燦々と降り注ぐ太陽光が、ここは東京じゃないんだと嫌でも知らせる。
あんなに苦しい練習を重ね、切望した全国大会はあっという間に終わってしまった。
ただ負けて帰ってきたわけではないが。
「えーしろーえーしろー」
「五月蝿いですよ。何度言ったところで同じです」
風通しの良い教室の窓辺で学校側に提出を求められた全国での感想文を書いている木手の肩を平古場が揺さぶる。
きっちりと固められた木手の髪とは対照的に、綺麗に金色に抜けた髪が風に揺れた。
「何で!!」
「もう我々の全国は終わったんです」
「俺の全国はまだ終わってない!!」
「俺の、ではなく不二クンの、でしょう」
「解ってんなら…」
「とにかく、俺の一存ではどうにもならない」
「なら晴美に頼む!!何だよえーしろーのケチ!!」
「君に日本語は通じないようですね……」
木手のぼやく声などもう聞こえていないかのように、平古場は携帯を取り出し顧問に電話を始めている。
ピ、ピという操作音が二つしただけで通話が始まった。
普段どれだけ相手を頻繁に呼び出しているのかが伺える。
「あ、晴美?迎えに来て。学校だから。じゃ」
通話時間わずか3秒。
恐らく相手は返事をしていないだろう。
これで目上の者が動くのだから、彼の暴君っぷりがどれだけのものか再確認させられる。
木手はやれやれと溜息を吐いて立ち上がった。
書き上がった原稿用紙を職員室にいる教師に提出する為に。
「先に校門に行っておいてください。あぁ、1階の空き教室で甲斐クンと知念クンが補習を受けに来てましたから彼らも一緒に」
「わーった。なーんだ、ゆーじろーも来てたんだ」
「もちろん甲斐クンだけですよ、補習受けてるのは。知念クンは足をさせられただけみたいです」
「ははっ!ゆーじろーらしいじゃん」
職員室に向かう木手は再び溜息を吐いた。
君ほどではありませんよ、と。
そんな木手の心中などお構いなしに、上機嫌で平古場は階段を3段飛ばしで駆け下りていった。
1階に並ぶ特別教室の奥にある空き教室で、甲斐は頭を抱えていた。
今日中に提出だと言われた数学のプリントと格闘しているのだ。
それを無表情でじっと知念が眺めている。
「ゆーじろー!」
「凛…何、お前も来てたのか?」
狭い教室には扉が一つしかなく、そこから駆け込んでくる平古場に、それまでのしかめっ面を崩した。
悪友の顔を見て甲斐の顔に久々の笑顔が浮かぶ。
「まーな。えーしろーが来るって言うからついてきた。補習だって?お前期末悲惨だったもんなー」
「るせー!!お前だって似たようなもんだろ!!」
「俺はギリギリセーフだったし。それより早く終わらせろよー晴美が迎えに来てくれるって」
「マジで?あーもう解んねーっっ」
あと数問なのだが、応用問題ばかりの所為か甲斐は頭を抱えたままもう何分も考えている。
「寛ー教えてやれよ」
「もう30回位説明した」
机に並べられたプリントには、その痕跡であろう数式の沢山書かれたルーズリーフも混じっている。
「……お前、バカ?」
「うるっせー!!寛の説明が悪いんだ!」
癇癪を起こした甲斐は目の前のプリントを頭上に放り上げた。
滅茶苦茶な言い分だが、言われ慣れたものなので知念は全く気にせず甲斐の散らかしたプリントを黙って拾っている。
「はい。続きやって」
「うー……」
恨めしそうに眺める甲斐の瞳を受け流し、知念は甲斐の持っていたシャーペンを取り上げ空白に公式をいくつか書き出した。
「これに当てはめればすぐに解けるから」
「ここまでやんなら答え書けよ……」
ブツブツと文句を垂れながらも、先程まで鈍かったシャーペンの動きが一変して早くなり、あっという間に解答欄が埋まった。
「終わったぁ!!!」
「んじゃ帰ろうぜー」
鞄にペンケースを入れ、荷物を持ち揃って教室を出た。
プリントを提出する為に一旦職員室に立ち寄ると、丁度木手も教師と話をしているところだった。
教師に小言を二三言われ、不機嫌に戻ってくる甲斐に平古場がそっと耳打ちをする。
「なー…お前も一緒に頼んでくれよー」
「何を?」
「東京合宿」
「あぁ、昨日言ってた?」
