってるお嬢さんはリアルに梅田〜心斎橋〜難波を思い浮かべて下さい
○クララが食べてたのはたこ○さのたこ焼き
○関西では『つ〜れてって〜たこピー○―つ〜れてって〜たこたこピー○―大阪出る時つれてって〜』の、CMでおなじみ
○地元にいると食べる機会はありません
○謙也の言う横断歩道は阪急からJRに続く高架下の横断歩道
○馬のおっさんおるとこ
○伊武が消えた階段はその横断歩道のJR側の御堂筋出口
○行った先は難波の戎橋筋商店街〜心斎橋筋商店街
○見つけたのは戎橋
○あれだ、カニとグリコのおるとこ
○キャッチから逃げこんだのは宗右衛門町方面
○そしてタイトルにある曲の歌詞を思い浮かべて読むとなおヨロシイです
○最近まで水なすが南大阪特産やと知らんかったのでネタに使ってみた
○かなり美味いので漬物好きの伊武にはたまらんだろうと
○謙也は以後、アホの一つ覚えのように伊武宅に水なすの漬物を送り続けます
○迷惑ですとか言いながらも嬉しい伊武
○何だかんだでラヴラヴであればよい
○次こそ…ふじりんお題アップします