「そう。俺が言っても聞いてくれねーんだもん……」
「俺も行きてーな…ちょっと寄りたいとこあるし」
「寛も!!一緒に説得してくれよ?」
「…解った」
これでほぼ東京行きは決定だろう、と知念は心の中で思った。
この二人がタッグを組んで我侭を言い始めて通らなかった話などない。
一番最近では、連日の猛暑にキレた二人が学校側に文句を言い、翌日には部室にエアコンが設置されていた。
木手は筋肉を冷やすからと最後まで使う事を渋っていたが、それもねじ伏せられてしまった。
今では二人の我侭のおかげで快適なクラブ活動が送れている。
後輩達も、何か不都合があれば主将の木手ではなくこの二人に言いに行く。
その方が格段に話が早く済むからだ。
二人にとっても不都合であれば、二人がかりで押し通してくれる。
そんな二人を奉る空気があるから我侭は更に助長され、悪循環が起こっている。
今ではすっかり彼らの天下となっていた。
部活も、学校生活も。
しかし、甲斐の方はまだ幾分マシかもしれない。
木手に対しては譲歩をして従順な部分もある。
だが木手と長い付き合いの平古場はそうはいかない。
幼い頃からそうであったのか、とにかく自分の気に入らない事なら誰が相手でも譲歩を知らない。
見境のない暴君ではあったが、神様はまだ見捨ててはなかった。
とりあえず自分が楽しいと思える事には従順で我を通す。
正義感というべきか、間違えた事は大嫌いで、周りがどうであろうと自身の気持ちを押し通す。
それが我侭と言えばそれまでなのだが、良くも悪くも己に正直で素直な性格だった。
ありがとうとごめんなさいを素直に言える。
ただそれだけは神様も忘れずに彼に与えてくれたらしい。
「えーしろー!!先行ってるぞ」
職員室は夏休みだというのに教師が何人も来ている。
甲斐の様な生徒を指導する為、新学期の準備をする為と理由は様々。
そんな中、学年主任である教師と教頭と話し込んでいる木手の背中に平古場が大声で叫んだ。
ここをどこだと思っているのだ、という教師の非難の目が集まるがその発信元が彼であると気付き誰も文句を言わない。
言っても無駄だという事をこの2年半で学んだ結果だろう。
「あ、それと!!お前が何言っても俺は絶対東京行くからな!!」
扉から出る際そう叫んで廊下を出る。
その廊下から見える校門に大きなハマーが横付けられた。
中からしかめっ面の早乙女が大きな体を揺らして出てくる。
「お前ら!!毎度毎度俺を足に使いやがって!!!」
「おー!晴美さんきゅー!!愛してるぜー!!」
窓を開け二人揃って投げキスを寄越し、上機嫌で昇降口へと向かう。
どうせ木手も待たなければならないのだからと、特に急ぐ様子もなくのんびり歩く。
そんな平古場たちに、じゃぁと知念が逆方向に歩き始めた。
「どこ行くんだよ?」
「お前も一緒に乗ってこーぜ。どうせ方向一緒なんだし」
「自転車…」
「あ、そっか」
甲斐は自分で足をさせておいて忘れていた。
行きは知念の運転する自転車で登校したのだ。
「いーじゃん。晴美の車でっけーんだしチャリごと乗せれば」
「そーだな」
所有者の意見など始めから聞く気はない二人は勝手に話を進めている。
とりあえず置いていかれる心配はなくなったと知念は自転車を取りに駐輪場に向かった。
その間に木手も合流して、揃って下校する事となる。
早乙女ご自慢の愛車は米軍放出品のハマー。
大型なので荷台部分に自転車1台など軽く乗せる事が出来る。
汚れる!という早乙女の怒鳴り声などお構いなしにあっという間に積載してしまった。
後部座席に木手と知念、自転車が落ちないように支える為に平古場と甲斐は荷台に乗る。
尤も、荷台に乗るのは一人で充分なのだが二人仲良く乗り込んでしまった。
どうか道中警察官に見つからないようにと願いながら早乙女はゆっくりと車を発進させた。
じりじりと容赦なく照りつける太陽よりも、荷台に乗せた五月蝿い荷物がイライラに拍車をかける。
「晴美!!東京合宿!」
「うるさいお前ら!!黙らんと振り落とすぞ!!」
バンバンとルーフを叩きながら大合唱する平古場たちに、出来もしない事を言っても聞く筈も無い。
やれるもんならやってみろ、とばかりに声は大きくなるばかり。
「……監督」
「言うな木手」
「ああなってしまったら止まりませんよ、彼らは」
眼鏡を上げながら冷静に言い放つ木手に、早乙女は濁った唸り声を上げた。
降参の合図だ。
木手は窓を開け、後ろに向けて顔を出した。
「平古場クン。10日、10日間だけですよ。
それから始業式には遅刻せず必ず出席する事と、残ってる宿題を全て終わらせる事が条件です。今年は絶対に踏み倒さない事」
「ほんとか?!」
「お…おいまだ学校の許可が…」
早乙女が勝手に話を進めるのを止める。
だが表情を崩さず言い放った。
「もう取りましたよ。あとは校長の印鑑を頂いたら明日にでも出発できます」
元々校長の権限よりも教頭の権力の方が大きいのでこれは形式上のものだ。
「晴美!!行き先空港に変更!」
「チケットの手配なら俺がするから、このまま真っ直ぐ帰って親の説得と荷造りをなさい」
「えーしろー大好き!!!」
やれやれ、と肩で大きく息を吐いた。
どこか憐れむような目を向ける知念に、君も一蓮托生ですよと視線を返す。
どこで教育を間違えたのか、と問題児を持つ母親の気分になった。
そもそも、平古場がこの合宿をやりたいのだと言い始めた発端は、全国大会にある。
2回戦で相対した青春学園。
その時戦った相手をどうにもお気に召したらしい平古場は、いつもの調子で猪突猛進していった。
周りは何事かと慌てた。
何せ相手は神秘のベールに包まれた青学の天才不二周助。
敵わない壁を見つけ、喜んで登ろうとする子供じみた感情なのか、はたまた本気なのか。
平古場の本心は木手ですら計り知れなかった。
だが沖縄に帰った途端、やっぱり東京に残ればよかったと騒ぎ始めたのだ。
それが昨日の午前の事。
思い立ったら吉日とばかりに数分毎に東京に行きたいと漏らす。
ご近所の木手宅にやって来て大騒ぎ。
木手の母親は平古場に甘いものだから、凛ちゃんが可哀想だから連れて行ってあげなさいと言い始めた。
更に三人居る姉も加担して五人がかりになった。
こうなってしまってはもう止める事は不可能だ。
そう悟った木手は学校に行き、教師の説得を始めた。
表向きはテニス部の合宿。
全国大会も終わり、三年生の引退も決まった今から何をするのだと、
最初は思いっきり渋っていた教師陣だったが、言い出したのが誰かを聞き半数が諦めた。
平古場の家はともかく、他の家庭では中学生だけで旅行など言語道断だろう。
知念や甲斐も連れ、尚且つ引率の大人がいるとなれば合宿という形が一番説得しやすい。
そして最後のひと押しは今日のあの一言。
「あ、それと!!お前が何言っても俺は絶対東京行くからな!!」
平古場がそう言い放ち職員室を出て行った後、数秒のブランクを置き木手は口を開く。
「……あの調子ですから一人ででも行くつもりですよ。
だったら最初から引率者がいてしっかり見張りをしていた方がマシだと思いますが」
「うむ……」
「いくつか条件を出してそれを飲ませますから。
それに無理矢理押さえつけたところでその反動が二倍三倍で収まった事、ありましたか?」
「……解った」
こうして教頭が白旗を揚げた事で急遽東京合宿が決行される事となった。
急な事ではあったが、飛行機は何とか押さえる事ができた。
滞在先は平古場の祖父がオーナーを務めるホテルを無料で使う事も許された。
問題は引率者だ。
一応部の合宿となっている以上、早乙女が引率するべきなのだが突然の事で、
更に十日間ともなると他の部員達を放っておく事も出来ない。
ここにきて暗礁に乗り上げたかと思いきや、たまたま東京出張に行くという教師がいた為臨時で引率を頼む事が出来た。
尤も、メンツがメンツなのでその教師は最後まで渋っていたが。
そこは木手と知念の普段の貢献振りに免じて飲んでもらった。
甲斐と平古場二人であれば、間違いなく即答で断られていたに違いない。
ともあれこうして十日間のテニス合宿がスタートする事となった。
翌朝、那覇空港に集まったのは昨日の四人とこんな事に巻き込まれてしまった不運な教師、新垣汀だけ。
新垣は二年前に比嘉中に赴任してきた教師で、例に漏れず平古場たち二人の洗礼を受けた人物だ。
きょろきょろと見渡し甲斐が不思議そうに言う。
「あれ?慧君はー?」
「田仁志クンは家の手伝いで忙しいんです。こんな形だけの合宿に引っ張り出す訳にはいきませんよ」
田仁志の家は民宿を営んでいる。
夏休み終盤とはいえまだまだ客足は途切れない。
今まで部活の為出来なかった分しっかりと働いている。
木手の言う通りそんな彼を連れて来るわけにはいかないのだ。
「変わり映えしないしないメンバーだよなー…」
「ま、いいじゃん。汀いるし」
「そだな。汀ーっっアイス食いてー!!」
平古場の声に、待合ロビーのソファに座っていた汀が肩を揺らして吃驚した。
逃げるように背を向けるが、二人にそんなものは関係ない。
あっという間に捕まり土産物屋前に引きずってこられた。
「汀、汀。これ買ってこれ」
「今から沖縄出るのに何でお前らに沖縄土産買わなきゃならないんだ」
「機内で食うに決まってんだろ」
「向こうの友達にやるんだよ。あ、俺これ!これ!!」
「何でお前の友達に俺が土産を買わなきゃならん!!お…おい木手!!何とかしろ!!」
店内を引きずり回され、ついに汀が情けない声で木手を呼んだ。
それは普段職員室や廊下でよく見る光景だった。
平古場たちが無理難題を言い出すたび、教師たちは木手や知念を呼ぶ。
自分たちではどうにもならない事をよく知っているからだ。
1学期、何も知らない新米教師がうっかり甘い顔を見せてしまい、
すっかり付け入られてしまって暫く病んでいたのは有名な話だった。
やれやれと肩で息を吐くと、ゆっくり近付き二人の首根っこを掴んだ。
「平古場クン、お土産は昨日沢山買ったでしょ」
「足りなかったらどーすんだよ」
「だったら自分で買いなさい。何の為のお小遣いですか」
平古場が昨日合宿費用だと中学生のお小遣いとは言いがたい金額を祖父から貰った事を木手は知っている。
アイス一つで大騒ぎするのは、相手に奢らせるという行為をゲーム感覚で楽しんでいるだけなのだ。
「…わーった。でもアイスは買って?」
突然殊勝になる平古場に、まぁアイスぐらいなら、と汀は妥協した。
「先生。あまり甘やかさないで下さいな」
「う…すまん……」
「平古場クンも。薄給の教師に集る様な見っとも無い真似は止めなさい」
「何だよ汀、給料少ないのか?」
「木手……」
平古場たちよりも数段精神的ダメージの多い一言に新垣ががっくりと肩を落とす。
「可哀想に…ホラ、俺が汀の分買ってやるよ」
「うるさい!!俺は中学生に同情されるほど落ちぶれてない!!」
そう言い、新垣は二人の欲しがったアイスを手にレジへと向かってしまった。
木手はそれを隣で眺めながら最初からそれだけを買わせる事が二人の目的なのに、とは言えなかった。
その証拠に平古場と甲斐は作戦成功とばかりに悪い顔でハイタッチを交わしている。
機内でも好き勝手振舞うものだとばかり思っていたが、東京に近付くにつれ、平古場が大人しくなっていく。
知念の隣の席で窓の外を眺めたまま、じっと動かない。
あまり喋らない時間などない相手だけに何か不気味さを孕む静寂だった。
シートベルト着用のランプが点り、着陸態勢に入った。
窓の外には地元では見られないほどに高いビルがそびえ立っている。
いよいよ運命の合宿の幕が開いた。
〜続〜
○まだ不二先輩出てきてないけどふじりん
○今回は説明も兼ねて長々と頑張ったが、次もそうとは限らない(逃腰)
○凛ちゃんと甲斐ぐんは頭があまりよろしくできてない(最下位から数えた方が早い)
○木手と知念君はお利口さん(学年トップクラス)
○晴美は絶対ハマーに乗ってて欲しい
○でも燃費が悪いので給料はそれに吸われてばかり
○その上しょっちゅう凛ちゃんたちに集られるのでたまったもんじゃない
○晴美を東京まで連れて行くと面倒なので、4人だけにする為に別教師を用意
○可哀想な彼の名前は新垣汀【あらがきなぎさ】
○個人的な趣味です(漢字は違うが)
○次こそ不二先輩登場させます
○青学は初登場だな…うちの小説で